「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「悲しき朝」
(前回からつづく)
「山羊の歌」の「初期詩篇」で
「逝く夏の歌」の次に配置されているのが「悲しき朝」です。
どちらも「生活者」の昭和4年9月号に発表されています。
◇
悲しき朝
河瀬(かわせ)の音が山に来る、
春の光は、石のようだ。
筧(かけい)の水は、物語る
白髪(しらが)の嫗(おうな)にさも肖(に)てる。
雲母(うんも)の口して歌ったよ、
背ろに倒れ、歌ったよ、
心は涸(か)れて皺枯(しわが)れて、
巌(いわお)の上の、綱渡り。
知れざる炎、空にゆき!
響(ひびき)の雨は、濡(ぬ)れ冠(かむ)る!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
われかにかくに手を拍く……
◇
詩は「省略」の多少を按配(あんばい)することで作られている――と言ってよいほど
1字1句、1行1行、1連1連……
詩の全体の細部にわたる「省略」の建築みたいなもので
その過不足によって詩心は刻まれ
形になります。
◇
「悲しき朝」は
「省略」というありふれた技法を使って
春の朝の山村の情景に
老女に物語らせ
幼児に歌わせ
詩の「ありか」を歌います。
なぜ「悲しき」なのか。
「省略」を極限までほどこした果てに
詩は
知れざる炎となって空へ行き
響(ひびき)の雨となってずぶ濡れになります。
炎であり
雨であり
「……」であり
詩人が歌おうとした詩は
言い尽くせぬ
言うに言われぬ
「……」であり
幼い日
口をとがらせて歌ったあの時の
涸れて皺枯(しわが)れて
いわばしる滝の上を渡っていった
あの歌で…………
◇
今回はここまで。
« 「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「逝く夏の歌」その2 | トップページ | 「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「悲しき朝」その2 »
「018中原中也/「生活者」の詩群」カテゴリの記事
- 「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「港市の秋」その2(2013.12.16)
- 「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「港市の秋」(2013.12.16)
- 「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「秋の夜空」その3(2013.12.13)
- 「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「秋の夜空」その2(2013.12.12)
- 「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「秋の夜空」(2013.12.11)
« 「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「逝く夏の歌」その2 | トップページ | 「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「悲しき朝」その2 »
コメント