カテゴリー

2024年1月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ

« 2013年10月 | トップページ | 2013年12月 »

2013年11月

2013年11月28日 (木)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「朝の歌」

(前回からつづく)

「悲しみの朝」「黄昏」を読んできた流れで「朝の歌」を読むのも
「生活者」に発表されて後に「山羊の歌」に配置される詩だからですが
「悲しみの朝」「黄昏」は昭和4年9月号発表ですが
「朝の歌」は10月号の発表になります。

「朝の歌」が「生活者」に発表されていたこと自体に目を見張らされますが
「生活者」への発表は「スルヤ」よりも後のことになり
2度目の発表(第2次形態)です。

この詩にまつわるエピソードは数多くあるため
詩そのものを読むには「妨(さまた)げ」になるほどですから
ここでは詩を読むことに集中しましょう。

朝の歌
 
天井に 朱(あか)きいろいで
  戸の隙(すき)を 洩(も)れ入(い)る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽(ぐんがく)の憶(おも)い
  手にてなす なにごともなし。

小鳥らの うたはきこえず
  空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
  諫(いさ)めする なにものもなし。

樹脂の香(か)に 朝は悩まし
  うしないし さまざまのゆめ、
森竝(もりなみ)は 風に鳴るかな

ひろごりて たいらかの空、
  土手づたい きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。

この詩が、文語57調のソネットであり
詩人自らが書いた創作歴「詩的履歴書」(昭和11年)に

「大正十五年五月、『朝の歌』を書く。七月頃小林に見せる。それが東京に来て詩を人に見せる最
初。つまり「朝の歌」にてほゞ方針立つ。(略)」

――とあることくらいは
押さえておいたほうがよいかもしれませんが
知らなくてもよいでしょう。

そんなことを知らなくても
この詩を読むことができます。

天井に 朱(あか)きいろいで
  戸の隙(すき)を 洩(も)れ入(い)る光、

――とはじまる第1連の2行を
「雨戸」から洩れて入っている朝の陽光が
寝床から見上げる天井へと伸び
朱色に燃えている、という情景を浮かべることができれば
この詩の世界へ入り込んでいます。

そうすれば
詩人は今、寝床にあり
遅い朝を迎えていますが
その詩人と同じ位置に自分を重ねていることになります。
これは詩を「体験」しているようなことです。

鄙(ひな)びたる 軍楽(ぐんがく)の憶(おも)い
  手にてなす なにごともなし。

この行は、「軍楽」の読みがさまざまに可能ですが
ここでは戸外から鼓笛隊の演奏が聞えてきて
(洗練されない)鄙びた音をあたりに響かせている
特定の誰かが聞き耳を立てていて
喝采を浴びているというわけでもない
その所在なげな響きが
気も遠くなるような「平和」なのです。

その音が止(や)んでみれば
小鳥の声さえも聞えない昼に近い時間帯
垣間見えた空はうっすら透明な青(はなだ色)の快晴らしい。
首を回して空を覗くのも
億劫(おっくう)な詩人。

昨晩の酒が残り
怠惰に休んでいるひとときを
だれもとがめるものもありません。

今回はここまで。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

2013年11月24日 (日)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「黄昏」その3

(前回からつづく)

「黄昏」の中に

――失われたものはかえって来ない。
――竟(つい)に私は耕やそうとは思わない!

と、「――」を行頭においたフレーズがありますが
この行は詩の作者の「地の声」です。

詩を「作っている人」が
詩の中の世界を「超えて」
直(じか)に「告白」したり「説明」したり「主張」したり「慨嘆」したり……

詩の中で歌ってもよいのですが
詩本文(本体)よりも「高み」(もしくは「低み」)」から
詩本文を「超えて」
ものを言っている詩行です。

ここに並べただけでは
この2行の(因果)関係が見えませんが
詩(人)は「――」を置いた詩行に
なんらかの(因果)関係を主張したかったのでしょうか?

「失われたもの」とは
過ぎてしまった青春とか過去の大切な思い出とか……時間
生まれ育った土地とか住んでいた場所とか……空間
いなくなってしまった家族とか恋人とか友人とか……人間

かつて存在したもので今ここにはないもの。

この詩の場合
どのようにも受け止められますが
まずは、泰子と暮した楽しかった時が浮かんできます。

その時は永遠に帰ってこない
悲しいことは色々とあるものだが
これほど悲しいことはない
――と歌ったところで
草の根の匂いが鼻にくるのです。
そして、畑の土と石が私を見るのです。

ほーれ、見たことか!
女に逃げられてよ!

草の根(の匂い)や畑の土や石は
「大地」にあって永久に不変の存在でありつづけるものです。

日の昇るとともに起き
日の落ちるとともに眠り
土を耕し石ころ取り除く
誠実で忍耐のいる「耕す人々」の暮らしの土台です。

草の根が鼻にくる、
畑の土と石が私を見ている、というのは
あたかもそのように着実な存在であるものによって
私がせせら笑われていることを象徴的に表現したものです。

いや! 私は耕すつもりはない!
――と詩人は、しかし、毅然(きぜん)として否定します。

こうしてきっぱり否定したまでははっきりしていますが
詩人はしばらくの間、
茫然(ぼんやり)黄昏の中に立っていました。

さまざまな思いが立ちのぼり
父親の姿が浮かんできて
その挙動がくっきりしてきたとき
詩人は蓮池のほとりから離れます。

一歩一歩ではなく
一歩二歩と歩き出すのは
「足早に」というニュアンスがあります。

黄 昏
 
渋った仄暗(ほのぐら)い池の面(おもて)で、
寄り合った蓮(はす)の葉が揺れる。
蓮の葉は、図太いので
こそこそとしか音をたてない。

音をたてると私の心が揺れる、
目が薄明るい地平線を逐(お)う……
黒々と山がのぞきかかるばっかりだ
――失われたものはかえって来ない。

なにが悲しいったってこれほど悲しいことはない
草の根の匂いが静かに鼻にくる、
畑の土が石といっしょに私を見ている。

――竟(つい)に私は耕やそうとは思わない!
じいっと茫然(ぼんやり)黄昏(たそがれ)の中に立って、
なんだか父親の映像が気になりだすと一歩二歩歩(あゆ)みだすばかりです

今回はここまで。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

 

2013年11月23日 (土)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「黄昏」その2

(前回からつづく)

