ひとくちメモ「一筆啓上、安原喜弘様」昭和3年~・出会いの頃その5
(前回からつづく)
中原中也が初めて詩集の発行を考えたのは
昭和2~3年頃と推定されています。
京都で知り合った富永太郎が急逝して2年後の昭和2年に
家族らによって私家版「富永太郎詩集」が刊行されましたが
それに刺激を受けたことなどが
詩集発行計画のきっかけでした。
このときは原稿用紙への清書までで終わり
計画は実現されませんでした。
◇
中也が所持していたこの清書原稿の「束」を
諸井三郎や関口隆克が目撃したという証言があります。
これらの証言を
現存している原稿の「用紙」の種類によって分類し
原稿(詩)の内容(制作日など)と照合・分析した結果
13篇が「第1詩集用清書原稿群」とされています。
この原稿群を列挙しますと
「夜寒の都会」
「春と恋人」
「屠殺所」
「冬の日」
「聖浄白眼」
「詩人の嘆き」
「処女詩集序」
「秋の夜」
「浮浪」
「深夜の思い」
「春」
「春の雨」
「夏の夜」
――の13篇です。
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰ解題篇)
ほとんどが「未発表詩篇」です。
「深夜の思い」が「白痴群」に
「春」が「生活者」に発表されているだけです。
(「深夜の思い」は「山羊の歌」に
「春」は「在りし日の歌」に収録されます。)
つまり「山羊の歌」には
計画だけに終わった「処女詩集」の内容は
ほとんど反映されていないということができますが
見方を変えれば、
「深夜の思い」を収録することによって「連続」し
また「在りし日の歌」に「春」を収録することによって
「処女詩集」の頃との「連続」を意図したということが見えてきます。
◇
ここで「深夜の思い」と「春」を読んでおきましょう。
◇
深夜の思い
これは泡立つカルシウムの
乾きゆく
急速な――頑(がん)ぜない女の児の泣声(なきごえ)だ、
鞄屋(かばんや)の女房の夕(ゆうべ)の鼻汁だ。
林の黄昏は
擦(かす)れた母親。
虫の飛交(とびか)う梢(こずえ)のあたり、
舐子(おしゃぶり)のお道化(どけ)た踊り。
波うつ毛の猟犬見えなく、
猟師は猫背を向(むこ)うに運ぶ。
森を控えた草地が
坂になる!
黒き浜辺にマルガレエテが歩み寄(よ)する
ヴェールを風に千々(ちぢ)にされながら。
彼女の肉(しし)は跳び込まねばならぬ、
厳(いか)しき神の父なる海に!
崖の上の彼女の上に
精霊が怪(あや)しげなる条(すじ)を描く。
彼女の思い出は悲しい書斎の取片附(とりかたづ)け
彼女は直(じ)きに死なねばならぬ。
◇
春
春は土と草とに新しい汗をかかせる。
その汗を乾かそうと、雲雀(ひばり)は空に隲(あが)る。
瓦屋根(かわらやね)今朝不平がない、
長い校舎から合唱(がっしょう)は空にあがる。
ああ、しずかだしずかだ。
めぐり来た、これが今年の私の春だ。
むかし私の胸摶(う)った希望は今日を、
厳(いか)めしい紺青(こあお)となって空から私に降りかかる。
そして私は呆気(ほうけ)てしまう、バカになってしまう
――薮かげの、小川か銀か小波(さざなみ)か?
薮(やぶ)かげの小川か銀か小波か?
大きい猫が頸ふりむけてぶきっちょに
一つの鈴をころばしている、
一つの鈴を、ころばして見ている。
◇
それにしても、
計画だけにとどまった「処女詩集」の詩篇が
「山羊の歌」にほとんど採用されず
それに引きかえ
「白痴群」に発表された詩篇は
すべてが「山羊の歌」に収録されたということになり
このことの意味は重大といえます。
◇
今回はここまで。
(つづく)
にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)
最近のコメント