ひとくちメモ「白痴群」前後・幻の詩集・1「春と恋人」
(前回からつづく)
昭和2~3年頃に計画された第1詩集は
実現されなかったものの
13篇が「第1詩集用清書原稿群」とされています。
この機会に
この原稿群の詩に目を通しておきましょう。
◇
昭和2~3年は
「白痴群」以前であり
「京都以後」(上京後)にあたる時期です。
この間、泰子が小林秀雄の元へと去っていったという大事件があります。
13篇のうち「深夜の思い」は「山羊の歌」に、
「春」は「在りし日の歌」に収録された「発表詩篇」ですが
それ以外は「未発表詩篇」です。
「新編中原中也全集」では
「深夜の思い」も「春」も「未発表詩篇」に収録されますから
この二つの詩は異次形態の詩として「重複して」掲載されています。
◇
13篇は
「草稿詩篇(1925年―1928年)」の項にほとんどが分類されていますが
「春と恋人」だけは「草稿詩篇(1937年)」に分類されます。
この詩の草稿が2種類現存し
全集に収録するにあたって「底本」としたのが1937年(昭和12年)制作の草稿だからです。
もうひとつの草稿は
昭和2―3年制作(推定)または大正15年春制作(推定)とされていますが
こちらが「新全集」第2巻・解題篇に掲載されていますので
まずこの詩に目を通します。
◇
春と恋人
美しい扉の親しみに
私が室(へや)で遊んでいると、
私にかまわず実ってた
新しい桃があったのだ……
街の中から見える丘、
丘に建ってたオベリスク、
春には私に桂水くれた
丘に建ってたオベリスク……
蜆(しじみ)や鰯(いわし)を商(あきな)う路次の
びしょ濡れの土が歌っている時、
かの女は何処(どこ)かで笑っていたのだ
港の春の朝の空で
私がかの女の肩を揺ったら、
真鍮(しんちゅう)の、盥(たらい)のようであったのだ……
以来私は木綿の夜曲?
はでな処(とこ)には行きたかない……
*オベリスクは、古代エジプト神殿などに建てられた尖塔。モニュメント(記念碑)の役割があった。
*桂水は、香りのある水。香辛料として有名な月桂樹の「桂」。
◇
草稿では
終連に「居留地の中には」が書かれた後に消され
「はでな処」と訂正されています。
これは横浜・山下町にあった有名な横浜居留地のことです。
詩人は
母堂フクが生まれ育った土地である横浜に
特別の親しみを抱いており
泰子に逃げられた直後にも
この地に遊び
別離のショックを癒しました。
◇
この詩も横浜を題材にした詩です。
「横浜もの」といわれる詩群の一つです。
昭和2―3年の詩か
昭和12年の詩か。
制作年の想定によって
「読み」の姿勢がブレるのを禁じえません。
横浜を歌った詩が
昭和12年に作られたのなら
遠い日の「思い出」を歌い
昭和2―3年の制作なら
横浜は「現在」なのですから。
◇
終連
以来私は木綿の夜曲?
はでな処(とこ)には行きたかない……
――が、全く違って見えてきます。
遠い日の思い出を昭和12年(晩年)に思い出したのならば
横浜は「今」詩人の中にありますが
昭和2―3年の制作であっても
この詩に現れる「かの女」は泰子に違いなく
彼女への複雑な思いは
微妙な温度差(違い)を見せはじめます。
◇
いつのまにか「中原中也の手紙」を離れていることに気づきます。
「一筆啓上」は、いったん止めて
「白痴群」前後にスポットを当てていきます。
◇
今回はここまで。
(つづく)
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