ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩16「妹よ」
(前回からつづく)
「みちこ」が歌っている女性は
大岡昇平によると
長谷川泰子ではなく
谷崎潤一郎の小説「痴人の愛」のモデルとされる葉山三千子との記述がありますが
現実の女性がだれそれと特定することに
過度に集中してはいけません。
現実の女性が問題なのではなく
詩が表現(実現)した女性のリアリティーが
詩の命のはずですから
詩の「外部(背景)」をこの命の上位に置くことは邪道です。
◇
「みちこ」という詩は
「みちこ」という詩で完結しています。
「みちこ」以外から読むことは避けたほうがベターです。
「みちこ」は
みちこという女性の美しさを
歌い上げていて完璧であるところで
詩の目的(存在価値)を達成しています。
◇
「臨終」や「盲目の秋」についても
同じことが言えますし
「妹よ」も「時こそ今は……」についても
同じことが言えます。
「妹よ」という詩を読むには
モデルを想定することの無意味さが
はっきりとしてくることでしょう。
◇
妹 よ
夜、うつくしい魂は涕(な)いて、
――かの女こそ正当(あたりき)なのに――
夜、うつくしい魂は涕いて、
もう死んだっていいよう……というのであった。
湿った野原の黒い土、短い草の上を
夜風は吹いて、
死んだっていいよう、死んだっていいよう、と、
うつくしい魂は涕くのであった。
夜、み空はたかく、吹く風はこまやかに
――祈るよりほか、わたくしに、すべはなかった……
◇
中原中也には妹はいません。
みんな男の兄弟です。
なのに「妹」とはどういうことでしょうか?
この詩を読むために
「妹」を探したってムダですが
なぜ「妹」なのかを問うことは
詩を味わうことの醍醐味(だいごみ)に通じています。
だから面白いのです。
◇
今回はここまで。
« ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩15「みちこ」その2 | トップページ | ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩16「妹よ」その2 »
「019中原中也/「白痴群」のころ」カテゴリの記事
- ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩17「時こそ今は……」その2(2013.10.30)
- ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩17「時こそ今は……」(2013.10.28)
- ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩16「妹よ」その2(2013.10.27)
- ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩16「妹よ」(2013.10.25)
- ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩15「みちこ」その2(2013.10.24)
« ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩15「みちこ」その2 | トップページ | ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩16「妹よ」その2 »
コメント