「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「春の夜」その3
(前回からつづく)
「春の夜」に流れている「すずろなる物の音(ね)」(第4連)は
第7連にきて
「かびろき胸のピアノ」という正体を現わします。
このピアノを弾くのは
「一枝の花、桃色の花」(第1連)の女性でしょうか?
「砂の色せる絹衣(きぬごろも)」の女性でしょうか?
これらの女性は同一人物でしょうか?
それとも窓の中には
ほかにピアノの演奏者がいるのでしょうか?
その演奏者は女性でないこともあるでしょうか?
◇
かびろき胸のピアノ鳴り
祖先はあらず、親も消(け)ぬ。
――という第7連にやってきて
これらの疑問に答えを出さなくては
詩を読みきれないというような
見極めの段階に入ります。
この詩のヒロインが
一人か否かかは
この詩の命に関わることです。
そのことを読み取らねばならないところにさしかかっています。
判断する時期です。
◇
最終連
埋(うず)みし犬の何処(いずく)にか、
蕃紅花色(さふらんいろ)に湧きいずる
春の夜や。
――とともに第7連は
この詩の「結び」(エンディング)なので
まさに「読む」ことを求められています。
ああも考えられる
こうも考えられる、という「判断停止(留保)」を脱し
詩の核心に触れるのです。
◇
ピアノを弾く女性のいでたちが
意外(?)に
胸幅(むなはば)があるというイメージは
7オクターブもある鍵盤の左から右、右から左と
鍵をなぞって往復する奏者の「逞(たくま)しさ」を表わすのでしょうか。
ピアノを弾く姿に孤独の影があるのは
祖先や親や……係累を感じさせない「強さ」があるからです。
彼女は一人でなければなりません。
◇
最終連の
「埋みし犬」の意味が
このようにして導き出されていきます。
祖先、親……
埋葬した愛犬……
すべての過去……
次々に立ち昇ってくる!
サフラン色に
わーっと湧いてくる!
春の夜――。
◇
詩を読み終えようとする時に
歌い手である詩人は
孤影ただよう女性その人に重なっています。
詩人は女性と同化しています。
◇
今回はここまで。
◇
春の夜
燻銀(いぶしぎん)なる窓枠の中になごやかに
一枝の花、桃色の花。
月光うけて失神し
庭の土面(つちも)は附黒子(つけぼくろ)。
ああこともなしこともなし
樹々よはにかみ立ちまわれ。
このすずろなる物の音(ね)に
希望はあらず、さてはまた、懺悔(ざんげ)もあらず。
山虔(やまつつま)しき木工(こだくみ)のみ、
夢の裡(うち)なる隊商のその足竝(あしなみ)もほのみゆれ。
窓の中(うち)にはさわやかの、おぼろかの
砂の色せる絹衣(きぬごろも)。
かびろき胸のピアノ鳴り
祖先はあらず、親も消(け)ぬ。
埋(うず)みし犬の何処(いずく)にか、
蕃紅花色(さふらんいろ)に湧きいずる
春の夜や。
(新編中原中也全集 第1巻」より。「新かな」に改め、一部「振りがな」を加えました。編者。)
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