ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩14「身過ぎ」
(前回からつづく)
「夏は青い空に……」と
「倦怠(倦怠の谷間に落つる)」の2篇は
昭和4年6月27日付けの河上徹太郎宛書簡に同封されていました。
この2篇と「河上に呈する詩論」と
筆記具、文字の大きさ、筆跡、インクが同じなのが
「身過ぎ」という作品です。
「ノート小年時」に清書されてあります。
◇
身過ぎ
面白半分や、企略(たくらみ)で、
世の中は瀬戸物(せともの)の音をたてては喜ぶ。
躁(はしゃ)ぎすぎたり、悄気(しょげ)すぎたり、
さても世の中は骨の折れることだ。
誰も彼もが不幸で、
ただ澄ましているのと騒いでいるのとの違いだ。
その辛さ加減はおんなしで、
羨(うらや)みあうがものはないのだ。
さてそこで私は瞑想や籠居(ろうきょ)や信義を発明したが、
瞑想はいつでも続いているものではなし、
籠居は空っぽだし、私は信義するのだが
相手の方が不信義で、やっぱりそれも駄目なんだ。
かくて無抵抗となり、ただ真実を愛し、
浮世のことを恐れなければよいのだが、
あだな女をまだ忘れ得ず、えェいっそ死のうかなぞと
思ったりする――それもふざけだ。辛い辛い。
◇
「身過ぎ」の制作が
昭和4年(1929年)6月ということは
昭和4年7月1日付け発行の「白痴群」第2号が出る直前の制作ということになります。
「白痴群」第2号には
「或る秋の日」(「山羊の歌」では「秋の一日」に改題)
「深夜の思ひ」
「ためいき」
「凄じき黄昏」
「夕照」の5篇が発表されました。
◇
最終連に現われる「あだな女」は泰子のことで
「まだ忘れられない」のですが
「えェいっそ死のうかなぞと思ったりする」などとくだけた調子で本音(?)を漏らし
すぐに「それもふざけだ。辛い辛い。」と本当の本音(?)を表出するので
いったい本気はどうなんだと疑いたくなる終わり方です。
ふざけた調子は
もちろん意図したものです。
詩にしたからには
ふざけた調子に「本気」が隠されていると読んで間違いないでしょうが……。
◇
「女よ」
「かの女」
「無題」
「寒い夜の自我像」
「追懐」
「盲目の秋」
「木蔭」
「夏」
「失せし希望」
「老いたる者をして」(「空しき秋」)
「雪の宵」
「倦怠(倦怠の谷間に落つる)」
「夏は青い空に……」
「汚れっちまった悲しみに……」
「生い立ちの歌」
「冷酷の歌」
……
色々な「角度」から「恋」を歌うというところに
「現実の恋」は距離感をもって眺められ
「詩の素材」となりつつあるような流れが見えてきます。
◇
今回はここまで。
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