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2013年11月20日 (水)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「悲しき朝」その4

(前回からつづく)

「悲しみの朝」をもう少し読みます。

後半部の「省略」は
詩(人)が自ずと辿(たど)った結果といえるものですから
隠された無数の言葉を思い巡らすことは
かなり無意味なことになりましょう。

想像が的外れになり
無闇に想像すれば
詩を見失うことになります。

この詩を再び一歩距離をおいて読んでみると
第1連が「起」
第2連が「承」
「知れざる炎、空にゆき!」
「響(ひびき)の雨は、濡(ぬ)れ冠(かむ)る!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」――の3行が「転」
「われかにかくに手を拍く……」が「結」
――という構造になっていることが見えてきます。

「悲しみの朝」という主題(テーマ)から
そのように見直すことができるからです。

「悲しみ」とはなんだろう、という眼差しで読み返すと
この詩はひとかたまりのまとまったものになり
すると「起承転結」がはっきりしてきます。

悲しき朝
 
河瀬(かわせ)の音が山に来る、
春の光は、石のようだ。
筧(かけい)の水は、物語る
白髪(しらが)の嫗(おうな)にさも肖(に)てる。

雲母(うんも)の口して歌ったよ、
背ろに倒れ、歌ったよ、
心は涸(か)れて皺枯(しわが)れて、
巌(いわお)の上の、綱渡り。

知れざる炎、空にゆき!

響(ひびき)の雨は、濡(ぬ)れ冠(かむ)る!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

われかにかくに手を拍く……

「転」を「連」のつくりにしなかったには
色々な理由があったことでしょう。

詩人には
無数の言葉が散乱していたはずです。

それはさながら
轟音とどろく巌(いわお)の上を走る歌声……。
詩心の氾濫……。

「知れざる炎」は、空に行き、
「響の雨」は、ぼくを濡れこぼす。
――という二つの氾濫。

一つは、空へ向かう炎。
一つは、ぼくに降りしきる雨。

相反する氾濫。

いや、それだけじゃない。
詩心は溢れ返ります。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

書きようにも
書ききれない。

それを書いたら
詩でなくなってしまう。

詩と格闘する詩人。
孤独な詩人。

そして
はたと手をはたく詩人。

最後の1行
われかにかくに手を拍く……
――は、こうして書かれました。

詩末尾の「……」は
格闘の続行を示しています……。

今回はここまで。

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