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2013年8月25日 (日)

ひとくちメモ「一筆啓上、安原喜弘様」昭和3年~・出会いの頃

(前回からつづく)

「中原中也の手紙」の中で
安原喜弘が詩人との「距離」を漏らしたことは
詩人が新宿・花園アパートへ転居した頃にもありました。

「手紙71 昭和9年2月10日」へのコメントで
「しかし私はこれらの仲間からは意識して次第に遠のいていった。私達は前程頻繁には会わなくなった。」と書いているのがその初めての例でしょう。 

「手紙90 4月29日 (封書)」へのコメントでは
「私達の在り方に対する痛烈な批判」とこの手紙を呼んでいますが
次の「手紙91 6月5日 (封書)」へのコメントでは
「彼の昇天に至る最後の2年間をあわただしく叙(かた)り終ろうとする。」と書いて
およそ9年間に及んだ2人の交友の
最後に訪れた悲劇的結末について案内していきます。

「中原中也の手紙」は、
あと10通を残すだけなのですが
詩人との最後の2年間を追っていく流れにどうも乗れません。

終わりが近づくに連れて
始まりのおぼろげなさが気になりはじめるのです。

上京後の詩人が安原と出合った頃には
「山羊の歌」に収められた詩の大半を歌い終わっていたと安原は言いますが
「生の歌」を果敢に歌っていたこの頃に
もう少し佇(たたず)んでいたい気持ちです。

ここで2人が出会った昭和のはじめへと
時計の針を巻き戻すことにします。

 中原が初めてその仮借なき非情の容貌を私の前に現わしたのは昭和3年秋のことであった。当時私は高等学校の学生であり、情熱の赴くまま常に行動を共にする一群の文学青年の中にあった。その中の一人大岡昇平が或晩彼を伴って私の家に来た。大岡はそのフランス語勉強の先輩小林秀雄の紹介で既に中原と知り彼と足繁く交際していたので、私も中原の存在についてはかねて大岡達の口を通じて聞いてはいたのであるが会うのはこの時が初めてであった。

――と安原喜弘は、「中原中也の手紙」をこのように書き出しました。

この初対面の日は

その晩はベートーヴェンの第9シンフォニーのレコードを3人して聴いて帰って行った。私はこの時から彼に惹き付けられて行った。

――と続けられて終わります。

初対面は、大岡昇平、中原中也、安原喜弘の3人だったのです。
大岡昇平と詩人は、昭和3年春、小林秀雄を通じて知り合っていました。
大岡が、詩人と成城グループの橋渡しをした一人ということになります。

次に私が彼に会ったのはそれから数日後に行われた私の高等学校の運動会の最中であった。

その日彼は黒のルパシカに5尺に足らぬその体を包んで黒のお釜帽子をかぶり「スルヤ」の発表会の切符を持って私の前に現れた。このいでたちは当時彼の制服であり、後にルパシカは黒の背広に代えられ、更に後にはお釜帽子が黒ベレーに代えられたのである。

冬にはこれもやはり黒の外套がその身を包んだ。本書の巻頭にのる彼の肖像写真はそれより少し前に写されたものであって、当時はこの写真より遥かに酷烈さを湛えていたのだが、その帽子は当時と同じもので、余程後まで彼の頭上にあった。

私が初めて彼の手紙を受けとったのはこの時の音楽会の切符依頼に関するものであったが今は見当たらない。

昭和3年の秋は、このようにたわいもなく過ぎていったようですが
翌昭和4年は、同人雑誌「白痴群」が発刊される年でした。
背後ではその準備に追われる詩人らの姿があります。

昭和4年3月には、成城学園を卒業した安原、大原、富永次郎は京都帝大に進んでいます。
4月に「白痴群」は出るのですが
その間、創刊打ち合わせのための会合が東京であり
安原らはこれに参加するために上京、
それが終るとまた京都へ戻る、といったあわただしさの中にありました。
詩人も5月には「白痴群」の打ち合わせで京都を訪れました。

7月に入って我々は早々に東京に引き上げ一夏を過ごした。8月私は雑誌に小さな詩を発表した。中原と私との交遊が始まったのはこの詩を機縁としてである。この時から私と中原との市井の放浪生活は始まったのである。

私達は殆ど連日連夜乏しい金を持って市中を彷徨した。いつも最初は人に会いに行くのであったが。3度に2度は断わられた。それから又次の方針を決定し、疲れると酒場に腰をすえるのである。時には昼日中から酒を飲んだ。酔うとよく人に絡んだ。そしてこの国の宿命的な固定観念と根気よく戦った。

昭和4年の夏がこうして過ぎていきました。

今回はここまで。

(つづく)

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