ひとくちメモ「白痴群」前後・愛の詩・4(秋の日を歩み疲れて)
(前回からつづく)
(秋の日を歩み疲れて)は
ソネット(4―4―3―3の計14行の詩)が決まり
五七が決まり
破調もなく
平易な文語で
最後まで通した「完成度」の高い作品です。
しかし、詩人は
これにタイトルをつけていません。
「無題」というタイトルをつけているものでもなく
「完成」させていないということになる詩です。
◇
(秋の日を歩み疲れて)
秋の日を歩み疲れて
橋上を通りかかれば
秋の草 金にねむりて
草分ける 足音をみる
忍從の 君は默せし
われはまた 叫びもしたり
川果の 灰に光りて
感興は 唾液に消さる
人の呼気 われもすいつつ
ひとみしり する子のまなこ
腰曲げて 走りゆきたり
台所暗き夕暮
新しき生木の かおり
われはまた 夢のものうさ
◇
登場するのは
忍從(にんじゅう)の君、
われ、
ひとみしりする子。
「ひとみしりする子」は
通りすがりに見かけた「風景」にすぎませんから
登場人物は「君」と「われ」と限定できます。
◇
「君」が泰子であり
「われ」が詩人であるのは
間違いないことでしょう。
離別後に
2人はどこかへ散歩に出かけたことが
あったのでしょうか?
それとも回想でしょうか?
最終連の
「新しき生木」が現在眼前にしているものなのか
回想に現われた「生木」なのか微妙です。
「台所の生木」ならば
「俎板(まないた)」ですから
「家庭」のシンボルです。
その生木のイメージ(かおり)が
「夢のものうさ」ととらえられ
詩は終わります。
◇
過去(回想)に現われた生木であるか
眼前にしている生木であるか
どちらにしても
ここに出てくる感情は「ものうさ」です。
「倦怠(けだい)のうちに死を夢む」と
やがて歌う詩人がここにいます。
京都時代のダダ詩にも
「倦怠」が現われますから
真新しいことではありませんが
昭和初期の「倦怠」とここで出会います。
◇
どこから見てもスキのないような言葉の群れに
詩人は「倦怠」を刻みました。
この詩を「完成」としたくなかったのではなく
本文が「完成」したために
そのうちタイトルをつけようとしていたのかもしれません。
「朝の歌」の「倦怠」も
同じ頃のものですから。
◇
今回はここまで。
にほんブログ村:「詩集・句集」人気ランキングページへ
(↑ランキング参加中。記事がおもしろかったらポチっとお願いします。やる気がでます。)
« ひとくちメモ「白痴群」前後・愛の詩・3「無題(ああ雲はさかしらに笑い)」 | トップページ | ひとくちメモ「白痴群」前後・愛の詩・5(かつては私も) »
「019中原中也/「白痴群」のころ」カテゴリの記事
- ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩17「時こそ今は……」その2(2013.10.30)
- ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩17「時こそ今は……」(2013.10.28)
- ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩16「妹よ」その2(2013.10.27)
- ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩16「妹よ」(2013.10.25)
- ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩15「みちこ」その2(2013.10.24)
« ひとくちメモ「白痴群」前後・愛の詩・3「無題(ああ雲はさかしらに笑い)」 | トップページ | ひとくちメモ「白痴群」前後・愛の詩・5(かつては私も) »
コメント