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2013年10月28日 (月)

ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩17「時こそ今は……」

(前回からつづく)

詩を読むために
ヒントとして詩の背景とか
詩が作られた状況とか
詩人の置かれていた環境とか
……を知っておいたほうがよいということはあるにしても
知らなければならないというものではなく
知っていることが時には
詩を読む妨げにさえなることがあるのなら
知らないほうがマシです。

といったところで
「時こそ今は……」には
固有名詞として「泰子」が現われます。

ああだこうだと
女性の実際上のモデルを詮索(せんさく)する必要もなく
「長谷川泰子」その人が「泰子」として
詩に現われるのです。

時こそ今は……
 
         時こそ今は花は香炉に打薫じ
                 ボードレール

時こそ今は花は香炉に打薫じ、
そこはかとないけはいです。
しおだる花や水の音や、
家路をいそぐ人々や。

いかに泰子、いまこそは
しずかに一緒に、おりましょう。
遠くの空を、飛ぶ鳥も
いたいけな情け、みちてます。

いかに泰子、いまこそは
暮るる籬(まがき)や群青(ぐんじょう)の
空もしずかに流るころ。

いかに泰子、いまこそは
おまえの髪毛(かみげ)なよぶころ
花は香炉に打薫じ、

「しおだる」は
濡れて垂(た)れ下がる、
「なよぶ」は
なよなよとしてやわらかい、という意味です。

どちらも
中也の造語でしょう。

夕闇せまる頃に
花は開ききって絶頂を過ぎようとする瞬間
芳香を放ちはじめますが
何もかもがそこはかとなく
あたりは静もっています。

花は潮垂れ
暗河(くらごう)の水の音や
家路を急ぐ人々の立ち居ふるまいまでもがそこはかとない……。

第1連だけが「描写」の連で
第2連から4連までは
冒頭行を「いかに泰子、いまこそは」と呼びかけではじめる作りになっています。

第2連
しずかに一緒に、おりましょう。
第4連
おまえの髪毛(かみげ)なよぶころ
――と、
泰子がごく近くにいることがわかる詩でもあります。

詩は「時こそ今は花は香炉に打薫じ」る
「幸福」の瞬間を歌っています。

詩の中に過去形もありませんし
歌っているのは「時こそ今」です。
現在です。

とろけるような恋ではないにしても
「失われた恋」ではありません。

今回はここまで。

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