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2013年9月21日 (土)

ひとくちメモ「白痴群」前後・愛の詩・6「秋の日」

(前回からつづく)

泰子を失った苦しみ、悲しみから逃れるすべのない詩人の心は
神を呼びます。

秋の日
 
秋の日は 白き物音
むきだせる 舗石(ほせき)の上に
人の目の 落ち去りゆきし
ああ すぎし 秋の日の夢
 
空にゆき 人群(ひとむれ)に分け
いまここに たどりも着ける
老の眼の 毒ある訝(いぶか)り
黒き石 興(きょう)をおさめて
 
ああ いかに すごしゆかんかな
乾きたる 砂金は頸(くび)を
めぐりてぞ 悲しきつつましさ
 
涙腺(るいせん)をみてぞ 静かに
あきらめに しりごむきょうを
ああ天に 神はみてもある

このように「秋の日」は
「白き物音」であり(第1連)

老の眼の 毒ある訝(いぶか)り
黒き石 興(きょう)をおさめて
――の「黒き石」(第2連)や
 
ああ いかに すごしゆかんかな
乾きたる 砂金は頸(くび)を
――の「乾きたる 砂金」(第3連)のように
「象徴」として捉えられるところに
新しい試みを見ることができます。

ダダの影は
まったくない詩といってよいでしょう。

しかし、最終連にきて
「涙腺」や「天」や「神」……と
全くストレートな表現に戻ります。
これは象徴表現ではありません。

これをダダととらえることもできなくはないのですが
ここではそう読みません。
詩人は
涙がこぼれ、しりごむ自分の姿を歌うのに
きっと象徴や比喩を使いたくなかったのでしょう。
嘘偽(うそいつわり)のない
生の詩人が現われたと読みます。

中原中也が
長谷川泰子と離別したのは
大正14年の11月。
秋の日には
その別れの生々しい記憶が刻まれています。

秋が巡ってくる度に
詩人は
その日の色褪(あ)せて白っぽくなった情景を
思い出してしまうのです。

「すぎし」「秋の日の夢」を見るのです。

今回はここまで。

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