カテゴリー

2024年1月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

« ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩11「老いたる者をして」その2 | トップページ | ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩12「雪の宵」 »

2013年10月15日 (火)

ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩11「老いたる者をして」その3

(前回からつづく)

「恋」の行方を見るために
「老いたる者をして」を
もう少し読んでみましょう。

「老いたる者」とは
人たる者のすべてのことでしょうか。


 
その人を静かな環境においてあげなさい
静かにさせてやってください
彼らを心ゆくまで悔いさせてあげるのです
 
わたしは悔いることを望みます
心ゆくまで悔いて本当に魂を休めたいのです
 
果てしなく泣きたい
父母兄弟友人……そばで見ている人のことなどすっかり忘れて
泣きたい
 
東雲の空、夕方の風のように
小旗がはたはたたなびくように泣こう
 
別れの言葉が、こだまして、雲の中に消えてゆき、
野末に響き、海の上の風に混ざって、永遠に過ぎ去っていくように……
 
反歌
 
私たちは、長い間、臆病で意気地がないために
無駄なことばかりしてきて
泣くことを忘れてきたのだ
ああ
ほんとに大事なことを忘れてきたのだ

読み下しただけですが
「別れの言葉」とあるのが
「恋」の現在を示しています。

もはや、遠い日のこととなったあの時に
女が残した「言葉」だけが私の中を行き来しています。

この詩が「山羊の歌」ではなく
「在りし日の歌」に収録されたことも
「恋」が遠くのものになったことを示しているでしょう。

現実の恋は
行きつ戻りつしますが
泰子に詩人との間からではない子どもが生れたのは
昭和5年12月のことです。

築地小劇場の演出家山川幸世との間の子ですが
詩人はその子に「茂樹」の名をつけました。
名付け親となったのですし
その後もあれやこれやと茂樹を可愛がりますし
泰子との接触を絶やしたわけではありませんが
詩に表われる「恋」は
明らかに遠い過去へ退いています。

「老いたる者」とは
詩人のことでもあったわけです。

老いたる者をして
  ――「空しき秋」第12

老いたる者をして静謐(せいひつ)の裡(うち)にあらしめよ
そは彼等こころゆくまで悔いんためなり

吾は悔いんことを欲す
こころゆくまで悔ゆるは洵(まこと)に魂(たま)を休むればなり

ああ はてしもなく涕(な)かんことこそ望ましけれ
父も母も兄弟(はらから)も友も、はた見知らざる人々をも忘れて

東明(しののめ)の空の如く丘々をわたりゆく夕べの風の如く
はたなびく小旗の如く涕かんかな

或(ある)はまた別れの言葉の、こだまし、雲に入り、野末にひびき
海の上(へ)の風にまじりてとことわに過ぎゆく如く……

   反歌

ああ 吾等怯懦(きょうだ)のために長き間、いとも長き間
徒(あだ)なることにかからいて、涕くことを忘れいたりしよ、げに忘れいたりしよ……

〔空しき秋20数篇は散佚(さんいつ)して今はなし。その第十二のみ、諸井三郎の作曲によりて残りしものなり。〕

(「新かな」「洋数字」に改めました。原詩の第5連第2行「はたなびく」には傍点があります。編者。)

今回はここまで。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

 

« ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩11「老いたる者をして」その2 | トップページ | ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩12「雪の宵」 »

019中原中也/「白痴群」のころ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

« ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩11「老いたる者をして」その2 | トップページ | ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩12「雪の宵」 »