「黄昏」の蓮は
「中野の蓮池」を歌ったものという大岡説の上に、
蓮という植物への鋭い「観察」の跡が見られ
「描写」も単なる写実でないところに
「表現の技」をギリギリまで追い求めた形跡があります。

といっても
技が「あばら骨」のように浮き出ているわけではありません。
むしろ、隠されています。

黄 昏
 
渋った仄暗(ほのぐら)い池の面(おもて)で、
寄り合った蓮(はす)の葉が揺れる。
蓮の葉は、図太いので
こそこそとしか音をたてない。

音をたてると私の心が揺れる、
目が薄明るい地平線を逐(お)う……
黒々と山がのぞきかかるばっかりだ
――失われたものはかえって来ない。

なにが悲しいったってこれほど悲しいことはない
草の根の匂いが静かに鼻にくる、
畑の土が石といっしょに私を見ている。

――竟(つい)に私は耕やそうとは思わない!
じいっと茫然(ぼんやり)黄昏(たそがれ)の中に立って、
なんだか父親の映像が気になりだすと一歩二歩歩(あゆ)みだすばかりです

この詩の「描写」をざっと見てみますと、

渋った仄暗い池の面
寄り合った蓮の葉
蓮の葉は、図太い
こそこそとしか音をたてない
薄明るい地平線
黒々と山がのぞきかかる
草の根の匂い

……などと、言葉の選び方には
なんともいえない「クセ」がありますが
比較的に平易です。
「渋った」は詩人による造語でしょうか。

蓮の葉は、図太い
こそこそとしか音をたてない
草の根の匂い

……のようなユニークな表現が平易な言葉の中に混じります。

寄り合った蓮の葉
蓮の葉は、図太い
黒々と山がのぞきかかるばっかりだ
畑の土が石といっしょに私を見ている。

……という擬人法も次第に姿を現わして自然(控え目)です。

渋った、暗い……という光の加減(視覚)
寄り合った、揺れる……という身体感覚
図太い、こそこそ……という人間の性質(擬人化)

「こそこそ」は音にかぶさり(私=詩人が登場)
「私」の心の揺れになり……心理
揺れる心が地平線を追い……目の移動
黒々と山が「迫ってくる」……光(視覚)

ここで突如(と感じさせるように)

――失われたものはかえって来ない。
なにが悲しいったってこれほど悲しいことはない

――という2行が、連を渡して出現します。

そしてすぐに(第3連)

草の根の匂い……鼻をつき(嗅覚)
畑の土が石といっしょに私を見ている……という「くっきりした」擬人化で終わります。

一語一語、一行一行が
五感を総動員して
「しりとり遊び」のようにリンクし
第1連から第3連へと
蓮池の情景を借りながら淡々と進行し
いつしか詩人の「立ち位置」を宣言する最終連へいたります。

第1連から第3連までは
最終連の導入であるかのように
この詩は作られています。

今回はここまで。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

2013年11月22日 (金)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「黄昏」

(前回からつづく)

「黄昏」も
悲しみについて歌っているところで
「悲しみの朝」と同じです。

「生活者」の昭和4年9月号に発表されています。
そして、「山羊の歌」の「初期詩篇」に収録されるところも同じですが
「黄昏」は9番目、「悲しみの朝」は15番目という配置です。

「悲しみの朝」とどちらが先に制作されたのかわかりませんが
昭和4年であるのは間違いないことでしょう。

二つの詩を
類似しているところがあるからといって
比較して読むあまり混同することには注意が必要です。
二つの詩は
別々の詩であることをゆめゆめ忘れてはなりません。

でも「悲しみ」というテーマ(主題)で歌われた詩の
早い時期の作品であるということを
記憶しておくことに越したことはないでしょう。

この詩「黄昏」ではズバリ! 

――失われたものはかえって来ない。
なにが悲しいったってこれほど悲しいことはない

――という詩行が見られ
「悲しみの理由」が明確に歌われていますから
詩人がこの後に多量に歌う「悲しみの歌」を味わうときに
なんらかの参考になることがあるはずです。

黄 昏
 
渋った仄暗(ほのぐら)い池の面(おもて)で、
寄り合った蓮(はす)の葉が揺れる。
蓮の葉は、図太いので
こそこそとしか音をたてない。

音をたてると私の心が揺れる、
目が薄明るい地平線を逐(お)う……
黒々と山がのぞきかかるばっかりだ
――失われたものはかえって来ない。

なにが悲しいったってこれほど悲しいことはない
草の根の匂いが静かに鼻にくる、
畑の土が石といっしょに私を見ている。

――竟(つい)に私は耕やそうとは思わない!
じいっと茫然(ぼんやり)黄昏(たそがれ)の中に立って、
なんだか父親の映像が気になりだすと一歩二歩歩(あゆ)みだすばかりです

大岡昇平の書いた伝記「朝の歌」に
この蓮池に関する有名な記述があります。

そこで、中也が住んでいた下宿、東京・中野の池と推定されたため
あまりにも印象に残り
「黄昏」を読むときには
見たこともない中野の蓮池を想像してしまうほどです。

昭和初期の中野を知るものではありませんが
高度経済成長以前の中野をよく知っていると
「黄昏」を読むときに
中野の自然がかぶさってきます。

本当は「中野の蓮池」にこだわらなくても読める詩です。
蓮池は各所によく見られます。
石神井池や井の頭池など
池という池に必ずといってよいほど
蓮が茂る一角があるようですし
詩人の生地、山口にも存在するかもしれませんし
「黄昏」に歌われている蓮が
東京・中野のものと特定しなくてもオーケーです。

同時代を生きた友人の、1次情報ですから
大岡の記述には説得力がありますが
「黄昏」の蓮は
「自然の蓮」である以上の意味を放っていて
蓮の描写や風景の細部の見事さに目を奪われていると
見失うものがあります。

今回はここまで。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

2013年11月20日 (水)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「悲しき朝」その4

(前回からつづく)

「悲しみの朝」をもう少し読みます。

後半部の「省略」は
詩(人)が自ずと辿(たど)った結果といえるものですから
隠された無数の言葉を思い巡らすことは
かなり無意味なことになりましょう。

想像が的外れになり
無闇に想像すれば
詩を見失うことになります。

この詩を再び一歩距離をおいて読んでみると
第1連が「起」
第2連が「承」
「知れざる炎、空にゆき!」
「響(ひびき)の雨は、濡(ぬ)れ冠(かむ)る!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」――の3行が「転」
「われかにかくに手を拍く……」が「結」
――という構造になっていることが見えてきます。

「悲しみの朝」という主題(テーマ)から
そのように見直すことができるからです。

「悲しみ」とはなんだろう、という眼差しで読み返すと
この詩はひとかたまりのまとまったものになり
すると「起承転結」がはっきりしてきます。

悲しき朝
 
河瀬(かわせ)の音が山に来る、
春の光は、石のようだ。
筧(かけい)の水は、物語る
白髪(しらが)の嫗(おうな)にさも肖(に)てる。

雲母(うんも)の口して歌ったよ、
背ろに倒れ、歌ったよ、
心は涸(か)れて皺枯(しわが)れて、
巌(いわお)の上の、綱渡り。

知れざる炎、空にゆき!

