「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「悲しき朝」その3
(前回からつづく)
「悲しき朝」は
なぜ「悲しき」なのでしょう?
どこがどのように悲しいのでしょう?
この詩の中に
それを明示する詩語を見つけるのは
困難といえば困難でしょうが
ヒントくらいは見つかるでしょう、きっと。
それを見つけることは
この詩を読むのに等しいことかもしれません。
◇
悲しき朝
河瀬(かわせ)の音が山に来る、
春の光は、石のようだ。
筧(かけい)の水は、物語る
白髪(しらが)の嫗(おうな)にさも肖(に)てる。
雲母(うんも)の口して歌ったよ、
背ろに倒れ、歌ったよ、
心は涸(か)れて皺枯(しわが)れて、
巌(いわお)の上の、綱渡り。
知れざる炎、空にゆき!
響(ひびき)の雨は、濡(ぬ)れ冠(かむ)る!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
われかにかくに手を拍く……
◇
1行1行を読み返してみれば
「悲しみ」につながるものならば
「響の雨」という言葉に強く吸引されます。
「悲しみ」ならば
「炎」よりも「雨」になりますから。
「響の雨」とは
第1連、第2連を通じて歌われている
河瀬の音であると同時に
それを聞きながらぼくが口をとがらせて歌った歌が
岩の上を綱渡りしていく声でもあります。
河瀬をバックに歌ったぼくの声は
カラカラの心が歌ったしゃがれ声でした。
その歌が滝の岩の上を走るのです。
◇
雲母の口して歌ったよ、
背ろに倒れ、歌ったよ、
心は涸(か)れて皺枯(しわが)れて、
巌(いわお)の上の、綱渡り。
――という第2連が
単なる情景描写ではないのを
なぜ感じられるのでしょうか。
ここにこの詩の最大の不思議があるのですが
よくよく考えてみると
幼い子どもであった詩人が巨大な滝を背に
声を枯らして歌っているというその一種異様な姿が
異様ではなく自然に歌われているこの連は
この詩の中で詩人その人のその心に
もっとも接近している部分です。
詩人の思いを
もっともクローズアップする詩行です。
◇
雲母の口して
背に倒れ
歌った
――という状況にいたるまでにどのような経緯があったのか
想像するのはそれほど困難なことではありません。
巌を背にして
子どもがひとりぼっちで
声を限りに歌っているのです。
「悲しみ」の元が
このあたりにありそうです。
◇
今回はここまで。
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