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2013年11月 2日 (土)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「月」

(前回からつづく)

「山羊の歌」の2番目に配置されている「月」は
同名の詩が「在りし日の歌」の5番目にもあります。
この2作は
同じ頃の制作と見られています。

まずは両作品を読みます。

「山羊の歌」の「月」

今宵月はいよよ愁(かな)しく、
養父の疑惑に瞳を睜(みは)る。
秒刻(とき)は銀波を砂漠に流し
老男(ろうなん)の耳朶(じだ)は蛍光をともす。

ああ忘られた運河の岸堤
胸に残った戦車の地音
銹(さ)びつく鑵(かん)の煙草とりいで
月は懶(ものう)く喫っている。

それのめぐりを七人の天女は
趾頭(しとう)舞踊しつづけているが、
汚辱に浸る月の心に

なんの慰愛もあたえはしない。
遠(おち)にちらばる星と星よ!
おまえの劊手(そうしゅ)を月は待ってる

「在りし日の歌」の「月」

今宵(こよい)月は襄荷(みょうが)を食い過ぎている
済製場(さいせいば)の屋根にブラ下った琵琶(びわ)は鳴るとしも想(おも)えぬ
石灰の匂いがしたって怖(おじ)けるには及ばぬ
灌木(かんぼく)がその個性を砥(と)いでいる
姉妹は眠った、母親は紅殻色(べんがらいろ)の格子を締めた!

さてベランダの上にだが
見れば銅貨が落ちている、いやメダルなのかァ
これは今日昼落とした文子さんのだ
明日はこれを届けてやろう
ポケットに入れたが気にかかる、月は襄荷を食い過ぎている
灌木がその個性を砥いでいる
姉妹は眠った、母親は紅殻色の格子を締めた!

義父、老男――「山羊の歌」の「月」
姉妹、母親――「在りし日の歌」の「月」

ここに出てくる人物が
おぼろげにヒントとなるようですが
確かなものになりません。

どちらも
遠い日の「家族」の風景を歌っているようで
一方は、「父」の
一方は、「母」にまつわる原体験でしょうか?

ここでは
「山羊の歌」の「月」に焦点を当てましょう。

物憂くタバコをふかしている「月」は
「父」か
それとも、詩人自身なのか。
「父」に詩人自身を重ねている可能性も否定できません。

オスカー・ワイルドの戯曲「サロメ」がこの詩の下敷になっているのなら

義父
老男
天女

……というキャスティングが「サロメ」に照応しているのでしょうか。

厳密にそこまで考えなくとも
ここでは
月に映じた景色だけを見失わなければ
詩を読むことが出来そうな気もしてきます。

第1連に
月はいよよ愁しく

第2連に
月は懶く喫っている

第3連に
汚辱に浸る月の心に

第4連に
おまえの劊手(そうしゅ)を月は待ってる

――と極めて整然と
月の気持ちが追われているのに気づけば
もはや「サロメ」から離れてもOKなのではないでしょうか。

……となると、

劊手(そうしゅ)を待っている「月」は
詩人その人のメタファー以外に想像できなくなってきます。

劊手(そうしゅ)とは「首切り」のこと
もしくは、「首切り役人」のことです。

劊手を招来して
愁しみ
懶(ものう)さ
汚辱
……を切り落してほしいと
月=詩人は
星々に命じているのです。

「高踏的」と評される詩を
中也はダダ脱皮の過程で
幾つか作ります。

「サロメ」をモチーフにした「月」を
「サロメ」に足をすくわれないで読む一つの解に過ぎませんが
中也の詩は中也の詩ですから
「月」は中也の詩として読むことが第一です。

中也は
詩を「知識」や「教養」として歌ったのではありません。

今回はここまで。

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