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2013年9月 1日 (日)

ひとくちメモ「一筆啓上、安原喜弘様」昭和3年~・出会いの頃その6

(前回からつづく)

「深夜の思い」は「白痴群」第2号(昭和4年7月1日発行)に発表されたあと
「山羊の歌」の「初期詩篇」に収録されました。

幻の処女詩集にラインアップされた「深夜の思い」だけは
「山羊の歌」の「初期詩篇」に収録されたのですから
「山羊の歌」以前と「山羊の歌」を結ぶ
「かすがい」の役割があると読んでも無理はないことでしょう。

同様に
「春」には
「在りし日の歌」への「かすがい」の役割があると考えることができるでしょう。

ついでに「春の日の夕暮」には
京都時代のダダと「山羊の歌」を結ぶ
「かすがい」の役割があったということも思い出しておきましょう。

「深夜の思い」は
第1連、

これは泡立つカルシウムの
乾きゆく
急速な――頑(がん)ぜない女の児の泣声(なきごえ)だ、
鞄屋(かばんや)の女房の夕(ゆうべ)の鼻汁だ。

――にダダっぽさが残り

第2連や第3連

林の黄昏は
擦(かす)れた母親。
虫の飛交(とびか)う梢(こずえ)のあたり、
舐子(おしゃぶり)のお道化(どけ)た踊り。

波うつ毛の猟犬見えなく、
猟師は猫背を向(むこ)うに運ぶ。
森を控えた草地が
  坂になる!

――にランボーっぽさが現われ

第3連、第4連には
ゲーテの「ファウスト」に登場する女性「グレートヒェン」を「マルガレエテ」として呼び出して
泰子を歌っています。

彼女の肉(しし)は跳び込まねばならぬ、
厳(いか)しき神の父なる海に!
――とは、彼女=泰子が神の前に跪(ひざまず)き
懺悔(ざんげ)することを要求する意味の詩句です。

断罪を願ううらはらに
はげしく彼女を求めるアンビバレンツ(二重性)が
泰子との別離のその日に
彼女の引っ越しの荷物を片づけたことを思い出させるのです。

精霊が飛び交うのは
第1連の
舐子(おしゃぶり)のお道化(どけ)た踊りを
今、詩人は見ているのと同じ想像(幻覚)の世界にいるからです。

深夜の思いは
ラムネ・サイダー(カルシウム)のあわのように
生れてはすぐさま消え行く
はかなげではありますが
聞き分けのない女児の泣声のようでもあるし、
鞄屋の女房が夕方に鼻汁をすするような
しぶとさをも持っています。

振り払おうとしても
振り払おうとしても
こびりついて離れない思いなのです。

ダダっぽさや
ランボーっぽさが残るのは
この詩に限ることではないのですが
それが隠されようもなく残るのは
「初期詩篇」の未完成度ではあっても
優劣を示すものではありません。

中原中也は
それが詩になるのであれば
あらゆるところに目を光らせていました。
それは終生変わることがありませんでした。

鞄屋の女房も
ランボーの詩に現れる精霊も
はじめはありふれて手垢(てあか)のついた「なんでもない言葉」でしたが
詩人が格闘した末に「詩の言葉」になったのですし
この格闘の末に同じ「場」に存在しています。
同じ場所に詩と化してしまうのです。
変成してしまうのです。

「山羊の歌」のここ「初期詩篇」の中の
「黄昏」の次の位置に
泰子との別離を歌ったこの詩が配置されたこと自体が
大きな意味を持っていそうです。

「深夜の思い」は
「山羊の歌」では
泰子を最も早い時期に歌った詩かもしれないのですから。

今回はここまで。

(つづく)

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