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2013年12月

2013年12月31日 (火)

きらきら「初期詩篇」の世界/「帰郷」その3

(前回からつづく)

「帰郷」第1連から第3連までの各連の後半行は
「字下げ」することによって
詩人の心境が吐露(とろ)されていることを示します。

蜘蛛の巣が心細そうに揺れるのを目撃し
路傍の草影は愁しみを漂わせていると感じ
年増婦の「たっぷり泣きなさい」と語るのを聞くのは詩人(の心)です。

帰 郷
 
柱も庭も乾いている
今日は好い天気だ
    椽(えん)の下では蜘蛛(くも)の巣が
    心細そうに揺れている

山では枯木も息を吐(つ)く
ああ今日は好い天気だ
    路傍(みちばた)の草影が
    あどけない愁(かなし)みをする

これが私の故里(ふるさと)だ
さやかに風も吹いている
    心置なく泣かれよと
    年増婦(としま)の低い声もする

ああ おまえはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云う

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

なぜ、蜘蛛の巣が揺れるのが心細そうに見えたのでしょう
なぜ、路傍の草影は愁しみを漂わせていると感じ
なぜ、年増婦の「たっぷり泣きなさい」と語るのを聞いたのでしょう。

これらの一つ一つが
「私の故里」だからでしょう。

であるのに、
これらの風景に触れた詩人に聞こえてくるのは
ああ おまえはなにをして来たのだと……
――という風、いや自らの声でした。

まだ何もしていないじゃないか。

詩人は、では
まだ詩人としての業績を残していない自分を恥じ
自分を責めているのでしょうか?

そういうことは
もちろん言えることではありますが……。

由緒ある先祖を持つ中原家の長男であるにもかかわらず
家督を継ぐことを放棄して家郷を去った詩人の卵が
いまだれっきとした名をあげず
錦を飾れないまま帰郷した――。

だから
ああ おまえはなにをして来たのだと……
――と自責の念に駆られて歌った。

そのような心境になかったとは言えませんが
この詩が歌っているのは
それとは少し異なる心境であることは
ああ おまえはなにをして来たのだと……
――という声が詩人自ら発したというほかに考えられないところに
表われていそうです。

詩人以外のだれが言ったものではなく
詩人自らがそう言った声として
この最終行を読むとき
もう少し違う思いが見えます。

まだなにもしていない
ぼくの詩人としての活動ははじまったばかりだ

幼き日に遊んだときに見た縁の下のあの蜘蛛の巣は
あの時のままでああして巣をめぐらしているけれど……

山の道に茂っていた草々が
翳りを帯びて悲しそうだったのも昔と変わらないけれど……

思う存分泣きなさいと「おばば」は言うけれど……

昔のようにそうしてばかりもいられないのだよ
ぼくにはまだやらねばならないことがたくさんある

第3連と最終連との間に
無限に近い時間が流れています。

遠い日は
いまそこにあるようだけれど
もはやないのです。

いちだんと「風の声」が大きくなる中で
詩人は歯を食いしばって立っています。

詩人に帰るところは
「詩」の中にしかないからです。

今回はここまで。

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2013年12月30日 (月)

きらきら「初期詩篇」の世界/「帰郷」その2

(前回からつづく)

帰 郷
 
柱も庭も乾いている
今日は好い天気だ
    椽(えん)の下では蜘蛛(くも)の巣が
    心細そうに揺れている

山では枯木も息を吐(つ)く
ああ今日は好い天気だ
    路傍(みちばた)の草影が
    あどけない愁(かなし)みをする

これが私の故里(ふるさと)だ
さやかに風も吹いている
    心置なく泣かれよと
    年増婦(としま)の低い声もする

ああ おまえはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云う

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

今日は好い天気だ
――という「月並みな」日本語が
どのようにして「詩の言葉」になるのか。

「帰郷」からは
詩の発生の現場を見るような
詩語・詩行の流れを味わうことができます。

まずは、
ああ今日は好い天気だ
――と「今日は好い天気だ」が繰り返されますが
第1連と第2連は
「ああ」という感嘆詞の有無によって
異なるニュアンスを放っていることに気づくでしょう。

次に、
各連は前半が風景描写であり
後半の「字下げ」された行には
詩人の心境が歌われていることに気づくでしょう。

次に、
最終連の2行で
故郷を一回りしてきた詩人に積み重なってきた思いのすべてが
吐き出されるのを知るでしょう。

「心細そうに揺れている」にはじまる
故郷散策の思いの一つ一つは
詩人の中で次第に膨(ふく)らんで
ついに最終連で堰を切ります。
溢れます。

各連前半行は
故里(ふるさと)が
変わらない相貌(かお)で詩人を迎えるのを歌います。

これが私の故里だ
――と詩人に断言させるに十分なたたずまいで。

今回はここまで。

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2013年12月29日 (日)

