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2013年10月25日 (金)

ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩16「妹よ」

(前回からつづく)

「みちこ」が歌っている女性は
大岡昇平によると
長谷川泰子ではなく
谷崎潤一郎の小説「痴人の愛」のモデルとされる葉山三千子との記述がありますが
現実の女性がだれそれと特定することに
過度に集中してはいけません。

現実の女性が問題なのではなく
詩が表現(実現)した女性のリアリティーが
詩の命のはずですから
詩の「外部(背景)」をこの命の上位に置くことは邪道です。

「みちこ」という詩は
「みちこ」という詩で完結しています。
「みちこ」以外から読むことは避けたほうがベターです。

「みちこ」は
みちこという女性の美しさを
歌い上げていて完璧であるところで
詩の目的(存在価値)を達成しています。

「臨終」や「盲目の秋」についても
同じことが言えますし
「妹よ」も「時こそ今は……」についても
同じことが言えます。

「妹よ」という詩を読むには
モデルを想定することの無意味さが
はっきりとしてくることでしょう。

妹 よ

夜、うつくしい魂は涕(な)いて、
  ――かの女こそ正当(あたりき)なのに――
夜、うつくしい魂は涕いて、
  もう死んだっていいよう……というのであった。

湿った野原の黒い土、短い草の上を
  夜風は吹いて、 
死んだっていいよう、死んだっていいよう、と、
  うつくしい魂は涕くのであった。

夜、み空はたかく、吹く風はこまやかに
  ――祈るよりほか、わたくしに、すべはなかった……

中原中也には妹はいません。
みんな男の兄弟です。
なのに「妹」とはどういうことでしょうか?

この詩を読むために
「妹」を探したってムダですが
なぜ「妹」なのかを問うことは
詩を味わうことの醍醐味(だいごみ)に通じています。
だから面白いのです。

今回はここまで。

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