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2013年7月11日 (木)

ひとくちメモ「一筆啓上、安原喜弘様」昭和8年4月25日ほか・その4

(前回からつづく)

(ああわれは おぼれたるかな)………1月制作(推定)
「小唄」…………………………………2月17日制作
「早春散歩」……………………………早春制作(推定)
(形式整美のかの夢や)………………4月24日制作
(風が吹く、冷たい風は)………………4月24日制作(推定)
――と読んできた上で
(とにもかくにも春である)を読みますと
自然な流れを感じませんか?

詩人は
3月21日に山口に帰り
4月6日に東京に戻りました。

(風が吹く、冷たい風は)の風は
窓の硝子(ガラス)に蒸気を凍りつかせる風です。
詩の中の詩人は汽車の中ですが
それを何日かして歌いました。

「早春散歩」の風も
吹いているのは街中か
故郷の土手か――と
詮索(せんさく)してみたくなる風ですが
どっちで吹いていたのか
詩人の心の中を吹いていたことだけは確かなことです。

「小唄」にも
(形式整美のかの夢や)にも
風は吹いています。

風が吹いているのならまだいい。
(ああわれは おぼれたるかな)は
「暗き」にいるだけの詩人が
「母上の涙」を思います。

「動乱」のピーク近くで
この詩は作られたと考えれば
安原の見ていた詩人に近づくでしょうか。

(とにもかくにも春である)には
(ああわれは おぼれたるかな)
「小唄」
「早春散歩」
(形式整美のかの夢や)
(風が吹く、冷たい風は)
――と歌ってきた詩の流れが
どーっと集まっています。
まるで「集大成のような
なかなかの詩であることがわかってきます。

その根底には
ダダがあります。

「自殺」「パッパ、ガーラガラ、ハーシルハリウーウカ」「父無し児」……と
それだけでダダです。

「トタン屋根」「チャンポン」「涙」「幻」……も。
「梟」「パセリ」「にんにく」「葱」「梨」……も。
「青春的事象」「権柄的気六ヶ敷さ」……も。

はじめ、安原喜弘宛、昭和8年4月25日付け封書に同封されたこの詩は
考証が進められた現在では
「全4節で構成された連作詩風の詩篇」が最終形とされるようになりました。

ここでは
「中原中也の手紙」に安原が掲出した形態の詩を
載せておきます。

※最終形は、「無題」とあるところを「▲」に置き換え
連続(断続)を表わしています。

無題

         此(こ)の年、三原山に、自殺する者多かりき。

 とにもかくにも春である、帝都は省線電車の上から見ると、トタン屋根と桜花(さくらばな)とのチャンポンである。花曇りの空は、その上にひろがって、何もかも、睡(ねむ)がっている。誰ももう、悩むことには馴れたので、黙って春を迎えている。おしろいの塗り方の拙(まず)い女も、クリーニングしないで仕舞っておいた春外套の男も、黙って春を迎え、春が春の方で勝手にやって来て、春が勝手に過ぎゆくのなら、桜よ咲け、陽も照れと、胃の悪いような口付をして、吊帯にぶる下っている。薔薇色(ばらいろ)の埃(ほこ)りの中に、車室の中に、春は来、睡っている。乾からびはてた、羨望(せんぼう)のように、春は澱(よど)んでいる。

無題

        パッパ、ガーラガラ、ハーシルハリウーウカ、ウワバミカーキシャヨ、キシャヨ、アーレアノイセイ

十一時十五分、下関行終列車
窓から流れ出している燈光(ひかり)はあれはまるで涙じゃないか
送るもの送られるもの
みんな愉快げ笑っているが

旅という、我等の日々の生活に、
ともかくも区切りをつけるもの、一線を劃(かく)するものを
人は喜び、大人なお子供のようにはしゃぎ
嬉しいほどのあわれをさえ感ずるのだが、

めずらかの喜びと新鮮さのよろこびと、
まるで林檎(りんご)の一と山ででもあるように、
ゆるやかに重そうに汽車は運び出し、
やがてましぐらに走りゆくのだが、

淋しい夜(よる)の山の麓(ふもと)、長い鉄橋を過ぎた後に、
――来る曙(あけぼの)は胸に沁(し)み、眺に沁みて、
昨夜東京駅での光景は、
あれはほんとうであったろうか、幻ではなかったろうか。

無題

闇に梟(ふくろう)が鳴くということも
西洋人がパセリを食べ、朝鮮人がにんにくを食い
我々が葱(ねぎ)を常食とすることも、
みんなおんなしようなことなんだ

秋の夜、
僕は橋の上に行って梨を囓(かじ)った
夜の風が
歯茎にあたるのをこころよいことに思って

寒かった、
シャツの襟(えり)は垢(あか)じんでいた
寒かった、
月は河波に砕けていた

無題

        おお、父無し児、父無し児

 雨が降りそうで、風が凪(な)ぎ、風が出て、障子(しょうじ)が音を立て、大工達の働いている物音が遠くに聞こえ、夕闇は迫りつつあった。この寒天状の澱(よど)んだ気層の中に、すべての青春的事象は忌(いま)わしいものに思われた。
 落雁(らくがん)を法事の引物(ひきもの)にするという習慣をうべない、権柄的(けんぺいてき)気六ヶ敷(きむずかし)さを、去(い)にし秋の校庭に揺れていたコスモスのように思い出し、やがて忘れ、電燈をともさず一切構わず、人が不衛生となすものぐさの中に、僕は溺(おぼ)れペンはくずおれ、黄昏(たそがれ)に沈没して小児の頃の幻想にとりつかれていた。
 風は揺れ、茅(かや)はゆすれ、闇は、土は、いじらしくも怨(うら)めしいものであった。

今回はここまで。

(つづく)

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