「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「春の夜」その2
(前回からつづく)
向うに見える窓枠は
この詩の歌い手の右か左かの上方(2階あたり)か
1階の、今歌い手がいる庭に地続きとなった1階の部屋なのか
いったん詩の世界に入り込むと
舞台背景(装置)の位置関係が気になりはじめます。
女性がなごやかな時を過ごしているのを
窓越しに見上げているのか
もっと近くに親密な距離で女性が見えているのか
◇
(わたしのいる)庭の地面は月光を受けて「身もそぞろ(失神し)」
まだら状の付け黒子になっている。
――という第2連は、
ほの暗い場所の描写ですから
女性のいる部屋からは距離をおいている
歌い手の眼前に庭は広がり
木立ちは庭を取り巻いている……
こちらの地上も
「こともなしに」なごやかな時が流れているのだから
木々よ! 揺らすな、風を立てるな
はにかみ立ち回れよ
あの部屋から流れるこのすずろな音楽を聞いて
希望が湧くでもなく、かといって、深い悔いの気持ちが生まれるものでもない
◇
どうやら歌い手は一所にいて
そこからは女性のいる窓も庭の土も木々も見える、という一定の位置から歌ったか
女性のいる部屋から庭へ下りて、という動きを歌ったか
そのどちらかを歌ったと読んでよいことがわかります。
「2次元の世界」を歌っているのです。
シュルレアリズムの詩ではありません。
だからそれほど難解ではないような気がしてきます。
◇
第5連は、長考の末……。
つましい暮らしをする木工だけが
夢の中に現われる駱駝(らくだ)のキャラバンの足並みを見るだろう
――と読みました。
希望もなく、悔いもなく
「こともない」「春の夜」は
それだけで、この上もこの下もない「充足した時」ですが
なお「隊商のその足竝(あしなみ)」を夢の中で見ることが出来るとすれば
つつましい木工の暮らしに習いなさい、
――と自らに言い聞かせるのです。
「隊商の足竝(あしなみ)」は
自由で豊かで安定して勢いのある生活の象徴にほかなりません。
ややモラリッシュな詩行の観がありますが
ここはこの詩が単に風景描写の詩に止まらないことを示します。
この連を経て
また女性のいる部屋に視線は誘われます。
窓の中(うち)にはさわやかの、おぼろかの
砂の色せる絹衣(きぬごろも)。
こんど「花」は「絹衣」になって姿を現わしますが
その絹衣は「砂の色」です。
より艶(なま)めかしくなりますが
エロチックというほどではありません。
◇
今回はここまで。
◇
春の夜
燻銀(いぶしぎん)なる窓枠の中になごやかに
一枝の花、桃色の花。
月光うけて失神し
庭の土面(つちも)は附黒子(つけぼくろ)。
ああこともなしこともなし
樹々よはにかみ立ちまわれ。
このすずろなる物の音(ね)に
希望はあらず、さてはまた、懺悔(ざんげ)もあらず。
山虔(やまつつま)しき木工(こだくみ)のみ、
夢の裡(うち)なる隊商のその足竝(あしなみ)もほのみゆれ。
窓の中(うち)にはさわやかの、おぼろかの
砂の色せる絹衣(きぬごろも)。
かびろき胸のピアノ鳴り
祖先はあらず、親も消(け)ぬ。
埋(うず)みし犬の何処(いずく)にか、
蕃紅花色(さふらんいろ)に湧きいずる
春の夜や。
(新編中原中也全集 第1巻」より。「新かな」に改め、一部「振りがな」を加えました。編者。)
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