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2013年10月 3日 (木)

ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩7「追懐」

(前回からつづく)

「追懐」という詩は
これが草稿として記されている
「ノート小年時」の詩の本文の下部に
「14、7、1929、」とあることから
1929年7月14日の制作と確認されています。

「盲目の秋」と同じ頃に作られた作品ということになりますが
どちらが先に作られたか
「盲目の秋」の制作が
1930年と推定されながらも1929年制作の可能性もあるので
明確に断定できるものではありません。

「ノート小年時」のほかのページに書かれた
「消えし希望」にも「14、7、1929、」とあることから
この二つの詩は同日の制作であることが分かっていますが。

追 懐
 
あなたは私を愛し、
私はあなたを愛した。

あなたはしっかりしており、
わたしは真面目であった。――

人にはそれが、嫉(ねた)ましかったのです、多分、
そしてそれを、偸(ぬす)もうとかかったのだ。

嫉み羨(うらや)みから出発したくどきに、あなたは乗ったのでした、
――何故(なぜ)でしょう?――何かの拍子……

そうしてあなたは私を別れた、
あの日に、おお、あの日に!

曇って風ある日だったその日は。その日以来、
もはやあなたは私のものではないのでした。

私は此処(ここ)にいます、黄色い灯影に、
あなたが今頃笑っているかどうか、――いや、ともすればそんなこと、想っていたりするのです
 
         (一九二九・七・一四)
 

あなたは私を愛し、
私はあなたを愛した。
――という詩句が
「盲目の秋」の第3節、
私がおまえを愛することがごく自然だったので、
  おまえもわたしを愛していたのだが……
――と相思相愛を歌って同じ部分を持つことが
近い時に作られたことを示すかどうかも確定できませんが
遠く離れた日に作られたとは考えにくいことです。

「追懐」と「盲目の秋」はどちらも
相思相愛の日々を過去形で歌っていて同じですが
「追懐」は
泰子が去った日(「11月の事件」と呼ぶこともあります)を
より具体的に「あの日」「その日」として歌います。

「人にはそれが、嫉(ねた)ましかったのです、多分、」
とある「人」は小林秀雄を指すことは疑いありません。
それ(=相思相愛の関係)を「人」が盗もうとし
あなた(=泰子)がそれに乗った、というストレートな物言いは
「あの日」「その日」の記憶が
まだ生々しく残っていたからでしょうか。

未発表ながら
こんなリアルな詩も書いていました。
しかし、これも過去形で歌われたのです。

1929年7月は
泰子に逃げられて4年が過ぎようとしていたころのことです。

この間、詩人は
杉並町大字高円寺249若林方(小林秀雄宅の近く)
中野町大字中野小字桃園3398関根五郎方
中野町大字中野小字桃園3465篠田方
中野町大字中野小字上町(理髪店2階)
中野町大字中野小字桃園3398関根五郎方
――と引っ越しを繰り返しました。

桃園には戻ったことになります。

この後、高井戸で関口隆克らとの共同生活、
渋谷神山町……と
「東京転々」の暮らしは続けられます。

今回はここまで。

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