ひとくちメモ「一筆啓上、安原喜弘様」昭和9年2月10日
(前回からつづく)
昭和8年の暮れに引越しを済ませたのは
昭和9年を「花園アパ-ト」ではじめたかったからでしょうか。
故郷山口県・湯田温泉で挙式した後、
新居を新宿・花園町の青山二郎が住むアパ-トに構え
やがて長男が生まれ
一家の主となる詩人――。
新しい年がはじまりました。
◇
花園アパート2号館30 電5559 中也
――これが、新宿の新居から安原へ送った初の手紙の発信元でした。
電話もありました。
四谷区とか豊多摩郡とかを省略して
いきなり町名とアパート名でした。
その後は、谷町に引っ越す昭和10年6月まで
四谷花園アパート 中原中也
四谷花園町95 花園アパート 中原中也
東京四谷花園町95 花園アパート 中原中也
――などと、市区名を入れていますが
表記は一定していません。
アパート名が町名とがダブっているため
その都度、同語反復が気になったのでしょうか。
◇
「舵を切った」感じ、
「スイッチを入れた」感じ、
「ギア・チェンジした」感じ
――があります。
安原喜弘が心配していた魂の動乱や内臓の病気は
どこかへ消えてしまったかのような年明けですが……。
◇
第1便は「手紙71 2月10日 (封書)」(新全集では「136」)。
全文を読みましょう。
◇
お葉書拝見僕こそ大層御無沙汰しています
御風邪の由 何卒御養生専一に願上げます
蓄音器は先月末に買ったのですが、吉田が欲しがっていましたからその方へ葉書出してみましょう
僕事 シェストフの本を読んだり、小林から「おまえが怠け者になるもならないのも今が境いだ」と云われたりしたことから ここもと丹田に力を入れることが精一杯になっているのです
池谷が死んだり嘉村が死んだり佐々木味津三が死んだり なんだか砂混りの風が吹いているような気がします どうもウスラ悲しい時代だということはどうもほんと 考えあぐんだ上で、からだの調子がよいということが万事にもまして大事だと思います
その次にはハキハキとするということ。尠(すくな)くも文壇はハキハキしていません これが神経ある者のからだを損う一大原因だと思います
(「行空き」を加えてあります。編者。)
◇
途中ですが、今回読むのはここまでにします。
◇
「丹田に力を入れること」とあり
それは、新年にあたってということでもありますが
小林秀雄から厳しく叱咤(しった)されて奮起したということのようです。
「おまえが怠け者になるもならないのも今が境いだ」とは
詩人の未来を「鷲(わし)づかみ」にしたような直言で
詩人は、これを真正面から受け止めようとしているようです。
近辺で作家の死が相次いで
時代が砂混じりの風が吹いているようでもあるし
からだの調子がよいことが大事と自身の体調を気遣い
文壇のふがいない状況へなんらモノを言わないでは
その大事なからだを損うとまで不満を洩らします。
◇
自身のからだを気遣うことの上に
文壇状況へ眼を向けるというところにまで
この年初めに、詩人はいるのです。
◇
今回はここまで。
(つづく)
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