響(ひびき)の雨は、濡(ぬ)れ冠(かむ)る!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

われかにかくに手を拍く……

「転」を「連」のつくりにしなかったには
色々な理由があったことでしょう。

詩人には
無数の言葉が散乱していたはずです。

それはさながら
轟音とどろく巌(いわお)の上を走る歌声……。
詩心の氾濫……。

「知れざる炎」は、空に行き、
「響の雨」は、ぼくを濡れこぼす。
――という二つの氾濫。

一つは、空へ向かう炎。
一つは、ぼくに降りしきる雨。

相反する氾濫。

いや、それだけじゃない。
詩心は溢れ返ります。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

書きようにも
書ききれない。

それを書いたら
詩でなくなってしまう。

詩と格闘する詩人。
孤独な詩人。

そして
はたと手をはたく詩人。

最後の1行
われかにかくに手を拍く……
――は、こうして書かれました。

詩末尾の「……」は
格闘の続行を示しています……。

今回はここまで。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

 

2013年11月19日 (火)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「悲しき朝」その3

(前回からつづく)

「悲しき朝」は
なぜ「悲しき」なのでしょう?
どこがどのように悲しいのでしょう?

この詩の中に
それを明示する詩語を見つけるのは
困難といえば困難でしょうが
ヒントくらいは見つかるでしょう、きっと。

それを見つけることは
この詩を読むのに等しいことかもしれません。

悲しき朝
 
河瀬(かわせ)の音が山に来る、
春の光は、石のようだ。
筧(かけい)の水は、物語る
白髪(しらが)の嫗(おうな)にさも肖(に)てる。

雲母(うんも)の口して歌ったよ、
背ろに倒れ、歌ったよ、
心は涸(か)れて皺枯(しわが)れて、
巌(いわお)の上の、綱渡り。

知れざる炎、空にゆき!

響(ひびき)の雨は、濡(ぬ)れ冠(かむ)る!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

われかにかくに手を拍く……

1行1行を読み返してみれば
「悲しみ」につながるものならば
「響の雨」という言葉に強く吸引されます。

「悲しみ」ならば
「炎」よりも「雨」になりますから。

「響の雨」とは
第1連、第2連を通じて歌われている
河瀬の音であると同時に
それを聞きながらぼくが口をとがらせて歌った歌が
岩の上を綱渡りしていく声でもあります。

河瀬をバックに歌ったぼくの声は
カラカラの心が歌ったしゃがれ声でした。
その歌が滝の岩の上を走るのです。

雲母の口して歌ったよ、
背ろに倒れ、歌ったよ、
心は涸(か)れて皺枯(しわが)れて、
巌(いわお)の上の、綱渡り。

――という第2連が
単なる情景描写ではないのを
なぜ感じられるのでしょうか。

ここにこの詩の最大の不思議があるのですが
よくよく考えてみると
幼い子どもであった詩人が巨大な滝を背に
声を枯らして歌っているというその一種異様な姿が
異様ではなく自然に歌われているこの連は
この詩の中で詩人その人のその心に
もっとも接近している部分です。

詩人の思いを
もっともクローズアップする詩行です。

雲母の口して
背に倒れ
歌った
――という状況にいたるまでにどのような経緯があったのか
想像するのはそれほど困難なことではありません。

巌を背にして
子どもがひとりぼっちで
声を限りに歌っているのです。

「悲しみ」の元が
このあたりにありそうです。

今回はここまで。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

 

2013年11月18日 (月)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「悲しき朝」その2

(前回からつづく)

「悲しき朝」は
詩人の故郷のものらしき河瀬の音を歌いだし(遠景)
やがて、
昔日に、一人岩場に歌う詩人(近景)をとらえます。

そして、
後半部に入って「展開」があるはずが

知れざる炎、空にゆき!

響(ひびき)の雨は、濡(ぬ)れ冠(かむ)る!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

われかにかくに手を拍く……

――と「連」の形をつくらずに
詩は完結します。

後半のこの「4行」は
きっと「4連」の「省略」です。

「省略」は詩を生む有力な武器ですが
それが「強い」分だけ
説明とか描写とか独白とか……
詩行としてあってもおかしくない部分がなくなるわけですから
「読み」に難しさが加わります。

冒険ともいえるような
言語の「遊び」もしくは「実験」を
詩人は
詩を書きはじめたダダ時代以来
果敢に本気で試みています。
この詩もその例です。

後半部「4行」をいかに読むか――。

「4行」は
前半2連と何らかは「連続」しているのですから
4行はみんな
河瀬の音を聴きながら
雲母の口をして歌った、という「描写」を受けているものと読むのが自然でしょう。

これ(前半と後半)が無関係であったら
まったく詩を読むことはできなくなります。

前半2連に引き続いて
詩は詩人の「思い」を述べている――。

あの時の情景を振り返る詩人の「思い」は
次第に乱れあるいは高まり
口をとがらせてしゃがれるまでに歌った「ぼく」の心に
すっかりかぶさりますが……

あの時
「知れざる炎」が空に飛んでいったのだ!
「響の雨」はぼくを濡れ冠むったのだ!

