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2013年10月22日 (火)

ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩14「身過ぎ」

(前回からつづく)

「夏は青い空に……」と
「倦怠(倦怠の谷間に落つる)」の2篇は
昭和4年6月27日付けの河上徹太郎宛書簡に同封されていました。

この2篇と「河上に呈する詩論」と
筆記具、文字の大きさ、筆跡、インクが同じなのが
「身過ぎ」という作品です。
「ノート小年時」に清書されてあります。

身過ぎ
 
面白半分や、企略(たくらみ)で、
世の中は瀬戸物(せともの)の音をたてては喜ぶ。
躁(はしゃ)ぎすぎたり、悄気(しょげ)すぎたり、
さても世の中は骨の折れることだ。

誰も彼もが不幸で、
ただ澄ましているのと騒いでいるのとの違いだ。
その辛さ加減はおんなしで、
羨(うらや)みあうがものはないのだ。

さてそこで私は瞑想や籠居(ろうきょ)や信義を発明したが、
瞑想はいつでも続いているものではなし、
籠居は空っぽだし、私は信義するのだが
相手の方が不信義で、やっぱりそれも駄目なんだ。

かくて無抵抗となり、ただ真実を愛し、
浮世のことを恐れなければよいのだが、
あだな女をまだ忘れ得ず、えェいっそ死のうかなぞと
思ったりする――それもふざけだ。辛い辛い。
 

「身過ぎ」の制作が
昭和4年(1929年)6月ということは
昭和4年7月1日付け発行の「白痴群」第2号が出る直前の制作ということになります。

「白痴群」第2号には
「或る秋の日」(「山羊の歌」では「秋の一日」に改題)
「深夜の思ひ」
「ためいき」
「凄じき黄昏」
「夕照」の5篇が発表されました。

最終連に現われる「あだな女」は泰子のことで
「まだ忘れられない」のですが
「えェいっそ死のうかなぞと思ったりする」などとくだけた調子で本音(?)を漏らし
すぐに「それもふざけだ。辛い辛い。」と本当の本音(?)を表出するので
いったい本気はどうなんだと疑いたくなる終わり方です。

ふざけた調子は
もちろん意図したものです。
詩にしたからには
ふざけた調子に「本気」が隠されていると読んで間違いないでしょうが……。

「女よ」
「かの女」
「無題」
「寒い夜の自我像」
「追懐」
「盲目の秋」
「木蔭」
「夏」
「失せし希望」
「老いたる者をして」(「空しき秋」)
「雪の宵」
「倦怠(倦怠の谷間に落つる)」
「夏は青い空に……」
「汚れっちまった悲しみに……」
「生い立ちの歌」
「冷酷の歌」
……

色々な「角度」から「恋」を歌うというところに
「現実の恋」は距離感をもって眺められ
「詩の素材」となりつつあるような流れが見えてきます。

今回はここまで。

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