ひとくちメモ「一筆啓上、安原喜弘様」昭和3年~・出会いの頃その4
(前回からつづく)
「白痴群」は
昭和4年4月に創刊号を出してから
6月に第2号
9月に第3号
11月に第4号
昭和5年1月に第5号
4月に第6号
――と一見順調な歩みを見せるのですが
この第6号で廃刊に追い込まれます。
大岡昇平や富永次郎との詩人の「喧嘩」が発端といわれる
有名な事件の結果でした。
◇
安原は
「白痴群」第2号に「詩一篇」、
第4号に「暁」、
第5号に「午后四時」の3篇の詩を発表しています。
この詩について
7月に入って我々は早々に東京に引き上げ一夏を過ごした。8月私は雑誌に小さな詩を発表した。
中原と私との交遊が始まったのはこの詩を機縁としてである。
――と安原は「中原中也の手紙」のイントロ部で記しました。
「小さな詩」とは
この3篇の詩のうちのどれかです。
◇
先ごろ神奈川近代文学館で行われていた企画展
「中原中也の手紙――安原喜弘へ」の公式パンフレット(中原中也記念館発行)には
安原が作った詩が1篇だけ紹介されています。
この詩が
「白痴群」第2号に載った「詩一篇」です。
◇
詩一篇
なごみてあれや我が心、我も人技(ひとわざ)なすものなり
かつて
まこと持たぬ我心は
熱病んだ肉の身をそのままに
のたうち廻る痴れ心地
身のうちに、唯一つ
信ずるもののあるを忘れ
虚空を掴んだはかなさよ。
人皆目醒めの朝は、いで我も
手に触れるものを打ち振って
祈ろうではないか
そして又泥酔の一時に
若しも思出が蘇ったなら、嘗ての
血迷った無信を詫びようではないか
―1929、5、―
(「新かな」「洋数字」に変えました。編者。)
◇
この「詩一篇」の「返歌」として
中原中也が作ったのが「詩友に」でした。
実際にはその逆だったのかもしれません。
「詩友に」は
はじめ「白痴群」創刊号に全4連のソネットとして発表されましたが(第1次形態)
第6号で「無題」とタイトルを変えられ、
5節構成に作り変えられた長詩の一部となりました。
「詩友に」は「無題」の第3節になったのです(第2次形態)。
「山羊の歌」でも、この第2次形態が維持されましたから
現在、発表詩篇の中に「詩友に」のタイトルを見つけることはできません。
◇
「無題」は
「山羊の歌」の「みちこ」の章に収められ
「汚れっちまった悲しみに……」の次に配置されています。
その「無題」の第3節で「本文」を読むことができます。
ここでは
「無題」全文を読んでおきましょう。
◇
無 題
Ⅰ
こい人よ、おまえがやさしくしてくれるのに、
私は強情だ。ゆうべもおまえと別れてのち、
酒をのみ、弱い人に毒づいた。今朝
目が覚めて、おまえのやさしさを思い出しながら
私は私のけがらわしさを歎(なげ)いている。そして
正体もなく、今茲(ここ)に告白をする、恥もなく、
品位もなく、かといって正直さもなく
私は私の幻想に駆られて、狂い廻(まわ)る。
人の気持ちをみようとするようなことはついになく、
こい人よ、おまえがやさしくしてくれるのに
私は頑(かたく)なで、子供のように我儘(わがまま)だった!
目が覚めて、宿酔(ふつかよい)の厭(いと)うべき頭の中で、
戸の外の、寒い朝らしい気配(けはい)を感じながら
私はおまえのやさしさを思い、また毒づいた人を思い出す。
そしてもう、私はなんのことだか分らなく悲しく、
今朝はもはや私がくだらない奴だと、自(みずか)ら信ずる!
Ⅱ
彼女の心は真(ま)っ直(すぐ)い!