……

行末に「!」が連続していることは
この2行が「同格」を示しているものといえるでしょう。

3行目の「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」と
最終行の末尾「……」も同格らしい。

こみ上げてきて言い尽くせぬ思い
言ってはいけない秘密のようなもの。

「知れざる炎」も「響の雨」も
詩人が河瀬で歌った過去に喚起されて
現在の詩人の中に湧き起こった思いです。
それを「詩の言葉」にしたものです。

今日この日に河瀬に来て
昔のある日の経験を思い出して書いたのか
河瀬をこの詩を書いた時の詩人が見たかどうかはわかりませんが
遠い日の思い出が現在にかぶさってきて
詩人の心は揺れています。

「……」は
詩人の心の揺れを表わすでしょう。

その揺れこそ
詩を書くことそのものに繋がります。

詩そのものかもしれません。

今回はここまで。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

 

2013年11月17日 (日)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「悲しき朝」

(前回からつづく)

「山羊の歌」の「初期詩篇」で
「逝く夏の歌」の次に配置されているのが「悲しき朝」です。
どちらも「生活者」の昭和4年9月号に発表されています。

悲しき朝
 
河瀬(かわせ)の音が山に来る、
春の光は、石のようだ。
筧(かけい)の水は、物語る
白髪(しらが)の嫗(おうな)にさも肖(に)てる。

雲母(うんも)の口して歌ったよ、
背ろに倒れ、歌ったよ、
心は涸(か)れて皺枯(しわが)れて、
巌(いわお)の上の、綱渡り。

知れざる炎、空にゆき!

響(ひびき)の雨は、濡(ぬ)れ冠(かむ)る!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

われかにかくに手を拍く……

詩は「省略」の多少を按配(あんばい)することで作られている――と言ってよいほど
1字1句、1行1行、1連1連……
詩の全体の細部にわたる「省略」の建築みたいなもので
その過不足によって詩心は刻まれ
形になります。

「悲しき朝」は
「省略」というありふれた技法を使って
春の朝の山村の情景に
老女に物語らせ
幼児に歌わせ
詩の「ありか」を歌います。

なぜ「悲しき」なのか。

「省略」を極限までほどこした果てに
詩は
知れざる炎となって空へ行き
響(ひびき)の雨となってずぶ濡れになります。

炎であり
雨であり
「……」であり

詩人が歌おうとした詩は
言い尽くせぬ
言うに言われぬ
「……」であり

幼い日
口をとがらせて歌ったあの時の
涸れて皺枯(しわが)れて
いわばしる滝の上を渡っていった
あの歌で…………

今回はここまで。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

2013年11月16日 (土)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「逝く夏の歌」その2

(前回からつづく)

梢が息を吸って空は見ていた
旅人は見付けた
山の端は清くする
私が塗っておいた
風が送る
……

第1連、第2連、第3連冒頭行の主語と述語だけを追えば
このようになります。

各連が
擬人法を交互に使っているのが分かります。

擬人法は第3連冒頭行まで使われて消え
以降、末行まで「人間=私」を主語とします。

始めに出てくる「旅人」は「私=詩人」らしく
後半連の主格も「私」であることに気づけば
この詩の骨格は見えたことになります。

逝く夏を歌う主人公は
旅人であり
私である
詩人です。

全体の骨格が見えて
ふたたび詩を読み返してみれば
第2連

飛んで来るあの飛行機には、
昨日私が昆虫の涙を塗っておいた。

――の「暗喩(あんゆ」が立ちふさがります。

擬人法の中に紛れ込むようにある
「私」が「飛行機に」「昆虫の涙を塗っておいた」という動作が
どのような意味を表現しているのかと立ち止まります。

この2行の「意味」を受け止めないことには
この詩を読み進むことはできません。

ここでも
前後関係あるいは全体から類推するという方法にたより
想像力をフルに生かすしか手はありません。

なぜ昆虫か
なぜ涙か
昆虫の涙を飛行機に塗る、という行為に
詩人は何を込めたのか――。

逝く夏の歌

並木の梢(こずえ)が深く息を吸って、
空は高く高く、それを見ていた。
日の照る砂地に落ちていた硝子(ガラス)を、
歩み来た旅人は周章(あわ)てて見付けた。

山の端(は)は、澄(す)んで澄んで、
金魚や娘の口の中を清くする。
飛んで来るあの飛行機には、
昨日私が昆虫の涙を塗っておいた。

風はリボンを空に送り、
私は嘗(かつ)て陥落(かんらく)した海のことを 
その浪(なみ)のことを語ろうと思う。

騎兵聯隊(きへいれんたい)や上肢(じょうし)の運動や、
下級官吏(かきゅうかんり)の赤靴(あかぐつ)のことや、
山沿(やまぞ)いの道を乗手(のりて)もなく行く
自転車のことを語ろうと思う。

澄んで澄んで、というルフランが示す
秋の気配がここにもありそうです。

金魚や娘の口を「清く」するものが
飛んでくる飛行機をも「清く」するものでなければならない……。

「清く」とのシノニム(同義語)が
ここに置かれて(歌われて)いるとすれば
「昆虫の涙」は飛行機を清くするもので
その行為を「私」がしたということになります。

次の連の冒頭の「風はリボンを空に送り」も
「逝く夏」の「澄んだ」情景を歌っているものならば
「昆虫の涙」は「澄んだ」ものの象徴ということになりますが……。

近景と遠景。
過去と現在。

「風」が時空を移動するバネになって……。
遠い遠い日の「記憶」が
ざわざわと蠢(うごめ)きはじめます。

こんな時に
詩人は
詩人の歌いたいものを見出します。

今回はここまで。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

 

2013年11月15日 (金)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「逝く夏の歌」

(前回からつづく)

「生活者」第9号に
「都会の夏の夜」とともに発表された詩の一つに
「逝く夏の歌」はあり
この詩もやがて「山羊の歌」に収録されます。

逝く夏の歌

並木の梢(こずえ)が深く息を吸って、
空は高く高く、それを見ていた。
日の照る砂地に落ちていた硝子(ガラス)を、
歩み来た旅人は周章(あわ)てて見付けた。

山の端(は)は、澄(す)んで澄んで、
金魚や娘の口の中を清くする。
飛んで来るあの飛行機には、
昨日私が昆虫の涙を塗っておいた。

風はリボンを空に送り、
私は嘗(かつ)て陥落(かんらく)した海のことを 
その浪(なみ)のことを語ろうと思う。

騎兵聯隊(きへいれんたい)や上肢(じょうし)の運動や、
下級官吏(かきゅうかんり)の赤靴(あかぐつ)のことや、
山沿(やまぞ)いの道を乗手(のりて)もなく行く
自転車のことを語ろうと思う。

「逝く夏の歌」を読むと

並木の梢(こずえ)が深く息を吸って、
空は高く高く、それを見ていた。
(第1連)

山の端(は)は、澄(す)んで澄んで、
金魚や娘の口の中を清くする。
(第2連)