きらきら「初期詩篇」の世界/「帰郷」

(前回からつづく)

「帰郷」が
「山羊の歌」の「初期詩篇」で「冬の雨の夜」の次に配置されたのは
制作年次によるものではなく
「父」「母」を歌った流れからのものであることが
くっきりと見えてきました。

「冬の雨の夜」と異なるのは
遠くにいて故郷を思うのではなく
生まれ育った土地へ実際に帰郷して歌った詩であることです。

帰 郷
 
柱も庭も乾いている
今日は好い天気だ
    椽(えん)の下では蜘蛛(くも)の巣が
    心細そうに揺れている

山では枯木も息を吐(つ)く
ああ今日は好い天気だ
    路傍(みちばた)の草影が
    あどけない愁(かなし)みをする

これが私の故里(ふるさと)だ
さやかに風も吹いている
    心置なく泣かれよと
    年増婦(としま)の低い声もする

ああ おまえはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云う

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

有名な詩です。
「朝の歌」や「臨終」などとともに
音楽集団「スルヤ」によって演奏されたことでもよく知られています。

「帰郷」は
「スルヤ」のメンバー内海誓一郎が
作曲した詩の一つです。

内海は「白痴群」の同人でもありました。

冒頭の2行

柱も庭も乾いている
今日は好い天気だ
――のなんともいえない「ゆるさ」というか「肩の力のなさ」というか
これはしゃべり言葉というよりも「散文」ではないかと思わせる
変哲のない滑り出し。

にもかかわらず
あふれる詩情。

それはどこから生れているのでしょうか?

久々に帰った「わが家」および周辺を一回りして1日を終え
その日のうちに
この詩は作られた――。
そのような新鮮さがあります。

まず、「柱と庭」という近景を歌い
しばらくして「縁の下」を歌い
そして「山の枯れ木」を歌い「路傍」を歌い
またしばらくして「年増婦の声」を歌い「風」を歌ったのです。

詩人の歩みがありありと見える
ゆるやかな時の移ろいがあります。

第1連後半行の
    椽(えん)の下では蜘蛛(くも)の巣が
    心細そうに揺れている
――は、幼き日にもぐりこんで遊んだ「縁の下」でありましょう。

その場所は
遊びほうけた少年が
遊びの合間にふとまぎれこむ静かで秘密めいた空間でした。

そこがどうなっているか
詩人はそれとはなしに
探す眼差しになったのでしょう。

そこに「蜘蛛の巣」はあり
昔遊んだときに顔にひっかかったそれはあり
「心細そうに」揺れていました。

今回はここまで。

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2013年12月26日 (木)

きらきら「初期詩篇」の世界/「冬の雨の夜」その3

(前回からつづく)

「冬の雨の夜」が歌っている
詩人の遠い昔の出来事の幾つかは
初めてこの詩を読む人には案内が必要でしょう。

夕明下(ゆうあかりか)に投げいだされた、萎(しお)れ大根(だいこ)の陰惨さ
――は、想像をたくましくすれば
なんとか理解できます。

干した大根が、夕明かりの下で
軒先かどこかに吊るされているイメージ。

詩人の回想には
そこに「死(者)」がかぶさっていたかもしれません。

亡き乙女達の声さえがして
aé ao, aé ao, éo, aéo éo!
――がこれで導入されます。

いつだか消えてなくなった、あの乳白の脬囊(ひょうのう)たち……
――は、この行こそ「説明」を受けねば
理解もイメージすることもできません。

これは
詩人の実家で父・謙助が経営していた医院の風景です。

脬囊(ひょうのう)は、
膀胱(ぼうこう)のことで
牛や豚の膀胱が氷嚢(ひょうのう)として使われていた光景が
医院の作業室には普通に見られたのです。

それが、ゴム製品の開発で
使われなくなったことを歌っています。

わが母上の帯締(おびじ)め
――は、ここまで来れば普通にイメージできますが
「父」や「母」が現われたことには
特別の意味が込められています。

冬の雨の夜
 
 冬の黒い夜をこめて
どしゃぶりの雨が降っていた。
――夕明下(ゆうあかりか)に投げいだされた、萎(しお)れ大根(だいこ)の陰惨さ、
あれはまだしも結構だった――
今や黒い冬の夜をこめ
どしゃぶりの雨が降っている。
亡き乙女達の声さえがして
aé ao, aé ao, éo, aéo éo!
 その雨の中を漂いながら
いつだか消えてなくなった、あの乳白の脬囊(ひょうのう)たち……
今や黒い冬の夜をこめ
どしゃぶりの雨が降っていて、
わが母上の帯締(おびじ)めも
雨水(うすい)に流れ、潰(つぶ)れてしまい、
人の情けのかずかずも
竟(つい)に密柑(みかん)の色のみだった?……

