「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「黄昏」その2
(前回からつづく)
「黄昏」の蓮は
「中野の蓮池」を歌ったものという大岡説の上に、
蓮という植物への鋭い「観察」の跡が見られ
「描写」も単なる写実でないところに
「表現の技」をギリギリまで追い求めた形跡があります。
といっても
技が「あばら骨」のように浮き出ているわけではありません。
むしろ、隠されています。
◇
黄 昏
渋った仄暗(ほのぐら)い池の面(おもて)で、
寄り合った蓮(はす)の葉が揺れる。
蓮の葉は、図太いので
こそこそとしか音をたてない。
音をたてると私の心が揺れる、
目が薄明るい地平線を逐(お)う……
黒々と山がのぞきかかるばっかりだ
――失われたものはかえって来ない。
なにが悲しいったってこれほど悲しいことはない
草の根の匂いが静かに鼻にくる、
畑の土が石といっしょに私を見ている。
――竟(つい)に私は耕やそうとは思わない!
じいっと茫然(ぼんやり)黄昏(たそがれ)の中に立って、
なんだか父親の映像が気になりだすと一歩二歩歩(あゆ)みだすばかりです
◇
この詩の「描写」をざっと見てみますと、
渋った仄暗い池の面
寄り合った蓮の葉
蓮の葉は、図太い
こそこそとしか音をたてない
薄明るい地平線
黒々と山がのぞきかかる
草の根の匂い
……などと、言葉の選び方には
なんともいえない「クセ」がありますが
比較的に平易です。
「渋った」は詩人による造語でしょうか。
蓮の葉は、図太い
こそこそとしか音をたてない
草の根の匂い
……のようなユニークな表現が平易な言葉の中に混じります。
◇
寄り合った蓮の葉
蓮の葉は、図太い
黒々と山がのぞきかかるばっかりだ
畑の土が石といっしょに私を見ている。
……という擬人法も次第に姿を現わして自然(控え目)です。
◇
渋った、暗い……という光の加減(視覚)
寄り合った、揺れる……という身体感覚
図太い、こそこそ……という人間の性質(擬人化)
「こそこそ」は音にかぶさり(私=詩人が登場)
「私」の心の揺れになり……心理
揺れる心が地平線を追い……目の移動
黒々と山が「迫ってくる」……光(視覚)
ここで突如(と感じさせるように)
――失われたものはかえって来ない。
なにが悲しいったってこれほど悲しいことはない
――という2行が、連を渡して出現します。
そしてすぐに(第3連)
草の根の匂い……鼻をつき(嗅覚)
畑の土が石といっしょに私を見ている……という「くっきりした」擬人化で終わります。
◇
一語一語、一行一行が
五感を総動員して
「しりとり遊び」のようにリンクし
第1連から第3連へと
蓮池の情景を借りながら淡々と進行し
いつしか詩人の「立ち位置」を宣言する最終連へいたります。
第1連から第3連までは
最終連の導入であるかのように
この詩は作られています。
◇
今回はここまで。
« 「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「黄昏」 | トップページ | 「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「黄昏」その3 »
「018中原中也/「生活者」の詩群」カテゴリの記事
- 「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「港市の秋」その2(2013.12.16)
- 「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「港市の秋」(2013.12.16)
- 「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「秋の夜空」その3(2013.12.13)
- 「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「秋の夜空」その2(2013.12.12)
- 「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「秋の夜空」(2013.12.11)
« 「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「黄昏」 | トップページ | 「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「黄昏」その3 »
コメント