ひとくちメモ「白痴群」前後・幻の詩集・10「冬の日」
(前回からつづく)
「冬の日」は
ああおまえはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云う
――の末尾で有名な「帰郷」と同じ頃に制作(推定)されました。
本文中に「紙魚(たこ)」とあることから
昭和3年正月の制作と考えられています。
◇
冬の日
私を愛する七十過ぎのお婆さんが、
暗い部屋で、坐って私を迎えた。
外では雀が樋(とい)に音をさせて、
冷たい白い冬の日だった。
ほのかな下萠(したもえ)の色をした、
風も少しは吹いているのだった、
私は自信のないことだった、
紐を結ぶような手付をしていた。
とぎれとぎれの口笛が聞えるのだった、
下萠の色の風が吹いて。
ああ自信のないことだった、
紙魚(たこ)が一つ、颺(あが)っているのだった。
◇
この詩に2度現われる「下萠の色の風」は
「帰郷」の「吹き来る風」と同じ時期に吹いていた風ということになります。
この帰省で詩人は
何かと「風」を感じたことが想像できます。
◇
下萠(したもえ)とは、
冬の最中に畑などに育っている草々です。
芽生えて後に育った植物が
やや青々としている状態のこと。
明らかに「吹き来る風」とは異なる風です。
「帰郷」の風は
詩人に向って強く吹きつける風であるのに比べて
こちらは「少しは吹いている」風です。
でも、同じ(時に吹いていた)風に違いないのは
第3連
とぎれとぎれの口笛が聞えるのだった、
下萠の色の風が吹いて。
――とある風が
どこからともなく聞こえてくる口笛(詩人のものかもしれません)を
とぎれとぎれにするほどの強さだったことで分かります。
◇
この風は
天空に浮かぶ凧に吹きつけ
下から見ればのんびりと空に止まっているように見えますが
ビュービュー凧に吹きつける風です。
地上(畑)では「少し」吹いているのですが
凧には激しくぶつかっている風です。
同じ頃に
空と地上に吹いていた風ということですね。
◇
「帰郷」の風がそうであるように
「冬の日」の風も
凧=詩人に激しくぶつかる風ですが
詩人はそれに耐えています。
自信はないといいながら
詩人はその風に向かって立って行くことを選んだのです。
その孤独が
空に浮かぶ黒一点に同化されました。
詩の中の風はここにきて
リアルな風であると同時に
「喩(ゆ」としての風であり
凧についても同じことが言えます。
リアルであり喩としての「意味」を
風も凧も持っています。
※紙魚(たこ)は、普通「しみ」と読みますが、「新全集」は原詩のまま載せています。このブログの解説では、凧(=たこ)としました。編者。
◇
今回はここまでですが
「帰郷」も載せておきます。
◇
帰 郷
柱も庭も乾いている
今日は好(よ)い天気だ
椽(えん)の下では蜘蛛の巣が
心細そうに揺れている
山では枯木も息を吐(つ)く
ああ今日は好い天気だ
路傍(みちばた)の草影が
あどけない愁(かなし)みをする
これが私の故里(ふるさと)だ
さやかに風も吹いている
心置なく泣かれよと
年増婦(としま)の低い声もする
ああ おまえはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云う
(「新編中原中也全集」より。「新かな」に改めてあります。)
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