ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩13「夏は青い空に……」
(前回からつづく)
「夏は青い空に……」が
昭和4年6月の制作とされるのは
中原中也が河上徹太郎に宛てた同年6月27日付けの手紙に
「倦怠(倦怠の谷間に落つる)」や
「河上に呈する詩論」とともに同封されていたことからの推定です。
この詩も元は「ノート小年時」に清書されていたものですが
河上に送った時に
もう1度清書していますから
「ノート小年時」のものとの間に若干の異同があるのは自然でしょう。
発表にあたって
現在の眼で過去に作った詩に手を入れるのは
詩人の常でした。
◇
昭和4年6月という「季節」
中也は「白痴群」に力を注いでいました。
この年のはじめ、渋谷・神山町に引っ越したのは
「白痴群」同人の阿部六郎や大岡昇平の住まいが近くにあったからでした。
4月中旬、渋谷百軒店で飲酒した帰途
民家の軒灯のガラスを割り
渋谷警察署へ15日間留置されるという事件を味わったのも
「白痴群」時代の「元気さ」の反映といえるでしょうか。
この事件の直後
「白痴群」の打ち合わせを兼ねた京都旅行へ出ますが
泰子もこれに同行します。
小林秀雄が泰子から去ったのは
前年、昭和4年5月でしたから
およそ1年が経過しています。
◇
これらの背景が
「夏は青い空に……」の制作にどのように影を落しているか
いないのかなどと追求するのは無理な話ですが
念頭に入れて読んで
詩の読みに過剰な意味づけを課さないかぎり
オーケーでしょう。
この詩の「わが嘆きわが悲しみ」が
これらの事実と無関係ではないかも知れませんし
まったく関係ないかも知れませんし
どちらと決めつけることはできませんが
これらの事実以外に起因しているかもしれないことを想定しながら向き合えば
これもオーケーということになります。
◇
夏は青い空に……
夏は青い空に、白い雲を浮ばせ、
わが嘆(なげ)きをうたう。
わが知らぬ、とおきとおきとおき深みにて
青空は、白い雲を呼ぶ。
わが嘆きわが悲しみよ、こうべを昂(あ)げよ。
――記憶も、去るにあらずや……
湧(わ)き起る歓喜のためには
人の情けも、小さきものとみゆるにあらずや
ああ、神様、これがすべてでございます、
尽すなく尽さるるなく、
心のままにうたえる心こそ
これがすべてでございます!
空のもと林の中に、たゆけくも
仰(あお)ざまに眼(まなこ)をつむり、
白き雲、汝(な)が胸の上(へ)を流れもゆけば、
はてもなき平和の、汝がものとなるにあらずや。
◇
夏
青い空
白い雲
林
……
わずかこれだけの「自然」を引いて
「わが嘆きわが悲しみ」が歌われます。
青い空が
悲しみに転じるために
どのような仕掛けがあるでしょうか。
悲しみが「はてもなき平和」にたどり着くには
どのような仕組みがあるでしょう。
この詩を読む度に
詩の不思議について思わせられますが
「世の中にどうにもならぬことがあるのを知ったのは、泰子を通じてである」(大岡昇平)という見方に立てば
詩に「ああ、神様」とあるような危機が
青い空や白い雲にインスパイヤー(吹き込まれ)されているからかもしれません。
中也の「神頼み」は
半端(はんぱ)じゃありませんでしたから。
心のままにうたえる心=詩が生れる秘密を
このように「神への告白」の中に明かしているのですから。
◇
今回はここまで。
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