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

雪ならば
思い出は「降り積む」ことになり
次々に現われる走馬灯となりましょうが
ここは雨です、土砂降りです。

現われるものが次々に流されてゆきます。
人情も流されていってしまい
イメージの中に残るのは
そのようなものがあったなあという
ミカンのオレンジ色、その色だけだ……。

「人の情け」とは
「父」や「母」のものに違いありません。

末尾の「?……」は意味深長ですが
「結(論)」へ保留をつけたものか
それとも迷いか
あるいは「反語」でしょうか。

断言しがたいものがあったのです。

恋愛詩を盛んに歌う「白痴群」で
「冬の雨の夜」は異質です。

「初期詩篇」へ配置したのも
そのあたりの事情からでしょう。

今回はここまで。

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2013年12月25日 (水)

きらきら「初期詩篇」の世界/「冬の雨の夜」その2

(前回からつづく)

「冬の雨の夜」が
「暗い天候」を歌った詩の1節であったということで
重たそうな黄昏の空や土砂降りの雨夜を歌った詩の流れが見えてきます。

「初期詩篇」では
「臨終」の
秋空は鈍色にして黒馬の瞳のひかり
「黄昏」の
渋った仄暗い池の表
「深夜の思い」の
黒き浜辺にマルガレエテが歩み寄する
ヴェールを風に千々にされながら
……

これらは快晴ではない
雨にもならない
どんより重たい薄暗い空模様を背景に歌った詩でした。

「冬の雨の夜」では
ついに降り出し
土砂降りの雨です、それも夜です。
それも冬なのに雪ではなく雨です。

冬の雨の夜
 
 冬の黒い夜をこめて
どしゃぶりの雨が降っていた。
――夕明下(ゆうあかりか)に投げいだされた、萎(しお)れ大根(だいこ)の陰惨さ、
あれはまだしも結構だった――
今や黒い冬の夜をこめ
どしゃぶりの雨が降っている。
亡き乙女達の声さえがして
aé ao, aé ao, éo, aéo éo!
 その雨の中を漂いながら
いつだか消えてなくなった、あの乳白の脬囊(ひょうのう)たち……
今や黒い冬の夜をこめ
どしゃぶりの雨が降っていて、
わが母上の帯締(おびじ)めも
雨水(うすい)に流れ、潰(つぶ)れてしまい、
人の情けのかずかずも
竟(つい)に密柑(みかん)の色のみだった?……

「初期詩篇」では
「深夜の思い」の次に配置され
マルガレエテがいつしか泰子の引っ越しをしているという
巧みな融合(ゆうごう)に眩惑(げんわく)されましたが
「冬の雨の夜」でも
それに似た混淆(こんこう)が仕組まれます。

冬の黒い夜をこめて
どしゃぶりの雨が降っていた
――という冒頭2行の雨は
今ここに降っている雨です。

その雨を眺めながら(あるいは雨の音を聞きながら)
昔見た「夕明下の萎れ大根の陰惨さ」を思い出している詩人は
「あれはまだしも結構だった」と感慨に耽っているのです。

今はもっと陰惨なのです。

今降っている土砂降りは
亡き乙女達(おとめたち)の声が
aé ao, aé ao, éo, aéo éo! と母音の発声練習かなにかをしているのですし
その雨の中に
昔のあるときに消えてしまった、
あの乳白の脬囊(ひょうのう)たちが漂い流れているのですし……
母上の帯締めも雨水に流され潰れてしまったのです。

今降っている土砂降りの雨は
亡き乙女達の声がしている雨なのに
その雨の中に
遠い昔の出来事が混入しているのです。

aé ao, aé ao, éo, aéo éo!
――とは、ランボーの詩「ブリュッセル」に現われる声の影響らしく(「新全集」第1巻・解題篇)
「深夜の思い」でマルガレエテに泰子が「乗り移った」ように
ここではランボーの乙女達が
詩人(中也)の昔の出来事と混淆するのです。

このような詩の作り方を
楽しんでいるかのようです。

この詩は
結局は末尾の2行
人の情けのかずかずも
竟(つい)に密柑(みかん)の色のみだった?……
(人の情というものも、つまるところ蜜柑の色のようなもの)
――という感慨を結(論)として述べて終わりますが
その2行よりも
詩人の遠い過去の出来事の難解さに足を奪われます。

詩人が抱くその陰惨さのイメージに
近づくことはできますが
「結論」にもう一つ溜飲が下がりません。

今回はここまで。

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2013年12月24日 (火)

きらきら「初期詩篇」の世界/「冬の雨の夜」

(前回からつづく)