彼女は荒々しく育ち、
たよりもなく、心を汲(く)んでも
もらえない、乱雑な中に
生きてきたが、彼女の心は
私のより真っ直いそしてぐらつかない。
彼女は美しい。わいだめもない世の渦の中に
彼女は賢くつつましく生きている。
あまりにわいだめもない世の渦(うず)のために、
折(おり)に心が弱り、弱々しく躁(さわ)ぎはするが、
而(しか)もなお、最後の品位をなくしはしない
彼女は美しい、そして賢い!
甞(かつ)て彼女の魂が、どんなにやさしい心をもとめていたかは!
しかしいまではもう諦めてしまってさえいる。
我利(がり)々々で、幼稚な、獣(けもの)や子供にしか、
彼女は出遇(であ)わなかった。おまけに彼女はそれと識らずに、
唯(ただ)、人という人が、みんなやくざなんだと思っている。
そして少しはいじけている。彼女は可哀想(かわいそう)だ!
Ⅲ
かくは悲しく生きん世に、なが心
かたくなにしてあらしめな。
われはわが、したしさにはあらんとねがえば
なが心、かたくなにしてあらしめな。
かたくなにしてあるときは、心に眼(まなこ)
魂に、言葉のはたらきあとを絶つ
なごやかにしてあらんとき、人みなは生れしながらの
うまし夢、またそがことわり分ち得ん。
おのが心も魂も、忘れはて棄て去りて
悪酔の、狂い心地に美を索(もと)む
わが世のさまのかなしさや、
おのが心におのがじし湧(わ)きくるおもいもたずして、
人に勝(まさ)らん心のみいそがわしき
熱を病(や)む風景ばかりかなしきはなし。
Ⅳ
私はおまえのことを思っているよ。
いとおしい、なごやかに澄んだ気持の中に、
昼も夜も浸っているよ、
まるで自分を罪人ででもあるように感じて。
私はおまえを愛しているよ、精一杯だよ。
いろんなことが考えられもするが、考えられても
それはどうにもならないことだしするから、
私は身を棄ててお前に尽そうと思うよ。
またそうすることのほかには、私にはもはや
希望も目的も見出せないのだから
そうすることは、私に幸福なんだ。
幸福なんだ、世の煩(わずら)いのすべてを忘れて、
いかなることとも知らないで、私は
おまえに尽(つく)せるんだから幸福だ!
Ⅴ 幸福
幸福は厩(うまや)の中にいる
藁(わら)の上に。
幸福は
和(なご)める心には一挙にして分る。
頑(かたく)なの心は、不幸でいらいらして、
せめてめまぐるしいものや
数々のものに心を紛(まぎ)らす。
そして益々(ますます)不幸だ。
幸福は、休んでいる
そして明らかになすべきことを
少しづつ持ち、
幸福は、理解に富んでいる。
頑なの心は、理解に欠けて、
なすべきをしらず、ただ利に走り、
意気銷沈(いきしょうちん)して、怒りやすく、
人に嫌われて、自(みずか)らも悲しい。
されば人よ、つねにまず従(したが)わんとせよ。
従いて、迎えられんとには非ず、
従うことのみ学びとなるべく、学びて
汝(なんじ)が品格を高め、そが働きの裕(ゆた)かとならんため!
◇
「みちこ」の章には
「みちこ」という詩もそうですが
(泰子を歌った)恋愛詩ばかりではなく、
中也の詩で最もポピュラーといってよい「汚れっちまった悲しみに……」があり、
宗教性の漂う「更くる夜 内海誓一郎に」や「つみびとの歌 阿部六郎に」があり
この「無題」も配置されています。
◇
「みちこ」や「泰子」を歌った恋愛詩にまぎれて
「無題」には安原との交感が隠された印象です。
こんなところに「無題」とタイトルされた詩が置かれている意味が
ぼんやりと見えてきて
驚かされるばかりです。
◇
今回はここまで。
(つづく)
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