ひとくちメモ「一筆啓上、安原喜弘様」昭和8年7月20日、30日・その2
(前回からつづく)
「新編中原中也全集」の「中原中也年譜」(加藤邦彦作成)によると
中原中也が銀座「きゅうべる」で行われた「紀元」発刊準備会に出席したのは
昭和8年5月10日。
詩人による小自伝「詩的履歴書」にも
昭和8年5月、偶然のことより文芸雑誌「紀元」同人となる
――と記されているのはよく知られたことです。
この会で牧野信一を知ったのですが
牧野から入会を勧められたのでしょうか
それとも、ほかのだれかからだったのでしょうか
坂口安吾自らの勧めもあったのでしょうか
「偶然のこと」で詩人は「紀元」同人になりました。
◇
大岡昇平によれば
「紀元」には坂口安吾も加わっていたが、坂口自身はすでに「竹藪の家」「黒谷村」などで新進作家としての位置を確立している。むしろその友人や後輩の集団なので、中原としてはやや身を落した感じである。小説家志願の集りで、詩人は異例なのだが、安原喜弘、富永次郎など、昔の「白痴群」同人を誘い、編集会議などによく出席していたようである。
(「中原中也全集」「評論・小説」解説より。)
――という「紀元」の位置づけですが
これを書いたのは1968年2月のことでしたから
「情報不足」からか、
詩人の関わり具合や役割については過小評価の観が否めません。
◇
詩人は「今度の号は僕が編輯」とか「編輯主任の私宅」とかと自らいい
それなりの裁量権を行使していたようですし
ランボーの翻訳では
「紀元」はメーンの舞台となりました。
創刊準備の頃から「紀元」に関わり
途中で同人をやめますが
昭和11年7月号まで寄稿を続けます。
◇
安原は詩人の「変化」に何度も目を丸くしますが
「これがかつての世にも人づきあいの悪いあの中原中也と同じ中原中也であろうかと目を疑うほどの変わりように驚き入るばかりであった。」(「手紙63 7月30日」へのコメント)と
ここでも「驚き」の色を隠しません。
◇
「紀元」に発表された創作詩を見てみましょう。
<山羊の歌>収録の詩
「サーカス」
「春の夜」
「秋の一日」
「凄じき黄昏」
「夏の日の歌」●
「春の思い出」
「汚れっちまった悲しみに……」
「つみびとの歌」
「秋」
<在りし日の歌>収録の詩
「月」●
「骨」●
(※●は、「紀元」が初出。編者。)
◇
安原は「紀元」に小説「汚い目」「ミスタ・Q」や
評論「文学界の動向」「祖国日本に帰へりて」「自涜精神を撲滅せよ」を発表したほか
詩人の勧めに応じて雑誌「青い花」の同人にもなるなど
「成城騒動」の余波に乗ったかのように
この頃、文筆活動を旺盛に行っていました。
◇
富永次郎は「紀元」同人とはならず
成城学園の加藤英倫が同人となります。
◇
今回はここまで。
(つづく)
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