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2013年9月 5日 (木)

ひとくちメモ「白痴群」前後・幻の詩集・4「春の雨」

(前回からつづく)

「春の雨」も「第1詩集用清書原稿群」の一つで
昭和2―3年の制作(推定)ですが
この原稿の欄外には
「文学界七月号」と赤鉛筆で書かれているそうです。

発表予定のメモだったのか
「文学界」の7月号では
昭和11年に「春宵感懐」の掲載があるほかになく
詩人がなんらかのチェックのために記したようですが
それがなんであるかは不明です。

たわいもない記入で
なんら意味も持たないようなことですが
このわずかな書き込みから
重要な事実が引き出されます。

中原中也の詩篇が「文学界」へ初めて載ったのは
昭和10年4月号であることから
この書き込みは昭和10年4月以降のことであろうと推定されるのです。
(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱ解題篇)

未発表詩篇である「春の雨」は
昭和2―3年に制作されたのですが
大事にしまわれてあり
昭和10年に発表されようとしていた
――ということがわかるのです。

さすが「幻の処女詩集」のための作品で
詩人は自信作もしくは愛着を持っていた詩です。

春の雨
 
昨日は喜び、今日は死に、
明日は戦い?……
ほの紅の胸ぬちはあまりに清く、
道に踏まれて消えてゆく。

歌いしほどに心地よく、
聞かせしほどにわれ喘(あえ)ぐ。
春わが心をつき裂きぬ、
たれか来りてわを愛せ。

ああ喜びはともにせん、
わが恋人よはらからよ。

われの心の幼くて、
われの心に怒りあり。

さてもこの日に雨が降る、
雨の音きけ、雨の音。
 

色々なことが歌われています。
単旋律ではありません。

昨日は喜び、
今日は死に、
明日は戦い?……

これが
昭和2―3年に、つい最近のことでもあれば
昭和10年になっても
ノスタルジーの中のことではない
詩人の心境でした。

ほのかに紅(くれない)の色をしている胸の中は
あまりにも清いので
汚れた世の中では消えていくしかない。

歌えば気持ちがさっぱりし
議論すれば息はあがる。
春が僕の心を引き裂いたのだ
だれか来てよ
僕を愛してよ

一緒に喜びたいのだ
恋人よ友よ

僕の心が幼稚なために
僕の心に怒りは起こる。

そんな日に雨が降るのさ、春の雨。
じっとして雨の音を聞いていよう。

恋人・泰子に去られて2、3年が経ちます。
京都で意気投合し同棲
連れ立って上京した「同志」のような存在でもあった泰子が
突然文学仲間の小林秀雄と暮らしはじめました。

この事件後
詩人の心は「千々(ちぢ)に」乱れます。
「口惜しい人」になります。

この頃に作られた詩です。
その詩が
昭和10年にも「現在」であり続けました。

「友よ」とあるのは
小林のことかもしれません。

遠い日が
雨の音の中から現われては消え
消えてはまた現われます。

雨は昔のことを
かき消すようで
かき乱すものなのです。

今回はここまで。

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