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2013年9月 4日 (水)

ひとくちメモ「白痴群」前後・幻の詩集・3「浮浪」

(前回からつづく)

「浮浪」には
同じ原稿用紙を使っている未発表評論「詩論」があり
この原稿用紙が使われていた時期の推定と
「詩論」の内容などをあわせ類推した結果、
昭和2年の制作(推定)とされています。

その上
第2連に「もうだいぶ冬らしくなって」などとあることから
晩秋の制作と限定されます。

浮 浪
 
私は出て来た、
街に灯がともって
電車がとおってゆく。
今夜人通も多い。

私も歩いてゆく。
もうだいぶ冬らしくなって
人の心はせわしい。なんとなく
きらびやかで淋しい。

建物の上の深い空に
霧(きり)が黙ってただよっている。
一切合切(いっさいがっさい)が昔の元気で
拵(こしらえ)えた笑(えみ)をたたえている。

食べたいものもないし
行くとこもない。
停車場の水を撒(ま)いたホームが
……恋しい。

「夜寒の都会」と内容は共通するものがありますが
表現方法(作風)がまったく異なるところに
驚くことはありません。

それは詩人の
飽くなき追求の表われに過ぎません。
形は結果であって
「折りにふれて歌いたくなった」(「詩論」)結果が
それぞれの表現方法を選ばせたに過ぎません。

地方出身の詩人が
大都会でひとりぼっちの時間をもてあましている
特別に食べたいものはないし
会うあての友だちもいないし
……
田舎の駅の
水を撒いて静もりかえっているホームが懐かしいよ

食べたいものもないし
――とは、食べ飽きたということではないでしょうし
行くとこもない
――とは、行っても心の底からおいしいと喜べる場所がなく
話し合える人がいないということを含めていましょう。

自然に
故郷山口か京都かの停車場のホームが浮かんできてしまうのです。
そこは、モノゴトに血が通っていました。

それが
今はないのです。
それを歌いたかったのです。

この最終連は
「夜寒の都会」の同じく最終連、

ガリラヤの湖にしたりながら、
天子は自分の胯(また)を裂いて、
ずたずたに甘えてすべてを呪った。

――と対応しているのかもしれません。

詩人の街は
そこに「甘えかつ呪うべき対象」があったともいえますから。

「靄」(夜寒の都会)と「霧」(浮浪)も類似しています。

それにしても
「放浪」でも「流浪」でもなく
「浮浪児」「浮浪者」の「浮浪」が
このころの境地だったのです。

孤立のほどが思われます。

今回はここまで。

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