風はリボンを空に送り、
(第3連)

――のような「擬人法」と

飛んで来るあの飛行機には、
昨日私が昆虫の涙を塗っておいた。
(第2連)

――のような「暗喩」がからみあう複雑さにぶつかります。

その上に

私は嘗(かつ)て陥落(かんらく)した海のことを 
その浪(なみ)のことを語ろうと思う。

騎兵聯隊(きへいれんたい)や上肢(じょうし)の運動や、
下級官吏(かきゅうかんり)の赤靴(あかぐつ)のことや、
山沿(やまぞ)いの道を乗手(のりて)もなく行く
自転車のことを語ろうと思う。

――と「類推」や「連想」だけでは想像もできない
この詩人固有の題材(体験や記憶)が混ざる構成であることを知ります。

擬人法、喩、「私的」題材……。
これらが重層するため
イメージが錯綜しそうですが
決してそうならないのは
「逝く夏の歌」のタイトル(=テーマ)から
一歩もはみ出さない求心力が
この詩にあるからです。

夏が終わって、その後に、秋がやってくるという
「季節の移り変わり」に焦点を向けたのではなく
夏が終わったことそのものを歌う詩ですから
「逝った夏」から離れていないのです。

この詩の最大の謎(なぞ=難しさ)はおそらく
「陥落した海」や 
「その浪」や
「騎兵聯隊や上肢の運動」や
「下級官吏の赤靴」
「乗手もなく行く自転車」にあります。

これらは
作者である詩人も見たことのない未体験の話です。
それを題材にしていることを
初めてこの詩を読む人が知ることはできません。

「陥落した海」とは
どうやら日露戦争の「旅順港」で
日本軍が陥落させたロシア軍の要塞のことです。
詩人は幼時、
父謙助が赴任した旅順へ
母に負われて滞在したことがありますから
その時のことを後になって繰り返し繰り返し聞かされ
記憶に残るはずもないこの「経験」を
あたかも目で見、耳で聞いたかのように記憶に刻みました。

それらのことを
「語ろうと思う」と歌ったのです。

最後に現われる「乗手もなく行く自転車」は
旅順の「経験」ではないかもしれませんが
やはり遠い日の経験でありそうです。

今回はここまで。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

2013年11月14日 (木)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「都会の夏の夜」その2

(前回からつづく)

「都会の夏の夜」には
「イカムネ・カラア」のように
聞きなれない言葉がありますが
単語の意味を知るのは割合容易です。

辞書を引くなり
参考書で調べるなりすれば
たいがいは解答が得られますし
前後関係から推測して
大体は見当がつく場合がほとんどでしょうから。

都会の夏の夜
 
月は空にメダルのように、
街角に建物はオルガンのように、
遊び疲れた男どち唱(うた)いながらに帰ってゆく。  
――イカムネ・カラアがまがっている――

その脣(くちびる)は胠(ひら)ききって
その心は何か悲しい。
頭が暗い土塊(つちくれ)になって、
ただもうラアラア唱ってゆくのだ。

商用のことや祖先のことや
忘れているというではないが、
都会の夏の夜の更――

死んだ火薬と深くして
眼(め)に外燈(がいとう)の滲(し)みいれば
ただもうラアラア唱ってゆくのだ。

「カラア」は
「カラーに口紅」の「カラー=襟(えり)」であることが分かれば
「イカムネ」はその種類を表わしていることも分かりますね。

この詩の最終連

死んだ火薬と深くして
眼(め)に外燈(がいとう)の滲(し)みいれば
ただもうラアラア唱ってゆくのだ。

――のような詩句にぶつかったとき
辞書や参考書で調べても
まず明快に答えを見出せないことが多く
「想像する」ほどで読み終えたことにしておくのが
普通のケースでしょう。

このようなとき
類推や連想を頼りにするしか手はありません。

その方法に
磨きをかけるしかないのです。

その一つが
前後関係から類推するという方法で
これは「言語の理解」の基本中の基本で
常日頃あらゆる場面で人々が意識的無意識的に行っていることです。

それほど普通に行っていることであり
有効なことだから行っている方法です。

死んだ火薬と深くして
――という詩行は
都会の夏の夜の「風景」の中に置いてみれば
類推がいっそう奏功してくることでしょう。

都会の夏の夜の更――
――という前連終行から連想するのです。

連が終わりいったん「間(ま)」が開けられて
「断絶」が設けられた印象ですが
ここは「断絶」ではなく「断続」を読みます。

詩は
全体で「繋がっている」はずですから。

であるならば
「死んだ火薬」は
「人気もなく灯りの消えた街」の情景として浮かび上がってきます。

「死んだ火薬」というのは
さっきまで喧騒に満ちて皓々と輝いていた街のことで
その街がまだそこにあるかのように
その街に「深く」交わった人々が
歌い行進する様子であることが読めてきます。

その人々の眼には
外燈がまだ滲みるほどに鮮やかなのです。

今回はここまで。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

2013年11月13日 (水)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「都会の夏の夜」

(前回からつづく)

「春の夜」は
全行にわたって解説しているものがなかなか見つからず
「新編中原中也全集」や「中原中也必携(別冊国文学)」などを参考にしながら
ともかくも自力で読んでみました。

「春の夜」の難しさは
全連、各詩行の一つひとつが難解である上に
各連各行の「つながり」がとらえにくいことからくるもののようでしたが
「山羊の歌」の「初期詩篇」には
これと似た「作り」の詩が幾つかあります。

「月」
「凄じき黄昏」
「ためいき」
――がそのグループとなり
「月」「春の夜」は「生活者」に初出した後に
「山羊の歌」に配置された詩です。

この4作を読みこなせば
「山羊の歌」の「初期詩篇」の難解さは氷解しはじめ
一つひとつの詩がキラキラと輝きはじめ
全22篇の詩世界が「妍(けん)を競う」ような
華麗な姿を現わします。

「山羊の歌」「初期詩篇」には
このほかに
詩の全体の大意は理解できるものの
ある特定の詩行が難解で
とりあえずは「回避」して読み過ごしてきた詩があります。

出だしはそれほど難解ではなく
詩世界の中にスムーズに没入していけるのだけれど
「岩のような」その難解な詩行にぶつかり
その岩には登らずに
回り道して頂上に辿りついたような詩――。

