カテゴリー

2024年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ

« 「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「逝く夏の歌」その2 | トップページ | 「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「悲しき朝」その2 »

2013年11月17日 (日)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「悲しき朝」

(前回からつづく)

「山羊の歌」の「初期詩篇」で
「逝く夏の歌」の次に配置されているのが「悲しき朝」です。
どちらも「生活者」の昭和4年9月号に発表されています。

悲しき朝
 
河瀬(かわせ)の音が山に来る、
春の光は、石のようだ。
筧(かけい)の水は、物語る
白髪(しらが)の嫗(おうな)にさも肖(に)てる。

雲母(うんも)の口して歌ったよ、
背ろに倒れ、歌ったよ、
心は涸(か)れて皺枯(しわが)れて、
巌(いわお)の上の、綱渡り。

知れざる炎、空にゆき!

響(ひびき)の雨は、濡(ぬ)れ冠(かむ)る!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

われかにかくに手を拍く……

詩は「省略」の多少を按配(あんばい)することで作られている――と言ってよいほど
1字1句、1行1行、1連1連……
詩の全体の細部にわたる「省略」の建築みたいなもので
その過不足によって詩心は刻まれ
形になります。

「悲しき朝」は
「省略」というありふれた技法を使って
春の朝の山村の情景に
老女に物語らせ
幼児に歌わせ
詩の「ありか」を歌います。

なぜ「悲しき」なのか。

「省略」を極限までほどこした果てに
詩は
知れざる炎となって空へ行き
響(ひびき)の雨となってずぶ濡れになります。

炎であり
雨であり
「……」であり

詩人が歌おうとした詩は
言い尽くせぬ
言うに言われぬ
「……」であり

幼い日
口をとがらせて歌ったあの時の
涸れて皺枯(しわが)れて
いわばしる滝の上を渡っていった
あの歌で…………

今回はここまで。

にほんブログ村 本ブログへ
にほんブログ村

« 「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「逝く夏の歌」その2 | トップページ | 「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「悲しき朝」その2 »

018中原中也/「生活者」の詩群」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「悲しき朝」:

« 「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「逝く夏の歌」その2 | トップページ | 「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「悲しき朝」その2 »