ひとくちメモ「一筆啓上、安原喜弘様」昭和8年4月25日ほか
(前回からつづく)
一人でカーニバルをした1月末の詩人は
その後どうしたのでしょうか。
時はゆっくりと移ろい
3月末には東京外国語学校専修科を卒業します。
卒業したからといって
外務書記生になろうとする考えはなく
そのあたりのことも含めて実家へ報告するためもあったのでしょうし
何よりも詩集発行のための資金繰りの相談を母・フクに持ちかけねばならなかったはずです。
詩人は一時帰省します。
◇
「手紙54 3月22日 (はがき)」(新全集は「118」)は、山口・湯田発。
21日 無事帰り着きました 当地はまだ冷たい風が吹きすさんでいます 山の梢ばかりが目に入るというふうです
奈良には2泊しました
鹿がいるということは
鹿がいないということではない
奈良の昼
と日記に書きました
怱々
◇
「手紙55 4月7日 (はがき)」(新全集は「119」)は、東京・目黒局発。
6日夜帰って来ました お変りありませんか
家では弟が病名の分らない病気に苦しんでいましたので、憂鬱でした おかげでいらいらしています 少し落着き次第、お訪ねしようと思います では 拝眉の上
怱々
◇
この2通の手紙への安原のコメントはありません。
詩人の上京後、何度か2人は会う機会があったのでしょうか
安原宛の次の手紙は4月25日付け封書が残されました。
ここで詩集の動きが新局面を迎えます。
詩人自らが出版社への交渉に臨んだのです。
◇
「手紙56 4月25日 (封書)」 大森・北千束発。
前略――今日お宅を出ると間もなく思いついて急に芝書店に詩集をみせに行きました、結局製本屋への紹介は便宜を与えるということにとどまりましたが、一寸一時は動きかけていました、もう少し雄々しく此ちらが出れば、引き受けたかもしれませんでした。紙や組み方は立派なものだといって感心していました。ここまでやっている上は製本もよくなくちゃ、とも言っていました。鳥の子で高くも4銭(表紙)といっていました。製本共に3、40円なら上りそうなので、なまなか本屋に持ってって出してもらうよりピンカラキリマデの自製本としようかとも思いますが。どっちにしても出しとけば売れると云っていました。(定価は実費のまず2倍とするものだそうです。)――生れて初めて本屋に持込みました。却々(なかなか)の勇気でした。
◇
4月25日に詩人は安原を訪問した後、
帰りの道で芝書店へ行くことを思い立ったのです。
2人の話の内容が刺激になったのでしょうか。
安原には青天の霹靂(へきれき)でした。
◇
ここまでで手紙の半分ほどです。
今回はここまで。
(つづく)
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