「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・序
(前回からつづく)
大岡昇平が1956年に発表した中原中也伝の一部「初恋」に沿って
そこに名のあがっている詩を
一つひとつ読んできました。
1日に1作品を
「新編中原中也全集」その他をたよりに
極力、基本的知識を踏まえたものの
詩の読みは「出たとこ勝負」「即興的」でした。
もとより「文学」でも「研究」でもなく
詩そのものにふれることを目的とした鑑賞記録ですが
一つの詩を読み終えてから
次の詩に向き合いはじめ
ひとたび詩行を頭にインプットして詩の内容を把握し
またしばらく詩からはなれて日常雑事にかまけ
また詩に戻り……という繰り返しの中に
いつも新しく発見するものが多くあるのは
中也の詩の奥深さというものでしょうか。
◇
大岡の「初恋」に現われた詩は
「女よ」
「かの女」
「詩友に」
「無題」
「寒い夜の自我像」
「追懐」
「盲目の秋」
「木蔭」
「夏」
「失せし希望」
「空しき秋」
「雪の宵」
「夏は青い空に……」
「みちこ」
「妹よ」
「時こそ今は」
――の16篇でした。
これらの詩篇を
関連する詩や散文にもふれ
寄り道をしながらすべて読むのに
約1か月半かかりました。
(読むというのは、ここではブログにアップするという意味です。)
◇
「中期の傑作」と大岡が呼ぶこれらの詩は
ほとんどが「白痴群」と「山羊の歌」に発表されたものです。
この16篇の中で
「白痴群」にも「山羊の歌」にも入らないのは
「女よ」
「かの女」
「夏は青い空に……」
――だけでした。
◇
「山羊の歌」には
「白痴群」へ発表した作品がおよそ半数を占めるのですが
では他の詩が未発表であるかというとそうではなく
「スルヤ」で歌われたりしたほか
幾つかの詩誌などへの発表があり
「生活者」という雑誌への発表は13篇にも及びましたから
「山羊の歌」の中で
「白痴群」に次ぐ数であることもわかりました。
「生活者」は「出家とその弟子」で有名な倉田百三が主宰する雑誌ですが
高田博厚を通じて
中也はこの雑誌に作品を発表しました。
発表作品をざっと見ると
昭和4年9月号に
「都会の夏の夜」
「逝く夏の歌」
「悲しき朝」
「黄昏」
「夏の夜」
「春」
「月」
――の7篇。
昭和4年10月号に
「秋の夜空」
「港市の秋」
「春の思い出」
「朝の歌」
「春の夜」
「無題」(後に「サーカス」と改題)
――の6篇というラインナップです。
「朝の歌」は
「スルヤ」で諸井三郎作曲の歌曲として演奏されたものが
「生活者」にも発表されましたから
再出ということになりますが
ほかは初出ばかりです。
◇
「山羊の歌」の前半部を占める「初期詩篇」に配置された
これら「生活者」発表詩篇を読んでいきます。
◇
今回はここまで。
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