「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「黄昏」
(前回からつづく)
「黄昏」も
悲しみについて歌っているところで
「悲しみの朝」と同じです。
「生活者」の昭和4年9月号に発表されています。
そして、「山羊の歌」の「初期詩篇」に収録されるところも同じですが
「黄昏」は9番目、「悲しみの朝」は15番目という配置です。
◇
「悲しみの朝」とどちらが先に制作されたのかわかりませんが
昭和4年であるのは間違いないことでしょう。
二つの詩を
類似しているところがあるからといって
比較して読むあまり混同することには注意が必要です。
二つの詩は
別々の詩であることをゆめゆめ忘れてはなりません。
でも「悲しみ」というテーマ(主題)で歌われた詩の
早い時期の作品であるということを
記憶しておくことに越したことはないでしょう。
◇
この詩「黄昏」ではズバリ!
――失われたものはかえって来ない。
なにが悲しいったってこれほど悲しいことはない
――という詩行が見られ
「悲しみの理由」が明確に歌われていますから
詩人がこの後に多量に歌う「悲しみの歌」を味わうときに
なんらかの参考になることがあるはずです。
◇
黄 昏
渋った仄暗(ほのぐら)い池の面(おもて)で、
寄り合った蓮(はす)の葉が揺れる。
蓮の葉は、図太いので
こそこそとしか音をたてない。
音をたてると私の心が揺れる、
目が薄明るい地平線を逐(お)う……
黒々と山がのぞきかかるばっかりだ
――失われたものはかえって来ない。
なにが悲しいったってこれほど悲しいことはない
草の根の匂いが静かに鼻にくる、
畑の土が石といっしょに私を見ている。
――竟(つい)に私は耕やそうとは思わない!
じいっと茫然(ぼんやり)黄昏(たそがれ)の中に立って、
なんだか父親の映像が気になりだすと一歩二歩歩(あゆ)みだすばかりです
◇
大岡昇平の書いた伝記「朝の歌」に
この蓮池に関する有名な記述があります。
そこで、中也が住んでいた下宿、東京・中野の池と推定されたため
あまりにも印象に残り
「黄昏」を読むときには
見たこともない中野の蓮池を想像してしまうほどです。
昭和初期の中野を知るものではありませんが
高度経済成長以前の中野をよく知っていると
「黄昏」を読むときに
中野の自然がかぶさってきます。
◇
本当は「中野の蓮池」にこだわらなくても読める詩です。
蓮池は各所によく見られます。
石神井池や井の頭池など
池という池に必ずといってよいほど
蓮が茂る一角があるようですし
詩人の生地、山口にも存在するかもしれませんし
「黄昏」に歌われている蓮が
東京・中野のものと特定しなくてもオーケーです。
◇
同時代を生きた友人の、1次情報ですから
大岡の記述には説得力がありますが
「黄昏」の蓮は
「自然の蓮」である以上の意味を放っていて
蓮の描写や風景の細部の見事さに目を奪われていると
見失うものがあります。
◇
今回はここまで。
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