分からない詩句は分からないままに
およその見当はつけても
アバウトな想像に留めておいて
最後まで読んだ詩です。

トタンがセンベイ食べて
(春の日の夕暮)

死んだ火薬と深くして
眼に外套の滲みいれば
(都会の夏の夜)

夏の夜の露店の会話と、
建築家の良心はもうない。
あらゆるものは古代歴史と
花崗岩のかなたの地平の目の色。
(秋の一日)

波うつ毛の猟犬見えなく、
猟師は猫背を向うに運ぶ
(深夜の思い)

人の情けのかずかずも
ついに蜜柑の色のみだった?……
(冬の雨の夜)

飛んでくるあの飛行機には、
昨日私が昆虫の涙を塗っておいた。
(逝く夏の歌)

……

「初期詩篇」をパラパラめくれば
こんな詩句にぶつかります。

これらの難解さは
「初期詩篇」の前半部だけにあるもののようです。

「初期詩篇」の後半部の詩篇からは
次第にその難しさは薄れていきます。

これらの難解詩行を含む詩篇のうち
「生活者」初出の作品を読んでいきましょう。

という絞り方をすると
「都会の夏の夜」が浮かんできます。

都会の夏の夜
 
月は空にメダルのように、
街角に建物はオルガンのように、
遊び疲れた男どち唱(うた)いながらに帰ってゆく。  
――イカムネ・カラアがまがっている――

その脣(くちびる)は胠(ひら)ききって
その心は何か悲しい。
頭が暗い土塊(つちくれ)になって、
ただもうラアラア唱ってゆくのだ。

商用のことや祖先のことや
忘れているというではないが、
都会の夏の夜の更――

死んだ火薬と深くして
眼(め)に外燈(がいとう)の滲(し)みいれば
ただもうラアラア唱ってゆくのだ。

(新編中原中也全集 第1巻」より。「新かな」に改め、一部「振りがな」を加えました。編者。)

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

2013年11月 6日 (水)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「春の夜」その3

(前回からつづく)

「春の夜」に流れている「すずろなる物の音(ね)」(第4連)は
第7連にきて
「かびろき胸のピアノ」という正体を現わします。

このピアノを弾くのは
「一枝の花、桃色の花」(第1連)の女性でしょうか?
「砂の色せる絹衣(きぬごろも)」の女性でしょうか?
これらの女性は同一人物でしょうか?

それとも窓の中には
ほかにピアノの演奏者がいるのでしょうか?
その演奏者は女性でないこともあるでしょうか?

かびろき胸のピアノ鳴り
  祖先はあらず、親も消(け)ぬ。

――という第7連にやってきて
これらの疑問に答えを出さなくては
詩を読みきれないというような
見極めの段階に入ります。

この詩のヒロインが
一人か否かかは
この詩の命に関わることです。

そのことを読み取らねばならないところにさしかかっています。
判断する時期です。

最終連
埋(うず)みし犬の何処(いずく)にか、
  蕃紅花色(さふらんいろ)に湧きいずる
      春の夜や。

――とともに第7連は
この詩の「結び」(エンディング)なので
まさに「読む」ことを求められています。

ああも考えられる
こうも考えられる、という「判断停止(留保)」を脱し
詩の核心に触れるのです。

ピアノを弾く女性のいでたちが
意外(?)に
胸幅(むなはば)があるというイメージは
7オクターブもある鍵盤の左から右、右から左と
鍵をなぞって往復する奏者の「逞(たくま)しさ」を表わすのでしょうか。

ピアノを弾く姿に孤独の影があるのは
祖先や親や……係累を感じさせない「強さ」があるからです。
彼女は一人でなければなりません。

最終連の
「埋みし犬」の意味が
このようにして導き出されていきます。

祖先、親……
埋葬した愛犬……
すべての過去……

次々に立ち昇ってくる!
サフラン色に
わーっと湧いてくる!

春の夜――。

詩を読み終えようとする時に
歌い手である詩人は
孤影ただよう女性その人に重なっています。

詩人は女性と同化しています。

今回はここまで。

春の夜
 
燻銀(いぶしぎん)なる窓枠の中になごやかに
  一枝の花、桃色の花。

月光うけて失神し
  庭の土面(つちも)は附黒子(つけぼくろ)。

ああこともなしこともなし
  樹々よはにかみ立ちまわれ。

このすずろなる物の音(ね)に
  希望はあらず、さてはまた、懺悔(ざんげ)もあらず。

山虔(やまつつま)しき木工(こだくみ)のみ、
  夢の裡(うち)なる隊商のその足竝(あしなみ)もほのみゆれ。

窓の中(うち)にはさわやかの、おぼろかの
  砂の色せる絹衣(きぬごろも)。

かびろき胸のピアノ鳴り
  祖先はあらず、親も消(け)ぬ。

埋(うず)みし犬の何処(いずく)にか、
  蕃紅花色(さふらんいろ)に湧きいずる
      春の夜や。

(新編中原中也全集 第1巻」より。「新かな」に改め、一部「振りがな」を加えました。編者。)

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

2013年11月 4日 (月)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「春の夜」その2

(前回からつづく)

向うに見える窓枠は
この詩の歌い手の右か左かの上方(2階あたり)か
1階の、今歌い手がいる庭に地続きとなった1階の部屋なのか

いったん詩の世界に入り込むと
舞台背景(装置)の位置関係が気になりはじめます。

女性がなごやかな時を過ごしているのを
窓越しに見上げているのか
もっと近くに親密な距離で女性が見えているのか

(わたしのいる)庭の地面は月光を受けて「身もそぞろ(失神し)」
まだら状の付け黒子になっている。

――という第2連は、
ほの暗い場所の描写ですから
女性のいる部屋からは距離をおいている
歌い手の眼前に庭は広がり
木立ちは庭を取り巻いている……

こちらの地上も
「こともなしに」なごやかな時が流れているのだから
木々よ! 揺らすな、風を立てるな
はにかみ立ち回れよ

あの部屋から流れるこのすずろな音楽を聞いて
希望が湧くでもなく、かといって、深い悔いの気持ちが生まれるものでもない

どうやら歌い手は一所にいて
そこからは女性のいる窓も庭の土も木々も見える、という一定の位置から歌ったか
女性のいる部屋から庭へ下りて、という動きを歌ったか
そのどちらかを歌ったと読んでよいことがわかります。