「冬の雨の夜」も
「白痴群」へ発表されてから
「山羊の歌」の「初期詩篇」へ配置されたもので
「秋の一日」「深夜の思い」に続き3番目の詩ということになります。

冬の雨の夜
 
 冬の黒い夜をこめて
どしゃぶりの雨が降っていた。
――夕明下(ゆうあかりか)に投げいだされた、萎(しお)れ大根(だいこ)の陰惨さ、
あれはまだしも結構だった――
今や黒い冬の夜をこめ
どしゃぶりの雨が降っている。
亡き乙女達の声さえがして
aé ao, aé ao, éo, aéo éo!
 その雨の中を漂いながら
いつだか消えてなくなった、あの乳白の脬囊(ひょうのう)たち……
今や黒い冬の夜をこめ
どしゃぶりの雨が降っていて、
わが母上の帯締(おびじ)めも
雨水(うすい)に流れ、潰(つぶ)れてしまい、
人の情けのかずかずも
竟(つい)に密柑(みかん)の色のみだった?……

改行も「連分け」もない
16行ぶっ通しの珍しい構成の詩になったのは
元の詩が3節構成の「暗い天候三つ」だったからでしょうか。

「白痴群」第5号(昭和5年1月1日発行)に発表されたときの
3節構成の第1節を独立させて
新らしく「冬の雨の夜」とタイトルをつけたものがこの詩です。

「暗い天候三つ」の第2節、第3節は
「新編中原中也全集」第1巻中の「生前発表詩篇」に分類・掲出されていますから
ここで目を通しておきましょう。

暗い天候(二・三)
 
   二

こんなにフケが落ちる、
   秋の夜に、雨の音は
トタン屋根の上でしている……
   お道化(どけ)ているな――
しかしあんまり哀しすぎる。

犬が吠える、虫が鳴く、
   畜生(ちくしょう)! おまえ達には社交界も世間も、
ないだろ。着物一枚持たずに、
   俺も生きてみたいんだよ。

吠えるなら吠えろ、
   鳴くなら鳴け、
目に涙を湛(たた)えて俺は仰臥(ぎょうが)さ。
   さて、俺は何時(いつ)死ぬるのか、明日か明後日(あさって)か……
――やい、豚、寝ろ!

こんなにフケが落ちる、
   秋の夜に、雨の音は
トタン屋根の上でしている。
   なんだかお道化ているな
しかしあんまり哀しすぎる。

   三

この穢(けが)れた涙に汚れて、
今日も一日、過ごしたんだ。

暗い冬の日が梁(はり)や壁を搾(し)めつけるように、
私も搾められているんだ。

赤ン坊の泣声や、おひきずりの靴の音や、
昆布や烏賊(するめ)や洟紙(はながみ)や首巻や、

みんなみんな、街道沿(かいどうぞ)いの電線の方へ
荷馬車の音も耳に入らずに、舞い颺(あが)り舞い颺り

吁(ああ)! はたして昨日が晴日(おてんき)であったかどうかも、
私は思い出せないのであった。

   秋の夜に、雨の音は
トタン屋根の上でしている……
――と「二」にあり

暗い冬の日が梁(はり)や壁を搾(し)めつけるように、
――と「三」にあり

「冬の雨の夜」は
秋の夜の雨、冬の雨と歌った「暗い天候」の一つであることがわかります。

今回はここまで。

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2013年12月23日 (月)

きらきら「初期詩篇」の世界/「深夜の思い」その2

(前回からつづく)

「深夜の思い」には
長谷川泰子らしき女性が
ゲーテ「ファウスト」のヒロインであるマルガレエテに擬して登場します。

「初期詩篇」で
はっきりとした形で泰子が現われるのはこれが初めてです。

深夜の思い

これは泡立つカルシウムの
乾きゆく
急速な――頑(がん)ぜない女の児の泣声だ、
鞄屋の女房の夕(ゆうべ)の鼻汁だ。

林の黄昏は
擦(かす)れた母親。
虫の飛交(とびか)う梢(こずえ)のあたり、
舐子(おしゃぶり)のお道化(どけ)た踊り。

波うつ毛の猟犬見えなく、
猟師は猫背を向(むこ)うに運ぶ。
森を控えた草地が
  坂になる!

黒き浜辺にマルガレエテが歩み寄(よ)する
ヴェールを風に千々(ちぢ)にされながら。
彼女の肉(しし)は跳び込まねばならぬ、
厳(いか)しき神の父なる海に!

崖の上の彼女の上に
精霊が怪(あや)しげなる条(すじ)を描く。
彼女の思い出は悲しい書斎の取片附(とりかたづ)け
彼女は直(じ)きに死なねばならぬ。

「朝の歌」や「黄昏」では
泰子は前面に現われることはなく
「うしなわれたもの」に含まれていました。

「臨終」では
いわばダブルイメージとして
死んだ女性の「影」でした。

「朝の歌」や「臨終」や「黄昏」などには
泰子は前面に出ることはありませんでしたが
「深夜の思い」では
彼女の思い出は悲しい書斎の取片附(とりかたづ)け
――と具体的に「行為する人」として現われました。

