ひとくちメモ「白痴群」前後・「片恋」の詩11「老いたる者をして」その3
(前回からつづく)
「恋」の行方を見るために
「老いたる者をして」を
もう少し読んでみましょう。
「老いたる者」とは
人たる者のすべてのことでしょうか。
◇
その人を静かな環境においてあげなさい
静かにさせてやってください
彼らを心ゆくまで悔いさせてあげるのです
わたしは悔いることを望みます
心ゆくまで悔いて本当に魂を休めたいのです
果てしなく泣きたい
父母兄弟友人……そばで見ている人のことなどすっかり忘れて
泣きたい
東雲の空、夕方の風のように
小旗がはたはたたなびくように泣こう
別れの言葉が、こだまして、雲の中に消えてゆき、
野末に響き、海の上の風に混ざって、永遠に過ぎ去っていくように……
反歌
私たちは、長い間、臆病で意気地がないために
無駄なことばかりしてきて
泣くことを忘れてきたのだ
ああ
ほんとに大事なことを忘れてきたのだ
◇
読み下しただけですが
「別れの言葉」とあるのが
「恋」の現在を示しています。
もはや、遠い日のこととなったあの時に
女が残した「言葉」だけが私の中を行き来しています。
◇
この詩が「山羊の歌」ではなく
「在りし日の歌」に収録されたことも
「恋」が遠くのものになったことを示しているでしょう。
現実の恋は
行きつ戻りつしますが
泰子に詩人との間からではない子どもが生れたのは
昭和5年12月のことです。
築地小劇場の演出家山川幸世との間の子ですが
詩人はその子に「茂樹」の名をつけました。
名付け親となったのですし
その後もあれやこれやと茂樹を可愛がりますし
泰子との接触を絶やしたわけではありませんが
詩に表われる「恋」は
明らかに遠い過去へ退いています。
◇
「老いたる者」とは
詩人のことでもあったわけです。
◇
老いたる者をして
――「空しき秋」第12
老いたる者をして静謐(せいひつ)の裡(うち)にあらしめよ
そは彼等こころゆくまで悔いんためなり
吾は悔いんことを欲す
こころゆくまで悔ゆるは洵(まこと)に魂(たま)を休むればなり
ああ はてしもなく涕(な)かんことこそ望ましけれ
父も母も兄弟(はらから)も友も、はた見知らざる人々をも忘れて
東明(しののめ)の空の如く丘々をわたりゆく夕べの風の如く
はたなびく小旗の如く涕かんかな
或(ある)はまた別れの言葉の、こだまし、雲に入り、野末にひびき
海の上(へ)の風にまじりてとことわに過ぎゆく如く……
反歌
ああ 吾等怯懦(きょうだ)のために長き間、いとも長き間
徒(あだ)なることにかからいて、涕くことを忘れいたりしよ、げに忘れいたりしよ……
〔空しき秋20数篇は散佚(さんいつ)して今はなし。その第十二のみ、諸井三郎の作曲によりて残りしものなり。〕
(「新かな」「洋数字」に改めました。原詩の第5連第2行「はたなびく」には傍点があります。編者。)
◇
今回はここまで。
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