ひとくちメモ「白痴群」前後・幻の詩集・3「浮浪」
(前回からつづく)
「浮浪」には
同じ原稿用紙を使っている未発表評論「詩論」があり
この原稿用紙が使われていた時期の推定と
「詩論」の内容などをあわせ類推した結果、
昭和2年の制作(推定)とされています。
その上
第2連に「もうだいぶ冬らしくなって」などとあることから
晩秋の制作と限定されます。
◇
浮 浪
私は出て来た、
街に灯がともって
電車がとおってゆく。
今夜人通も多い。
私も歩いてゆく。
もうだいぶ冬らしくなって
人の心はせわしい。なんとなく
きらびやかで淋しい。
建物の上の深い空に
霧(きり)が黙ってただよっている。
一切合切(いっさいがっさい)が昔の元気で
拵(こしらえ)えた笑(えみ)をたたえている。
食べたいものもないし
行くとこもない。
停車場の水を撒(ま)いたホームが
……恋しい。
◇
「夜寒の都会」と内容は共通するものがありますが
表現方法(作風)がまったく異なるところに
驚くことはありません。
それは詩人の
飽くなき追求の表われに過ぎません。
形は結果であって
「折りにふれて歌いたくなった」(「詩論」)結果が
それぞれの表現方法を選ばせたに過ぎません。
◇
地方出身の詩人が
大都会でひとりぼっちの時間をもてあましている
特別に食べたいものはないし
会うあての友だちもいないし
……
田舎の駅の
水を撒いて静もりかえっているホームが懐かしいよ
食べたいものもないし
――とは、食べ飽きたということではないでしょうし
行くとこもない
――とは、行っても心の底からおいしいと喜べる場所がなく
話し合える人がいないということを含めていましょう。
自然に
故郷山口か京都かの停車場のホームが浮かんできてしまうのです。
そこは、モノゴトに血が通っていました。
それが
今はないのです。
それを歌いたかったのです。
◇
この最終連は
「夜寒の都会」の同じく最終連、
ガリラヤの湖にしたりながら、
天子は自分の胯(また)を裂いて、
ずたずたに甘えてすべてを呪った。
――と対応しているのかもしれません。
詩人の街は
そこに「甘えかつ呪うべき対象」があったともいえますから。
「靄」(夜寒の都会)と「霧」(浮浪)も類似しています。
◇
それにしても
「放浪」でも「流浪」でもなく
「浮浪児」「浮浪者」の「浮浪」が
このころの境地だったのです。
孤立のほどが思われます。
◇
今回はここまで。
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