「深夜の思い」に現われたのは
マルガレエテという「直喩」の中ですが
現われたことに変わりありません。

マルガレエテは
「深夜の思い」の中で
「ファウスト」の中の役を演じつつ
「書斎の後片づけ」を行います。

第3連と最終連は
「ファウスト」の中のマルガレエテが辿った運命ですが
そのマルガレエテの行為の中に
中也から去った日の泰子が混ざります。

マルガレエテの運命に
泰子の運命を重ね
彼女は直(じ)きに死なねばならぬ。
――と歌うのは
詩人がファウストになっているからで
マルガレエテ=泰子への愛(慈悲)によってです。

泰子をモチーフにした恋愛詩群は
「白痴群」へ発表し
「山羊の歌」の「少年時」以降の章へと配置されるのが大勢なのですが
「初期詩篇」へ配置された作品が幾つかあります。

「秋の一日」
「深夜の思い」
「冬の雨の夜」
「凄じき黄昏」
「夕照」
「ためいき」
――の6篇です。

「初期詩篇」後半部に
これらは配置され
やがて「少年時」へと流れ込んでいきます。

今回はここまで。

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2013年12月22日 (日)

きらきら「初期詩篇」の世界/「深夜の思い」

(前回からつづく)

「生活者」に発表された「港市の秋」を振り出しに
「臨終」(山羊の歌)
「むなしさ」(在りし日の歌)
「かの女」(未発表詩篇)
「春と恋人」(未発表詩篇)
「秋の一日」(山羊の歌)
――と「横浜もの」と呼ばれる詩群を読んできました。

「山羊の歌」では
「臨終」「秋の一日」「港市の秋」の順に配置されましたが
これらが扱う季節はみな「秋」でした。

「臨終」が歌った女性には
泰子の影が落ちている(大岡昇平)のであれば
「朝の歌」の「うしないし さまざまのゆめ」にも同じことがあてはまり
「黄昏」「深夜の思い」と
「山羊の歌」の「初期詩篇」中にも
泰子を歌った詩の流れを見つけることができることになります。

「深夜の思い」は
「初期詩篇」22篇の10番目にあり
「黄昏」に続いて配置されました。

深夜の思い

これは泡立つカルシウムの
乾きゆく
急速な――頑(がん)ぜない女の児の泣声だ、
鞄屋の女房の夕(ゆうべ)の鼻汁だ。

林の黄昏は
擦(かす)れた母親。
虫の飛交(とびか)う梢(こずえ)のあたり、
舐子(おしゃぶり)のお道化(どけ)た踊り。

波うつ毛の猟犬見えなく、
猟師は猫背を向(むこ)うに運ぶ。
森を控えた草地が
  坂になる!

黒き浜辺にマルガレエテが歩み寄(よ)する
ヴェールを風に千々(ちぢ)にされながら。
彼女の肉(しし)は跳び込まねばならぬ、
厳(いか)しき神の父なる海に!

崖の上の彼女の上に
精霊が怪(あや)しげなる条(すじ)を描く。
彼女の思い出は悲しい書斎の取片附(とりかたづ)け
彼女は直(じ)きに死なねばならぬ。

長谷川泰子が中也との暮らしをたたんで
小林秀雄と同居しはじめたのは
大正14年の秋(11月)のことでした。
それからどれほど経って
この詩は書かれたのでしょうか。

深夜の詩人を襲う
「泡立つカルシウムの」
「急速な」
「頑(がん)ぜない」
もの思い――。

ラムネサイダーかなにかのように
ふーっと「急速に」しぼんだかと思うと
今度はわーっと
聞き分けのない
赤ん坊の泣声のような
鞄屋の女房の夕(ゆうべ)の鼻汁のような
頑固でしつっこい思い。

はじめそれは
林の黄昏に
母親が掠(かす)れて見えたり。
虫が飛び交っている梢に
おしゃぶり咥(くわ)えた子どもがお道化て踊る様子。
(第2連)

駆り立てた猟犬の姿が見えなくなって
猟師は猫背の姿勢でそれを追う。
森にぶつかって
草地は坂になって落ちている!
(第3連)

第2連も第3連も
ランボーのイメージでしょうか。

いずれもこれは
夢にうなされて目ざめるという場面ではありません。

夜中にもの思いに耽る詩人が
見る映像(幻想幻視)です。

第4連では
ゲーテの劇詩「ファウスト」のヒロイン、グレートヒェン(愛称マルガレエテ)が現われますが
映像の中にマルガレエテが出てきたものではないでしょう。

実際に見えた映像は
泰子であったに違いありません。

詩語にしたときに
マルガレエテとしただけです。

今回はここまで。

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2013年12月21日 (土)

きらきら「初期詩篇」の世界/「秋の一日」その2

(前回からつづく)

