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2013年7月 9日 (火)

ひとくちメモ「一筆啓上、安原喜弘様」昭和8年4月25日ほか・その3

(前回からつづく)

(とにもかくにも春である)は
冒頭連で
「此(こ)の年、三原山に、自殺する者多かりき」
最終連で
「父無し児、父無し児」(テテナシゴ、テテナシゴ)
――とエピグラフに「社会から疎外された人々」(=この世を生きづらく感じている人々)を主格として扱い、

第2連のエピグラフにも
パッパ、ガーラガラ、
ハーシルハリウーウカ、
ウワバミカーキシャヨ、
キシャヨ、
アーレアノイセイ
――と意味不明のお呪(まじな)いを使ったり

一見してダダっぽい言葉使い(措辞)なのですが
京都時代のダダよりもずっとずっと
洗練され深化(進化)したダダであるところは
京都から10年も経っているのですから当然です。

「社会から疎外された人々」は
「被差別者」とか
「底辺に生きる人々」とか
「社会的弱者」とか
……
生きていることを辛く感じている「マイノリティー」のことですが
ひとくくりに換言できる言葉が見つかりません。

「詩の言葉」を
他の言葉に置き換えることが無理なのですが
詩は「自殺する者」と「父なし児」を同列に置いていますから
「マイノリティー」と言い換えても的外れではないでしょう。

私はその日人生に、
椅子を失くした
――と「港市の秋」に歌った詩人がここにもいます。

冒頭連の
「トタン屋根と桜花(さくらばな)とのチャンポン」というイメージなどは
「春の日の夕暮」(※「山羊の歌」冒頭詩)へ通じるとともに
「正午――丸ビル風景」(※「在りし日の歌」最終章「永訣の歌」所収)へ繋がるものです。

ズバリと言ってしまえば
(とにもかくにも春である)は
中原中也の昭和8年のダダであり
フランス象徴詩、なかでもランボーを通過したダダであり
ダダでありながらダダでない
ダダでないけれどダダである、というような……
中原中也の詩です。

いい機会ですからここで
(とにもかくにも春である)が制作された前後、
すなわち昭和8年(1933年)前半に制作された作品に
じっくり目を通すことにしましょう。

「新編中原中也全集」の
「未発表詩篇〜草稿詩篇(1933年~1936年)」の前半部に
それらを読むことができます。

(ああわれは おぼれたるかな)
 
ああわれは おぼれたるかな
  物音は しずみゆきて
燈火(ともしび)は いよ明るくて
ああわれは おぼれたるかな

母上よ 涙ぬぐいてよ
 朝(あした)には 生みのなやみに
けなげなる小馬の鼻翼
紫の雲のいろして
たからかに希(ねが)いはすれど
たからかに希いはすれど
轣轆(れきろく)と轎(くるま)ねりきて
――――――――
澄みにける羊は瞳
瞼(まぶた)もて暗きにいるよ
  ―――――――――――――

小 唄
 
僕は知ってる煙(けむ)が立つ
 三原山には煙が立つ

行ってみたではないけれど
 雪降り積った朝(あした)には

寝床の中で呆然(ぼうぜん)と
 煙草くゆらせ僕思う

三原山には煙が立つ
 三原山には煙が立つ
      (一九三三.二.一七)

早春散歩
 
空は晴れてても、建物には蔭(かげ)があるよ、
春、早春は心なびかせ、
それがまるで薄絹(うすぎぬ)ででもあるように
ハンケチででもあるように
我等の心を引千切(ひきちぎ)り
きれぎれにして風に散らせる

私はもう、まるで過去がなかったかのように
少なくとも通っている人達の手前そうであるかの如(ごと)くに感じ、
風の中を吹き過ぎる
異国人のような眼眸(まなざし)をして、
確固たるものの如く、
また隙間風(すきまかぜ)にも消え去るものの如く

そうしてこの淋しい心を抱いて、
今年もまた春を迎えるものであることを
ゆるやかにも、茲(ここ)に春は立返ったのであることを
土の上の日射しをみながらつめたい風に吹かれながら
土手の上を歩きながら、遠くの空を見やりながら
僕は思う、思うことにも慣れきって僕は思う……

(形式整美のかの夢や)

      ▲
         高橋新吉に

形式整美のかの夢や
羅馬(ローマ)の夢はや地に落ちて、
我今日し立つ嶢角(ぎょうかく)の
土硬くして風寒み

希望ははやも空遠く
のがるる姿我は見ず
脛(はぎ)は荒るるにまかせたる
我や白衣の巡礼と

身は風にひらめく幟(のぼり)とも
長き路上におどりいで
自然を友に安心立命
血は不可思議の歌をかなづる
     (一九三三・四・二四)
 

(風が吹く、冷たい風は)
 
