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2013年8月26日 (月)

ひとくちメモ「一筆啓上、安原喜弘様」昭和3年~・出会いの頃その2

(前回からつづく)

この頃の彼は既に「初期詩篇」のいくつかと「少年時」に出て来る苛烈な心象風景を歌い終っていた。
――と安原喜弘は、昭和4年の夏を振り返って記しています。

「歌い終わっていた」詩とは
どの詩を指しているでしょうか?

安原が例示するのは
「失せし希望」(少年時)
「盲目の秋」(少年時)
「木蔭」(少年時)
「夏」(少年時)
「いのちの声」(羊の歌)
「寒い夜の自我像」(少年時)
――です。

主に「少年時」から取り上げていますが
「朝の歌」(初期詩篇)の初稿が作られたのが大正15年で
「初期詩篇」のほとんどが「朝の歌」の制作と前後しているものでしょうから
「朝の歌」以後の詩境を見せる「少年時」の詩群が
安原には肉感的にも鮮烈な印象を与えていたことが想像できます。

「少年時」の詩群を引っさげて
詩人は安原の前に現れたと見ることができるでしょう。
いうまでもなく
「少年時」収載の詩篇のほとんどは
「白痴群」に発表したものでした。

中でも、最も強く印象に残ったのは
「盲目の秋」のようでした。
繰り返し、「盲目の秋」のフレーズを引用しています。

盲目の秋
 
   Ⅰ

風が立ち、浪(なみ)が騒ぎ、
  無限の前に腕を振る。
その間(かん)、小さな紅(くれない)の花が見えはするが、
  それもやがては潰(つぶ)れてしまう。
風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまえに腕を振る。
もう永遠に帰らないことを思って
  酷薄(こくはく)な嘆息(たんそく)するのも幾(いく)たびであろう……
私の青春はもはや堅い血管となり、
  その中を曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽とがゆきすぎる。
それはしずかで、きらびやかで、なみなみと湛(たた)え、
  去りゆく女が最後にくれる笑(えま)いのように、
  
厳(おごそ)かで、ゆたかで、それでいて佗(わび)しく
  異様で、温かで、きらめいて胸に残る……
      ああ、胸に残る……
風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまえに腕を振る。

   Ⅱ

これがどうなろうと、あれがどうなろうと、
そんなことはどうでもいいのだ。
これがどういうことであろうと、それがどういうことであろうと、
そんなことはなおさらどうだっていいのだ。
人には自恃(じじ)があればよい!
その余(あまり)はすべてなるままだ……
自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、
ただそれだけが人の行(おこな)いを罪としない。
平気で、陽気で、藁束(わらたば)のようにしんみりと、
朝霧を煮釜に塡(つ)めて、跳起(とびお)きられればよい!

   Ⅲ

私の聖母(サンタ・マリヤ)!
  とにかく私は血を吐いた! ……
おまえが情けをうけてくれないので、
  とにかく私はまいってしまった……
それというのも私が素直(すなお)でなかったからでもあるが、
  それというのも私に意気地(いくじ)がなかったからでもあるが、
私がおまえを愛することがごく自然だったので、
  おまえもわたしを愛していたのだが……
おお! 私の聖母(サンタ・マリヤ)!
  いまさらどうしようもないことではあるが、
せめてこれだけ知るがいい――
ごく自然に、だが自然に愛せるということは、
  そんなにたびたびあることでなく、
そしてこのことを知ることが、そう誰にでも許されてはいないのだ。

   Ⅳ

せめて死の時には、
あの女が私の上に胸を披(ひら)いてくれるでしょうか。
  その時は白粧(おしろい)をつけていてはいや、
  その時は白粧をつけていてはいや。
ただ静かにその胸を披いて、
私の眼に副射(ふくしゃ)していて下さい。
  何にも考えてくれてはいや、
  たとえ私のために考えてくれるのでもいや。
ただはららかにはららかに涙を含み、
あたたかく息づいていて下さい。
――もしも涙がながれてきたら、
いきなり私の上にうつ俯(ぶ)して、
それで私を殺してしまってもいい。
すれば私は心地よく、うねうねの暝土(よみじ)の径(みち)を昇りゆく。

そしてこの後で、
「寒い夜の自我像」の最終連

陽気で、坦々(たんたん)として、而(しか)も己(おのれ)を売らないことをと、
わが魂の願うことであった!
――を呼び出します。

この頃の詩人の姿は
ここに最も的確に現れていることを案内するのです。

「この国の宿命的な固定観念と根気よく戦った」詩人の
傷だらけの日々がこうして語られます。

今回はここまで。

(つづく)

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