錫と広場と天鼓と――。

それは、ポケットに手を突っ込んで出る「旅」の必要条件です。

杖は旅の友であり
広場は歩く場所であり
天鼓は風雨。

詩人には
杖があり
歩く場所があり
歩いていて遭遇する自然の美しさ・脅威……

これ以外は
「旅」に出ようとしたときに知る必要もないことでした。

秋の一日
 
こんな朝、遅く目覚める人達は
戸にあたる風と轍(わだち)との音によって、
サイレンの棲む海に溺れる。 

夏の夜の露店の会話と、
建築家の良心はもうない。
あらゆるものは古代歴史と
花崗岩のかなたの地平の目の色。

今朝はすべてが領事館旗のもとに従順で、
私は錫(しゃく)と広場と天鼓(てんこ)のほかのなんにも知らない。
軟体動物のしゃがれ声にも気をとめないで、
紫の蹲(しゃが)んだ影して公園で、乳児は口に砂を入れる。

    (水色のプラットホームと
     躁(はしゃ)ぐ少女と嘲笑(あざわら)うヤンキイは
     いやだ いやだ!)

ぽけっとに手を突込んで
路次を抜け、波止場に出(い)でて
今日の日の魂に合う
布切屑(きれくず)をでも探して来よう。

第3連まで詩(人)は
港町で目にした市井(しせい)の人々の暮らしや
街を行きかう男女や
聞えてくる声や物音や……

風景の中を歩きながら
その風景から拾い
詩の言葉にします。

好むと好まざるにかかわらず
詩人は行くところの風景の中に存在し
目にふれた風景を「描写」します。

ここまでは
港町の「客観描写」ですが
目に見えた形象の中から
幾つかを選んで詩語にしているのですから
「主観描写」でありますし
叙事・叙景でもありますが
この中に「感情」や「内面」が含まれていないなどとも
到底言えたものではありません。

「字下げ」された第4連は
こうして「心情」が吐露(とろ)された形になります。

「字下げ」して( )に括(くく)られ
しゃべり言葉であることが示され
詩(人)はここで「地」を現わします。

水色のプラットホーム
躁(はしゃ)ぐ少女
嘲笑(あざわら)うヤンキイ

これらのものを
いやだ、いやだ! と駄々をこねるようにして嫌悪するのは
詩人がこれらのものと同じ世界にいるかのようです。

躁(はしゃ)ぐ少女や嘲笑(あざわら)うヤンキイの口ぶりに
あたかも同化したかのような詩語を刻んだとき
詩(人)はすでに
そのような自分を自覚しています。

こんなところ
ぼくには合わない

ポケットに手を入れて
詩人は
また歩き出します。

詩人の耳にサイレンの歌は聞こえていません。

ボロボロになった靴で
ランボー少年の足取りで。

今回はここまで。

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2013年12月20日 (金)

きらきら「初期詩篇」の世界/「秋の一日」

(前回からつづく)

「臨終」から一つ飛んで
「初期詩篇」の8番目に配置されているのが「秋の一日」です。

娼婦たちのいる「横浜橋」を離れて
海方向へ詩人の足は向かいました。

よく晴れた秋の日の
遅い朝です。

秋の一日
 
こんな朝、遅く目覚める人達は
戸にあたる風と轍(わだち)との音によって、
サイレンの棲む海に溺れる。 

夏の夜の露店の会話と、
建築家の良心はもうない。
あらゆるものは古代歴史と
花崗岩のかなたの地平の目の色。

今朝はすべてが領事館旗のもとに従順で、
私は錫(しゃく)と広場と天鼓(てんこ)のほかのなんにも知らない。
軟体動物のしゃがれ声にも気をとめないで、
紫の蹲(しゃが)んだ影して公園で、乳児は口に砂を入れる。

    (水色のプラットホームと
     躁(はしゃ)ぐ少女と嘲笑(あざわら)うヤンキイは
     いやだ いやだ!)

ぽけっとに手を突込んで
路次を抜け、波止場に出(い)でて
今日の日の魂に合う
布切屑(きれくず)をでも探して来よう。

こんな朝、遅く目覚める人達――。

詩人もそのうちの一人であるに違いない遅い朝なのに
サイレンの誘惑に乗らないで
波止場のある方角へ歩いていきます。

サイレンの美声に耳を貸さずに
自らの命を守ったオデュッセウスさながら。

夏を彩(いろど)った夜店のざわめきや
露店を作り生業(なりわい)としていた香具師たちの姿はもう見えません。

すべてはサイレンの古代の
(ずっと昔に生成した)花崗岩の向うの地平の目、その色をしています。

夏の景物は跡形もなくなり
すべてが古代の自然を取り戻した海の町の様子でしょうか。

ダダのしっぽか
もしくは、一歩進んだ象徴表現か
わかりにくいところですが
夏が去った港町が歌われていることは確かでしょう。

領事館といえば
イギリスかフランスのものでしょうか
現在の「港の見える丘公園」に
両領事館がこのころにも開かれていました。

ユニオンジャック(イギリス)またはトリコロール(フランス)の領事館旗が
誇らしげに港町の空にひるがえる風景は
詩人(=私)の眼に「すべてが従順で」と見えました。

それで
錫(しゃく)と広場と天鼓(てんこ)のほかのなんにも知らない。
――と思い知ったのです。

錫(しゃく)は「杖」
広場は広場
天鼓(てんこ)は「雷(カミナリ)」(天上の太鼓の意味もあるそうです。)

