ひとくちメモ「一筆啓上、安原喜弘様」昭和8年11月10日
(前回からつづく)
僕女房貰うことにしましたので 何かと雑用があり
――と文中にさりげなく「結婚」のことを書いたのは11月10日付けの手紙でした。
この手紙に
コルビエールの訳詩が同封されていました。
◇
巴里
クレオルとブルトンとの合いの子の、
彼も亦、雑踏の巷にやって来た。
其処市場には石出来のものとてないので、
太陽は、てんで調子を欠いていた。
――ぼやぼやするねい! のろくさしてらあ……
やいこの間抜け奴、押すんじゃないよ!
……火事は消えたよ、すっかり消えたよ。
――バケツは往き来す、空のや重いの。
其処に、哀れな小さな娘は
辻君通りに現れる、男等は云う
あの小娘は、何を売るんだ?
――何にもよ。――愚かな女は立ちどまったまま
空のバケツの音さえ聞こえず
吹き行く風を見送っていた……
(「中原中也の手紙」より。「新かな」に変えました。編者。)
◇
詩人は
どの詩にも会話体が入っていて
しかも、それらは外国の町言葉であり
原詩のシラブル(音節)なども目茶苦茶だと
苦戦したことを添えています。
◇
この詩は
トリスタン・コルビエールの詩集「黄色い恋」(1873年刊行)の冒頭詩。
コルビエールの分身であるクレオルとブルトンの混血青年が
パリの街を生き生きと歌ったソネットばかりを集めた8篇の一つです。
(「新編中原中也全集」第3巻翻訳・解題篇より。)
コルビエールがパリ街頭で通りすがりに見た娘は
中原中也の創作詩「朝鮮女」をふと連想させますが
実際に連関があるかはわかりません。
それにしても
コルビエールがとらえた活気あふれるパリ街頭を
そのまんま生かした訳があじわいどころです。
コルビエールは
ポール・ベルレーヌが「呪われた詩人たち」に取り上げた一人で
中原中也は中の「トリスタン・コルビエール」を訳出し
昭和4年(1929年)11月発行の「社会及国家」にすでに発表していました。
30歳で夭逝したコルビエールに
30歳で亡くなるとは夢にも思っていなかったに違いない詩人が
感じるところがあったのでしょうか。
◇
このほかにも
コルビエールの詩の一部分が同封されていました。
◇
「ええ?」という詩の一節
随筆だと?――なにはさて、私は随筆書きはせなんだ!
研究?――のらくら者の私は剽窃(ひょうせつ)さえもしなかった!
本だって?――製本するにもあんまり粗略で……
原稿か?――いやはや悲しい、百(ひゃく)文にもならぬ!
詩だって?――へえ有難う、私は詩才を洗濯しました。
書物だと?――書物とは猶、読むものなりだ!……
紙だって?――いや、感謝する、綴られまする!
アルバムか?――それは白くはございません、それにあんまりグザグザです。
題韻詩?――何処に韻?……かんばしくもない!
著作だと?――つやもなければ光もござらぬ。
小唄だと?――そいつはいいや、いとしのミューズ!……
◇
詩作にまつわる「諧謔(かいぎゃく)」が
「ダダイスト詩人」に届いたかのような詩です。
小唄は、いとしのミューズ!
詩人と、ぴたりシンクロしているではありませんか。
◇
今回はここまで。
(つづく)
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