ひとくちメモ「一筆啓上、安原喜弘様」昭和3年~・出会いの頃その6
(前回からつづく)
「深夜の思い」は「白痴群」第2号(昭和4年7月1日発行)に発表されたあと
「山羊の歌」の「初期詩篇」に収録されました。
幻の処女詩集にラインアップされた「深夜の思い」だけは
「山羊の歌」の「初期詩篇」に収録されたのですから
「山羊の歌」以前と「山羊の歌」を結ぶ
「かすがい」の役割があると読んでも無理はないことでしょう。
同様に
「春」には
「在りし日の歌」への「かすがい」の役割があると考えることができるでしょう。
ついでに「春の日の夕暮」には
京都時代のダダと「山羊の歌」を結ぶ
「かすがい」の役割があったということも思い出しておきましょう。
◇
「深夜の思い」は
第1連、
これは泡立つカルシウムの
乾きゆく
急速な――頑(がん)ぜない女の児の泣声(なきごえ)だ、
鞄屋(かばんや)の女房の夕(ゆうべ)の鼻汁だ。
――にダダっぽさが残り
第2連や第3連
林の黄昏は
擦(かす)れた母親。
虫の飛交(とびか)う梢(こずえ)のあたり、
舐子(おしゃぶり)のお道化(どけ)た踊り。
波うつ毛の猟犬見えなく、
猟師は猫背を向(むこ)うに運ぶ。
森を控えた草地が
坂になる!
――にランボーっぽさが現われ
第3連、第4連には
ゲーテの「ファウスト」に登場する女性「グレートヒェン」を「マルガレエテ」として呼び出して
泰子を歌っています。
◇
彼女の肉(しし)は跳び込まねばならぬ、
厳(いか)しき神の父なる海に!
――とは、彼女=泰子が神の前に跪(ひざまず)き
懺悔(ざんげ)することを要求する意味の詩句です。
断罪を願ううらはらに
はげしく彼女を求めるアンビバレンツ(二重性)が
泰子との別離のその日に
彼女の引っ越しの荷物を片づけたことを思い出させるのです。
精霊が飛び交うのは
第1連の
舐子(おしゃぶり)のお道化(どけ)た踊りを
今、詩人は見ているのと同じ想像(幻覚)の世界にいるからです。
深夜の思いは
ラムネ・サイダー(カルシウム)のあわのように
生れてはすぐさま消え行く
はかなげではありますが
聞き分けのない女児の泣声のようでもあるし、
鞄屋の女房が夕方に鼻汁をすするような
しぶとさをも持っています。
振り払おうとしても
振り払おうとしても
こびりついて離れない思いなのです。
◇
ダダっぽさや
ランボーっぽさが残るのは
この詩に限ることではないのですが
それが隠されようもなく残るのは
「初期詩篇」の未完成度ではあっても
優劣を示すものではありません。
中原中也は
それが詩になるのであれば
あらゆるところに目を光らせていました。
それは終生変わることがありませんでした。
鞄屋の女房も
ランボーの詩に現れる精霊も
はじめはありふれて手垢(てあか)のついた「なんでもない言葉」でしたが
詩人が格闘した末に「詩の言葉」になったのですし
この格闘の末に同じ「場」に存在しています。
同じ場所に詩と化してしまうのです。
変成してしまうのです。
◇
「山羊の歌」のここ「初期詩篇」の中の
「黄昏」の次の位置に
泰子との別離を歌ったこの詩が配置されたこと自体が
大きな意味を持っていそうです。
「深夜の思い」は
「山羊の歌」では
泰子を最も早い時期に歌った詩かもしれないのですから。
◇
今回はここまで。
(つづく)
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