すべてが領事館旗のもとに従順である「から」
私はこれらのほかの何ごともしらない――ということなのか
すべてが領事館旗のもとに従順である「のに」
私はこれらのほかの何ごともしらない――ということなのか

この1行は難解です。

すべてが従順だから
私は多くのこと(錫、広場、天鼓以外)を知らない、ということなのか
すべてが従順なのに
私は多くのことを知らない、ということなのか。

そもそも、錫、広場、天鼓とは
なんのことか。

多く(錫、広場、天鼓以外)を知らない詩人は
母親らしい人のしゃがれ声がなんのことだか聞き分けもできないで
公園の入口で砂を食べちゃっている幼児を目撃します。

これも「すべて従順」な風景の一つか。
だとすれば、従順な風景が
詩人になにを感じさせているのでしょうか。

その答えが

    (水色のプラットホームと
     躁(はしゃ)ぐ少女と嘲笑(あざわら)うヤンキイは
     いやだ いやだ!)

――という「字下げ」された第4連となります。

今回はここまで。

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きらきら「初期詩篇」の世界/「臨終」番外篇「かの女」「春と恋人」

(前回からつづく)

「むなしさ」の
「よすがなき われは戯女(たわれめ)」(第1連)は
「臨終」の
「神もなくしるべもなくて」(第2連)と呼応しています。

どちらも女性の境地を歌ったものですが
詩人のこの時期の境地でもあります。

「臨終」を「山羊の歌」の「初期詩篇」6番目に置き
「むさしさ」を「在りし日の歌」の2番目に置いた詩人の意図を
想像することは難しくありません。

京都から連れ立って東京に出てきた女性に去られ
その女性が去った行く先は文学上の先輩であり仲間であった小林秀雄の元であり
その小林を紹介した富永太郎は死去したばかりであり……

友人、知人そして恋人を
一挙にすべて失なって
一人見知らぬ土地、
それもコンクリートジャングルのような大都会・東京に投げ出されてしまった……

神もなくしるべもなく
よすがなき
……

横浜の娼婦たちを
同じような境遇にある者と見做(な)したのは
決して大げさなことではありませんでした。

「臨終」や「むなしさ」と同じころに書かれた
「かの女」という未発表詩篇があります。

「草稿詩篇(1925年―1928年)」の4番目に「かの女」はありますが
この詩も「横浜もの」の一つです。

かの女

千の華燈(かとう)よりとおくはなれ、
笑める巷(ちまた)よりとおくはなれ、
露じめる夜のかぐろき空に、
かの女はうたう。

「月汞(げっこう)はなし、
低声(こごえ)誇りし男は死せり。
皮肉によりて瀆(けが)されたりし、
生よ歓喜よ!」かの女はうたう。

鬱悒(うつゆう)のほか訴うるなき、
翁(おきな)よいましかの女を抱け。
自覚なかりしことによりて、

いたましかりし純美の心よ。
かの女よ憔(じ)らせ、狂い、踊れ、
汝(なれ)こそはげに、太陽となる!

孤独を引きずって歩行し
散策し浮浪する詩人の姿が浮かびあがってきますが
そのはじまりに長谷川泰子の影があることを
否定しようにも否定できません。

「春と恋人」(第1次形態)もまたこのころの作品です。

春と恋人
 
美しい扉の親しみに
私が室(へや)で遊んでいると、
私にかまわず実ってた
新しい桃があったのだ……

街の中から見える丘、
丘に建ってたオベリスク、
春には私に桂水くれた
丘に建ってたオベリスク……

蜆(しじみ)や鰯を商う路次の
びしょ濡れの土が歌っている時、
かの女は何処かで笑っていたのだ……

港の春の朝の空で
私がかの女の肩を揺ったら、
真鍮(しんちゅう)の、盥(たらい)のようであったのだ……

以来私は木綿の夜曲?
はでな処には行きたかない……

(「新編中原中也全集」第2巻・詩Ⅱ解題篇より。「新かな」に変え、一部、ルビを加えてあります。編者)

今回はここまで。

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2013年12月19日 (木)

きらきら「初期詩篇」の世界/「臨終」番外篇「むなしさ」その2

(前回からつづく)

むなしさ
 
臘祭(ろうさい)の夜の 巷(ちまた)に堕(お)ちて
 心臓はも 条網(じょうもう)に絡(から)み
脂ぎる 胸乳(むなぢ)も露(あら)わ
 よすがなき われは戯女(たわれめ)

