「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「逝く夏の歌」その2
(前回からつづく)
梢が息を吸って空は見ていた
旅人は見付けた
山の端は清くする
私が塗っておいた
風が送る
……
第1連、第2連、第3連冒頭行の主語と述語だけを追えば
このようになります。
各連が
擬人法を交互に使っているのが分かります。
擬人法は第3連冒頭行まで使われて消え
以降、末行まで「人間=私」を主語とします。
◇
始めに出てくる「旅人」は「私=詩人」らしく
後半連の主格も「私」であることに気づけば
この詩の骨格は見えたことになります。
逝く夏を歌う主人公は
旅人であり
私である
詩人です。
◇
全体の骨格が見えて
ふたたび詩を読み返してみれば
第2連
飛んで来るあの飛行機には、
昨日私が昆虫の涙を塗っておいた。
――の「暗喩(あんゆ」が立ちふさがります。
擬人法の中に紛れ込むようにある
「私」が「飛行機に」「昆虫の涙を塗っておいた」という動作が
どのような意味を表現しているのかと立ち止まります。
この2行の「意味」を受け止めないことには
この詩を読み進むことはできません。
◇
ここでも
前後関係あるいは全体から類推するという方法にたより
想像力をフルに生かすしか手はありません。
なぜ昆虫か
なぜ涙か
昆虫の涙を飛行機に塗る、という行為に
詩人は何を込めたのか――。
◇
逝く夏の歌
並木の梢(こずえ)が深く息を吸って、
空は高く高く、それを見ていた。
日の照る砂地に落ちていた硝子(ガラス)を、
歩み来た旅人は周章(あわ)てて見付けた。
山の端(は)は、澄(す)んで澄んで、
金魚や娘の口の中を清くする。
飛んで来るあの飛行機には、
昨日私が昆虫の涙を塗っておいた。
風はリボンを空に送り、
私は嘗(かつ)て陥落(かんらく)した海のことを
その浪(なみ)のことを語ろうと思う。
騎兵聯隊(きへいれんたい)や上肢(じょうし)の運動や、
下級官吏(かきゅうかんり)の赤靴(あかぐつ)のことや、
山沿(やまぞ)いの道を乗手(のりて)もなく行く
自転車のことを語ろうと思う。
◇
澄んで澄んで、というルフランが示す
秋の気配がここにもありそうです。
金魚や娘の口を「清く」するものが
飛んでくる飛行機をも「清く」するものでなければならない……。
「清く」とのシノニム(同義語)が
ここに置かれて(歌われて)いるとすれば
「昆虫の涙」は飛行機を清くするもので
その行為を「私」がしたということになります。
次の連の冒頭の「風はリボンを空に送り」も
「逝く夏」の「澄んだ」情景を歌っているものならば
「昆虫の涙」は「澄んだ」ものの象徴ということになりますが……。
◇
近景と遠景。
過去と現在。
「風」が時空を移動するバネになって……。
遠い遠い日の「記憶」が
ざわざわと蠢(うごめ)きはじめます。
◇
こんな時に
詩人は
詩人の歌いたいものを見出します。
◇
今回はここまで。
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