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2013年9月24日 (火)

ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩1「女よ」その2

(前回からつづく)

泰子が小林に逃げられたという知らせは
中也を喜ばせました。
泰子が再び戻ってくるという期待があったからでしょう。

その頃
大岡昇平は中也が渋谷駅周辺の町角を
タクシーでどこかへ行くところに遭遇しました。
その場面を「思想」の締めくくりに記述していて
ここに出てくる詩人の「顔」を想像するだけで
「爆笑」を誘われます。

小林は「行方不明」の状態で
友人らは四方八方を探し回っていた時期ですから
笑っていられる状態ではありませんが
これを記述する大岡の筆致が生々しく
「富永の死、その前後」「友情」「『朝の歌』」と
「緊迫」を孕んだ三角関係の進行を読んできた者を
「解放」するのです。

 (略)2日ばかり経って、渋谷駅前を歩いていたらタクシーへ乗って中原が来かかった。男の相客と何やら笑いながら話している。私はその後の様子を聞こうと思って駆け寄った。中原は私を認めて、笑いながら手を振り、タクシーは走り続けた。
 
 停るだろうと思われた地点を越しても走り続けるので、諦めて立ち止った頃、タクシーは大分先でやっと停った。中原は窓を開けて
 「駄目だ。まだわからん」
 とか何とか言った。これから駒場の辰野先生の家へ行くところだという。相客は澄まして向うを向いていた。これが佐藤正彰だった。
 
 中原の浮き浮きした様子は小林の行方と泰子の将来を心配している人間のそれではなかった。もめごとで走り廻るのを喜んでいるおたんこなすの顔であった。中原はそれまで随分私をうれしがらせるようなことをいってくれたのである。うっかり出来ないぞと思ったのは、この時が初めである。
(略)
 
(角川文庫「中原中也」所収「Ⅱ朝の歌」より。「改行」を入れました。編者。)

「2日ばかり経って」というのは
昭和3年5月上旬のある夜、
小林が泰子と暮す家を出た日の2日ほど後ということを指します。

この日からおよそ7か月後に
「女よ」は作られました。

ベルレーヌの「叡智」の強い影響がある詩といわれています。

女 よ
 
女よ、美しいものよ、私の許(もと)にやっておいでよ。
笑いでもせよ、嘆(なげ)きでも、愛らしいものよ。
妙に大人ぶるかと思うと、すぐまた子供になってしまう
女よ、そのくだらない可愛(かわ)いい夢のままに、
私の許にやっておいで。嘆きでも、笑いでもせよ。

どんなに私がおまえを愛すか、
それはおまえにわかりはしない。けれどもだ、
さあ、やっておいでよ、奇麗な無知よ、
おまえにわからぬ私の悲愁(ひしゅう)は、
おまえを愛すに、かえってすばらしいこまやかさとはなるのです。

さて、そのこまやかさが何処(どこ)からくるともしらないおまえは、
欣(よろこ)び甘え、しばらくは、仔猫のようにも戯(じゃ)れるのだが、
やがてもそれに飽(あ)いてしまうと、そのこまやかさのゆえに
却(かえっ)ておまえは憎みだしたり疑い出したり、ついに私に叛(そむ)くようにさえもなるのだ、
おお、忘恩(ぼうおん)なものよ、可愛いいものよ、おお、可愛いいものよ、忘恩なものよ!
 
              (一九二八・一二・一八)

今回はここまで。

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