ひとくちメモ「白痴群」前後・幻の詩集・2「夜寒の都会」
(前回からつづく)
「夜寒の都会」は
昭和2年1月制作と推定されている詩です。
使用されている原稿用紙が
「少年時」(母は父を送り出すと、部屋に帰って来て溜息をした)と同じであり
筆記具もインクも同じであることからの推定です。
◇
夜寒の都会
外燈に誘出(さそいだ)された長い板塀(いたべい)、
人々は影を連れて歩く。
星の子供は声をかぎりに、
ただよう靄(もや)をコロイドとする。
亡国に来て元気になった、
この洟色(はないろ)の目の婦(おんな)、
今夜こそ心もない、魂もない。
舗道の上には勇ましく、
黄銅の胸像が歩いて行った。
私は沈黙から紫がかった、
数箇の苺(いちご)を受けとった。
ガリラヤの湖にしたりながら、
天子は自分の胯(また)を裂いて、
ずたずたに甘えてすべてを呪った。
◇
一読してダダっぽい表現に満ちていますが
「都会」を歌った詩であることが確かで
ではその都会とはどこのことかということになります。
当然、東京がまず挙げられますが
京都ではないか、
横浜ではないかという想像もあっておかしくはありません。
◇
この詩の中から
都会を表わす言葉を探して
その都会を特定できるでしょうか?
それは疑問です。
風景を歌っていることに変わりありませんが
比喩も「暗喩」に属し
特定は困難です。
外燈
長い板塀(いたべい)
星の子供
亡国、
洟色(はないろ)の目の婦(おんな)
ガリラヤの湖
天子
……
これらの「名詞」「地名」に
いくらかのヒントはありそうで
これらはどうも「横浜」の風物でありそうですが
断言できるものではありません。
こうして想像できるのは
京都時代のダダ詩を読む時にも似た
謎解きのスリルみたいな「快感」があるから不思議です。
◇
街の風景があり――第1連(全連を風景と読むこともできます)
「星の子供」「おんな」「黄銅の胸像」が登場し――第2、3、4連
「私」がいて、イチゴを受け取る――第5連
一つひとつの営為は
「喩(ゆ)」によって指示されますから
意味に「幅(はば)」ができ
時には正逆に受け取るということも生じ
受け取り手の自由勝手な想像を制約しません。
このように「描写」された都会での経験が
私は沈黙からイチゴを受け取ったと解読できる第5連までは
なにやらこっぴどい仕業(しわざ)に遭った私=詩人の苦境を感じることができて
なんとかついていけますが……
最後の連、
「ガリラヤの湖」で「天子」が「呪った」
――というところで全くわからなくなります。
◇
しかし、理解を寄せつけないというほどではなく
主語=「天子」が、述語=「呪った」であり、
「天子が呪った」という日本語が成立しているわけですから
「天子」とは何かがわかれば
最終連の意味は通じます。
詩全体は
「おんな」と「私」と「天子」の関係を歌っていることが見えてきそうです。
◇
勝手な想像に頼るほかにありませんが
「新編中原中也全集」は
「天子」を「天使」のこととして
詩人がランボーの詩「黄金期」や「孤児等のお年玉」の翻訳で
「天子」を使っていることを紹介していますし
「夜寒の都会」と同じころに制作された「或る心の季節」に「天使」の用例があり
「地極の天使」には詩のタイトルに「天使」を使っていることを案内しています。
◇
想像の羽根は
いくらでも広がっていきます。
◇
今回はここまで。
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