ひとくちメモ「一筆啓上、安原喜弘様」昭和8年7月3日
(前回からつづく)
早や、夏が訪れました。
みなさん今夜は静かです
薬鑵(やかん)の音がしています
僕は女を想(おも)ってる
僕には女がないのです
(冬の夜)
――と歌ったのが昨日のことのようですが
日は着実に進み、後戻りしません。
◇
安原喜弘に届けられた「中原中也の手紙」を
通し番号で数えてみると
昭和5年=10通
昭和6年=14通
昭和7年=27通
昭和8年=19通
昭和9年=14通
昭和10年=8通
昭和11年=2通
昭和12年=6通
――という内訳になります。
昭和10、11、12年などを除けば
月に2通近くの手紙が書かれたことになります。
一つの手紙を読めば半月が流れ
二つ読めば1月が流れ
……
一つの手紙と次の手紙の間にある
時間の連続と非連続とに「眩暈(めまい)」を覚えながら
一個の肉体、一個の精神としての詩人のイメージを紡(つむ)ごうとして
想像力をフル動員することになります。
◇
「手紙61」は、7月3日付け封書、大森・北千束発です。
一部を読みましたが、ここで全文を読んでおきましょう。
◇
ごぶさたしています、先達は雨にやられたでしょう、ハシゴ段を降りるや傘のことを忘れました。すみませんでした。
その後まだ1度も外出しません。夕方大岡山まで歩いたっきりです。からだは、極めて徐々に回復しています。自然に対する感性が少しずつ帰ってくるので、そうと思われます。
読売の五百円はとりにがしました。這入ったら房総方面で二タ月暮らそうと思っていましたのに。
小林はまだ来ません。
今年は夏が嬉しいです。空が美しく見えます。部屋はよく風が通しますので、顔の上に新聞をかぶせて午睡しているとよい気持です。変な話ですが、僕には夏のよさと印刷インキの匂いとが非常によいとりあわせを、もとから感じさせます。
佐渡なぞというのはあんまり一時的な思い付でした。此の夏房総でゆっくりしたいという夢は却々(なかなか)現実性がありました。
まだ手足の力がちっともありませんので、当分外出は控えようと思います。少しまた元気になりましたら、伺います。
ここの所生徒が夏休みになって暇ですから、午睡などしに何卒おいで下さい 怱々
3日
中也
(講談社文芸文庫「中原中也の手紙」より。洋数字に変え、改行を加えてあります。編者。)
◇
この手紙の前の「手紙60」に
「小山で巴里祭見ました、ひどく凝ったもので、水も洩らさぬ仕組ですね」とあるのは
隣町の武蔵小山で映画「パリ祭」を見た感想を述べたもので、
マレーネ・ディートリッヒ主演の「モロッコ」と比較しています。
この、「手紙61」の「夕方大岡山まで歩いたっきりです」とある大岡山は
住まいの「大森区北千束621淵江方」から約400メートルの距離にありました。
(「新編中原中也全集」第5巻・解題篇より)
「目蒲線洗足駅近くの高森文夫の叔母」に住みはじめておよそ1年。
近辺をよく歩き、土地に馴染んでいる詩人の姿が見えます。
◇
小林秀雄の来訪を「病床に臥してあけくれ待ち望んだ」ことと
読売新聞社主催の「東京祭」歌詞懸賞コンクールで一等賞を逸したことの2点を
安原はこの手紙にコメントにしただけでした。
◇
今回はここまで。
(つづく)
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