      ▲

風が吹く、冷たい風は
窓の硝子(ガラス)に蒸気を凍りつかせ
それを透かせてぼんやりと
遠くの山が見えまする汽車の朝

僕の希望も悔恨も
もう此処(ここ)までは従(つ)いて来ぬ
僕は手ぶらで走りゆく
胸平板(むねへいばん)のうれしさよ

昨日は何をしたろうか日々何をしていたろうか
皆目僕は知りはせぬ
胸平板のうれしさよ

(汽車が小さな駅に着いて、散水車がチョコナンとあることは、
小倉(こくら)服の駅員が寒そうであることは、幻燈風景
七里結界に係累はないんだ)
 

(とにもかくにも春である)
 
       ▲

         此(こ)の年、三原山に、自殺する者多かりき。

 とにもかくにも春である、帝都は省線電車の上から見ると、トタン屋根と桜花(さくらばな)とのチャンポンである。花曇りの空は、その上にひろがって、何もかも、睡(ねむ)がっている。誰ももう、悩むことには馴れたので、黙って春を迎えている。おしろいの塗り方の拙(まず)い女も、クリーニングしないで仕舞っておいた春外套の男も、黙って春を迎え、春が春の方で勝手にやって来て、春が勝手に過ぎゆくのなら、桜よ咲け、陽も照れと、胃の悪いような口付をして、吊帯にぶる下っている。薔薇色(ばらいろ)の埃(ほこ)りの中に、車室の中に、春は来、睡っている。乾からびはてた、羨望(せんぼう)のように、春は澱(よど)んでいる。

      ▲
        パッパ、ガーラガラ、ハーシルハリウーウカ、ウワバミカーキシャヨ、キシャヨ、アーレアノイセイ

十一時十五分、下関行終列車
窓から流れ出している燈光(ひかり)はあれはまるで涙じゃないか
送るもの送られるもの
みんな愉快げ笑っているが

旅という、我等の日々の生活に、
ともかくも区切りをつけるもの、一線を劃(かく)するものを
人は喜び、大人なお子供のようにはしゃぎ
嬉しいほどのあわれをさえ感ずるのだが、

めずらかの喜びと新鮮さのよろこびと、
まるで林檎(りんご)の一と山ででもあるように、
ゆるやかに重そうに汽車は運び出し、
やがてましぐらに走りゆくのだが、

淋しい夜(よる)の山の麓(ふもと)、長い鉄橋を過ぎた後に、
――来る曙(あけぼの)は胸に沁(し)み、眺に沁みて、
昨夜東京駅での光景は、
あれはほんとうであったろうか、幻ではなかったろうか。

      ▲

闇に梟(ふくろう)が鳴くということも
西洋人がパセリを食べ、朝鮮人がにんにくを食い
我々が葱(ねぎ)を常食とすることも、
みんなおんなしようなことなんだ
秋の夜、
僕は橋の上に行って梨を囓(かじ)った
夜の風が
歯茎にあたるのをこころよいことに思って

寒かった、
シャツの襟(えり)は垢(あか)じんでいた
寒かった、
月は河波に砕けていた

      ▲

        おお、父無し児、父無し児

 雨が降りそうで、風が凪(な)ぎ、風が出て、障子(しょうじ)が音を立て、大工達の働いている物音が遠くに聞こえ、夕闇は迫りつつあった。この寒天状の澱(よど)んだ気層の中に、すべての青春的事象は忌(いま)わしいものに思われた。
 落雁(らくがん)を法事の引物(ひきもの)にするという習慣をうべない、権柄的(けんぺいてき)気六ヶ敷(きむずかし)さを、去(い)にし秋の校庭に揺れていたコスモスのように思い出し、やがて忘れ、電燈をともさず一切構わず、人が不衛生となすものぐさの中に、僕は溺(おぼ)れペンはくずおれ、黄昏(たそがれ)に沈没して小児の頃の幻想にとりつかれていた。
 風は揺れ、茅(かや)はゆすれ、闇は、土は、いじらしくも怨(うら)めしいものであった。
 

(宵の銀座は花束捧げ)
 
宵(よい)の銀座は花束捧(ささ)げ、
  舞うて踊って踊って舞うて、
我等(われら)東京市民の上に、
  今日は嬉(うれ)しい東京祭り

今宵(こよい)銀座のこの人混みを
  わけ往く心と心と心
我等東京住いの身には、
  何か誇りの、何かある。

心一つに、心と心
  寄って離れて離れて寄って、
今宵銀座のこのどよもしの
  ネオンライトもさんざめく

ネオンライトもさざめき笑えば、
  人のぞめきもひときわつのる
宵の銀座は花束捧げ、
  今日は嬉しい東京祭り

(ああわれは おぼれたるかな)は昭和8年(1933年)1月、
(宵の銀座は花束捧げ)は昭和8年6月の制作(推定)とされています。

今回はここまで。

(つづく)

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