「2次元の世界」を歌っているのです。
シュルレアリズムの詩ではありません。
だからそれほど難解ではないような気がしてきます。

第5連は、長考の末……。

つましい暮らしをする木工だけが
夢の中に現われる駱駝(らくだ)のキャラバンの足並みを見るだろう
――と読みました。

希望もなく、悔いもなく
「こともない」「春の夜」は
それだけで、この上もこの下もない「充足した時」ですが
なお「隊商のその足竝(あしなみ)」を夢の中で見ることが出来るとすれば
つつましい木工の暮らしに習いなさい、
――と自らに言い聞かせるのです。

「隊商の足竝(あしなみ)」は
自由で豊かで安定して勢いのある生活の象徴にほかなりません。

ややモラリッシュな詩行の観がありますが
ここはこの詩が単に風景描写の詩に止まらないことを示します。

この連を経て
また女性のいる部屋に視線は誘われます。

窓の中(うち)にはさわやかの、おぼろかの
  砂の色せる絹衣(きぬごろも)。

こんど「花」は「絹衣」になって姿を現わしますが
その絹衣は「砂の色」です。
より艶(なま)めかしくなりますが
エロチックというほどではありません。

今回はここまで。

春の夜
 
燻銀(いぶしぎん)なる窓枠の中になごやかに
  一枝の花、桃色の花。

月光うけて失神し
  庭の土面(つちも)は附黒子(つけぼくろ)。

ああこともなしこともなし
  樹々よはにかみ立ちまわれ。

このすずろなる物の音(ね)に
  希望はあらず、さてはまた、懺悔(ざんげ)もあらず。

山虔(やまつつま)しき木工(こだくみ)のみ、
  夢の裡(うち)なる隊商のその足竝(あしなみ)もほのみゆれ。

窓の中(うち)にはさわやかの、おぼろかの
  砂の色せる絹衣(きぬごろも)。

かびろき胸のピアノ鳴り
  祖先はあらず、親も消(け)ぬ。

埋(うず)みし犬の何処(いずく)にか、
  蕃紅花色(さふらんいろ)に湧きいずる
      春の夜や。

(新編中原中也全集 第1巻」より。「新かな」に改め、一部「振りがな」を加えました。編者。)

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

 

2013年11月 3日 (日)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「春の夜」

(前回からつづく)

「月」につづいて
「山羊の歌」中の超・難解詩を読みましょう。

春の夜
 
燻銀(いぶしぎん)なる窓枠の中になごやかに
  一枝の花、桃色の花。

月光うけて失神し
  庭の土面(つちも)は附黒子(つけぼくろ)。

ああこともなしこともなし
  樹々よはにかみ立ちまわれ。

このすずろなる物の音(ね)に
  希望はあらず、さてはまた、懺悔(ざんげ)もあらず。

山虔(やまつつま)しき木工(こだくみ)のみ、
  夢の裡(うち)なる隊商のその足竝(あしなみ)もほのみゆれ。

窓の中(うち)にはさわやかの、おぼろかの
  砂の色せる絹衣(きぬごろも)。

かびろき胸のピアノ鳴り
  祖先はあらず、親も消(け)ぬ。

埋(うず)みし犬の何処(いずく)にか、
  蕃紅花色(さふらんいろ)に湧きいずる
      春の夜や。

一つひとつの行をていねい読んで
一つの連を読み終えたら
次の連の行へと進みまた次の行へ
そして、その連を読み終えると次の連へ

行から行へ、連から連へ
イメージをつなぎ合わせようとしても
つながらない時があり
こういう時に詩は難解なものになります。

「月」のようには整然としていない
「春の夜」が難解なのは
行と行、連と連が連続していないと受け取られて
「物語」を読み取れなかったり
詩を歌っている視点の移動が把握できなかったり
詩自体がピカソの絵のように
複数の視点で描(書)かれていると見られたりするからです。

その上
一つひとつの詩行が
なぜそこに書かれたか
理由がつかみにくいものがあったり
書かれたことの意味がつかみにくいものであったりもするから
全体をとらえにくいからです。

第1連第1行の「窓枠」と
第6連第1行の「窓」は
同じ窓なのか、とか、

第2連の「失神し」の主体(主語)は何か、
「失神」はどのようなことを喩(たと)えているか、とか

第3連の
樹々(きぎ)よはにかみ立ちまわれ。
――の意味は何か、とか、

第4連第1行の
「このすずろなる物の音に」の
「この」とは何を指しているのか、とか、
「すずろなる物の音」とは何か、
第7連の「ピアノ」のことか、とか、

第5連の

山虔(やまつつま)しき木工のみ、
  夢の裡(うち)なる隊商(たいしょう)のその足竝(あしなみ)もほのみゆれ。

――は、丸ごと意味が通じない、
なぜ突如、木工や隊商が登場するのか、とか、

第7連の
祖先や親とは、誰のことか、とか、

……

モヤモヤしたものが残ります。

しかし、難解な詩行はあるにしても
難解な語句はないのが
「春の夜」の特徴といえば特徴です。

冒頭連の

燻銀(いぶしぎん)なる窓枠の中になごやかに
  一枝(ひとえだ)の花、桃色の花。

――は、
銀フレームの窓枠の中に「なごやかに」
1本の花(=女性)があり、
桃色の衣裳を着ている、というような「描写」でしょう。

「描写」といっても
写実ではなく
「暗喩(メタファー)」や「象徴化(シンボライゼーション)」などの技を通していますから
情景をイメージするのに少し手間取りますが
この詩のセッティングはおおよそ把握できます。

女性がなごやかな状態で窓の中に見える
「春の夜」の情景の歌い出しです。

ゆらゆらする感じや
クラクラする感覚がありますが
詩のはじまりはすんなりと
詩の中へ入り込んでいけます。

今回はここまで。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

 

2013年11月 2日 (土)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「月」

(前回からつづく)

「山羊の歌」の2番目に配置されている「月」は
同名の詩が「在りし日の歌」の5番目にもあります。
この2作は
同じ頃の制作と見られています。

まずは両作品を読みます。

「山羊の歌」の「月」

今宵月はいよよ愁(かな)しく、
養父の疑惑に瞳を睜(みは)る。
秒刻(とき)は銀波を砂漠に流し
老男(ろうなん)の耳朶(じだ)は蛍光をともす。

ああ忘られた運河の岸堤
胸に残った戦車の地音
銹(さ)びつく鑵(かん)の煙草とりいで
月は懶(ものう)く喫っている。

それのめぐりを七人の天女は
趾頭(しとう)舞踊しつづけているが、
汚辱に浸る月の心に

なんの慰愛もあたえはしない。
遠(おち)にちらばる星と星よ!
おまえの劊手(そうしゅ)を月は待ってる

「在りし日の歌」の「月」

今宵(こよい)月は襄荷(みょうが)を食い過ぎている
済製場(さいせいば)の屋根にブラ下った琵琶(びわ)は鳴るとしも想(おも)えぬ
石灰の匂いがしたって怖(おじ)けるには及ばぬ
灌木(かんぼく)がその個性を砥(と)いでいる
姉妹は眠った、母親は紅殻色(べんがらいろ)の格子を締めた!

