ひとくちメモ「白痴群」前後・幻の詩集・4「春の雨」
(前回からつづく)
「春の雨」も「第1詩集用清書原稿群」の一つで
昭和2―3年の制作(推定)ですが
この原稿の欄外には
「文学界七月号」と赤鉛筆で書かれているそうです。
発表予定のメモだったのか
「文学界」の7月号では
昭和11年に「春宵感懐」の掲載があるほかになく
詩人がなんらかのチェックのために記したようですが
それがなんであるかは不明です。
たわいもない記入で
なんら意味も持たないようなことですが
このわずかな書き込みから
重要な事実が引き出されます。
中原中也の詩篇が「文学界」へ初めて載ったのは
昭和10年4月号であることから
この書き込みは昭和10年4月以降のことであろうと推定されるのです。
(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱ解題篇)
◇
未発表詩篇である「春の雨」は
昭和2―3年に制作されたのですが
大事にしまわれてあり
昭和10年に発表されようとしていた
――ということがわかるのです。
さすが「幻の処女詩集」のための作品で
詩人は自信作もしくは愛着を持っていた詩です。
◇
春の雨
昨日は喜び、今日は死に、
明日は戦い?……
ほの紅の胸ぬちはあまりに清く、
道に踏まれて消えてゆく。
歌いしほどに心地よく、
聞かせしほどにわれ喘(あえ)ぐ。
春わが心をつき裂きぬ、
たれか来りてわを愛せ。
ああ喜びはともにせん、
わが恋人よはらからよ。
われの心の幼くて、
われの心に怒りあり。
さてもこの日に雨が降る、
雨の音きけ、雨の音。
◇
色々なことが歌われています。
単旋律ではありません。
昨日は喜び、
今日は死に、
明日は戦い?……
これが
昭和2―3年に、つい最近のことでもあれば
昭和10年になっても
ノスタルジーの中のことではない
詩人の心境でした。
◇
ほのかに紅(くれない)の色をしている胸の中は
あまりにも清いので
汚れた世の中では消えていくしかない。
歌えば気持ちがさっぱりし
議論すれば息はあがる。
春が僕の心を引き裂いたのだ
だれか来てよ
僕を愛してよ
一緒に喜びたいのだ
恋人よ友よ
僕の心が幼稚なために
僕の心に怒りは起こる。
そんな日に雨が降るのさ、春の雨。
じっとして雨の音を聞いていよう。
◇
恋人・泰子に去られて2、3年が経ちます。
京都で意気投合し同棲
連れ立って上京した「同志」のような存在でもあった泰子が
突然文学仲間の小林秀雄と暮らしはじめました。
この事件後
詩人の心は「千々(ちぢ)に」乱れます。
「口惜しい人」になります。
この頃に作られた詩です。
その詩が
昭和10年にも「現在」であり続けました。
「友よ」とあるのは
小林のことかもしれません。
遠い日が
雨の音の中から現われては消え
消えてはまた現われます。
雨は昔のことを
かき消すようで
かき乱すものなのです。
◇
今回はここまで。
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