さてベランダの上にだが
見れば銅貨が落ちている、いやメダルなのかァ
これは今日昼落とした文子さんのだ
明日はこれを届けてやろう
ポケットに入れたが気にかかる、月は襄荷を食い過ぎている
灌木がその個性を砥いでいる
姉妹は眠った、母親は紅殻色の格子を締めた!

義父、老男――「山羊の歌」の「月」
姉妹、母親――「在りし日の歌」の「月」

ここに出てくる人物が
おぼろげにヒントとなるようですが
確かなものになりません。

どちらも
遠い日の「家族」の風景を歌っているようで
一方は、「父」の
一方は、「母」にまつわる原体験でしょうか?

ここでは
「山羊の歌」の「月」に焦点を当てましょう。

物憂くタバコをふかしている「月」は
「父」か
それとも、詩人自身なのか。
「父」に詩人自身を重ねている可能性も否定できません。

オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」がこの詩の下敷になっているのなら

義父
老男
天女

……というキャスティングが「サロメ」に照応しているのでしょうか。

厳密にそこまで考えなくとも
ここでは
月に映じた景色だけを見失わなければ
詩を読むことが出来そうな気もしてきます。

第1連に
月はいよよ愁しく

第2連に
月は懶く喫っている

第3連に
汚辱に浸る月の心に

第4連に
おまえの劊手(そうしゅ)を月は待ってる

――と極めて整然と
月の気持ちが追われているのに気づけば
もはや「サロメ」から離れてもOKなのではないでしょうか。

……となると、

劊手(そうしゅ)を待っている「月」は
詩人その人のメタファー以外に想像できなくなってきます。

劊手(そうしゅ)とは「首切り」のこと
もしくは、「首切り役人」のことです。

劊手を招来して
愁しみ
懶(ものう)さ
汚辱
……を切り落してほしいと
月=詩人は
星々に命じているのです。

「高踏的」と評される詩を
中也はダダ脱皮の過程で
幾つか作ります。

「サロメ」をモチーフにした「月」を
「サロメ」に足をすくわれないで読む一つの解に過ぎませんが
中也の詩は中也の詩ですから
「月」は中也の詩として読むことが第一です。

中也は
詩を「知識」や「教養」として歌ったのではありません。

今回はここまで。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

2013年11月 1日 (金)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・序の2

(前回からつづく)

「中原中也の手紙」の著者、安原喜弘は

この様にして昭和4年の夏は彼との放浪の中にあわただしく、且又救いようのない魂の倦怠の中に過ぎ去った。この頃の彼は既に「初期詩篇」のいくつかと「少年時」に出て来る苛烈な心象風景を歌い終っていた。

――と記しています。

安原を詩人が知ったのは
昭和3年秋ということで
高田博厚を詩人が知ったのは
昭和4年7月ですから
安原がいう「放浪の中にあわただしく」「救いようのない魂の倦怠の中に過ぎ去った」「夏」に
高田博厚は現われたということになります。

高田は1900年(明治33年)8月生まれですから
中也より7歳も上だったせいか
何かと「たより」になる存在だったし
初対面した頃にはフランス行きの計画が進んでいたはずですから
中也は高田の話を聞きたかったに違いありません。

それで、7月には
高田のアトリエのある中高井戸へ引っ越し
頻繁に高田を訪問することになります。

「生活者」への寄稿は
この年、昭和4年発行の9月号、10月号ですから
面識を得てすぐのことであることがわかります。

安原喜弘は昭和4年の夏を振り返って
中也がすでに「初期詩篇」のいくつかと「少年時」の詩を歌い終わっていたというのですから
「朝の歌」や「臨終」にはじまる
「秋の夜空」「宿酔」などの「初期詩篇」や
大岡昇平が「片恋」で取りあげた「少年時」などの詩篇を
詩人から直(じか)に読ませてもらっていたのでしょう。

「初期詩篇」には
「月」や「春の夜」「凄じき黄昏」など
古典や歴史をモチーフにして
漢語を多用し難解な詩の一群(これを「高踏的」というそうです。)
「ためいき」もこの系列に入れてもおかしくありません

「サーカス」や「秋の夜空」「宿酔」など
幻想的でファンタジーのある詩群
「春の日の夕暮」を含めたダダ、シュールの系譜

「朝の歌」など自他ともに「完成度の高い」と認め・認められた詩
失われた時、喪失をテーマにした「黄昏」などへも繋がる

「臨終」「秋の一日」「港市の秋」などの
「横浜もの」と呼ばれる詩

「都会の夏の夜」や「冬の雨の夜」など
都会(の風景)を歌った詩篇

「深夜の思い」は
「泰子」の影が現われる唯一の例
「少年時」「みちこ」「秋」に繋がる布石です

「帰郷」「悲しき朝」など
故郷・山口を題材にした詩群

……などと
綺羅星(きらぼし)のように
個性的な詩が色とりどりにかがやいています。

「初期」の作品だから
未熟であるとか
未完成であるとかが全くなく
珠玉の名品が犇(ひしめ)いているのは
類例をみません。

まるで宝島です。

「生活者」に載せた13の詩篇と
「初期詩篇」22篇の関係を見ると、

春の日の夕暮
月●
サーカス●
春の夜●
朝の歌●
臨終
都会の夏の夜●
秋の一日
黄昏●
深夜の思い
冬の雨の夜
凄じき黄昏
逝く夏の歌●
悲しき朝●
夏の日の歌
夕照
港市の秋●
ためいき
春の思い出●
秋の夜空●
宿酔

――となります。
●が「生活者」発表作品です。

「夏の夜」と「春」は
「在りし日の歌」に配置されました。

今回はここまで。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

« 2013年10月 | トップページ | 2013年12月 »