せつなきに 泣きも得せずて
 この日頃 闇を孕(はら)めり
遐(とお)き空 線条(せんじょう)に鳴る
 海峡岸 冬の暁風(ぎょうふう)

白薔薇の 造花の花弁
 凍(い)てつきて 心もあらず
明けき日の 乙女の集い
 それらみな ふるのわが友

偏菱形(へんりょうけい)=聚接面(しゅうせつめん)そも
 胡弓(こきゅう)の音 つづきてきこゆ

第1連に「臘祭(ろうさい)の夜」とあり
第3連に「明けき日の 乙女の集い」とあり
この詩が、年の瀬(大晦日)から元旦を迎えた港町(横浜)の娼婦たちが
新年会に集う様子を歌ったものであることを知ります。

前半が「臘祭(ろうさい)の夜」を歌い
後半が「明けき日の 乙女の集い」を歌った詩なのです。

「それらみな ふるのわが友」に注目しましょう。

新年の賀に集る乙女らは
みな詩人の古くからの友だちである、ときっぱりした口調で歌います。

おお、あの女性も元気にやっている
あの子も年を越したな
あの女性の姿がみえないが……

「偏菱形(へんりょうけい)=聚接面(しゅうせつめん)」は
中華街の建物を飾る「マーク」でしょうか。

その間を縫って
胡弓の音がひゅるひゅると聞えてきます。

年を越した詩人の胸のうちには
泰子のことがあったでしょうか。

泰子が小林秀雄と暮らしはじめたのは
年の明けない11月のことでした。

詩人の思いは
泰子へ向かったのでしょうか
それとも泰子を忘れる方へと向かったのでしょうか。

港町への散策は
はじまったばかりです。

今回はここまで。

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きらきら「初期詩篇」の世界/「臨終」番外篇「むなしさ」

(前回からつづく)

臨 終
 
秋空は鈍色(にびいろ)にして
黒馬の瞳のひかり
  水涸(か)れて落つる百合花
  ああ こころうつろなるかな

神もなくしるべもなくて
窓近く婦(おみな)の逝きぬ
  白き空盲(めし)いてありて
  白き風冷たくありぬ

窓際に髪を洗えば
その腕の優しくありぬ
  朝の日は澪(こぼ)れてありぬ
  水の音(おと)したたりていぬ

町々はさやぎてありぬ
子等の声もつれてありぬ
  しかはあれ この魂はいかにとなるか?
  うすらぎて 空となるか?

「臨終」は大正15年に制作され
「スルヤ」演奏会で諸井三郎の作曲の歌曲として演奏されたのが
昭和3年5月でした。

中原中也年譜には
「大正15・昭和元年(1926) 19歳」の項に
この年「臨終」を書く。
――と「特記」されています。

同じ年の2月には
「むなしさ」を書く。
――とも記述されています。

「臨終」と「むなしさ」とは
同じ年に制作され「むなしさ」が先に作られたことを推定するものですが
「臨終」は年内制作であることだけが記述されたものです。

ここで「むなしさ」を読んでおきましょう。
「在りし日の歌」の冒頭詩であるはずでしたが
長男文也の急死により
「含羞(はじらい)」に取って替えられました。
そのために2番手に配置されています。

むなしさ
 
臘祭(ろうさい)の夜の 巷(ちまた)に堕(お)ちて
 心臓はも 条網(じょうもう)に絡(から)み
脂ぎる 胸乳(むなぢ)も露(あら)わ
 よすがなき われは戯女(たわれめ)

せつなきに 泣きも得せずて
 この日頃 闇を孕(はら)めり
遐(とお)き空 線条(せんじょう)に鳴る
 海峡岸 冬の暁風(ぎょうふう)

白薔薇の 造花の花弁
 凍(い)てつきて 心もあらず
明けき日の 乙女の集い
 それらみな ふるのわが友

偏菱形(へんりょうけい)=聚接面(しゅうせつめん)そも
 胡弓(こきゅう)の音 つづきてきこゆ

第1連に
よすがなき われは戯女(たわれめ)
――とあり、
この詩が娼婦を歌ったものであることを理解できます。
この女性と「臨終」で亡くなる女性は同一人物でしょうか?

事実はもはや永遠に分からなくなってしまったことですが
そうと読めない理由を探すほうが
不自然なことになりそうです。

しかし、その事実よりも
二つの詩こそが大事です。

そのつながりについては
想像の域にとどめておいて
詩の読みの妨げになるものではありません。

一方が生前の女性で
一方が逝った女性ならば
「むなしさ」が先に歌われ
「臨終」が後に歌われたと理解するのが自然の流れでしょうが
そう読むのは想像力の範囲のことです。

二つの詩は
独立した詩です。

臘祭(ろうさい)の「臘」は「陰暦12月」のことで
「12月のお祭り」を意味します。
横浜の中華街の年末には
このようなお祭りが行われ
現在も行われているでしょうか。

第3連の
白薔薇(しろばら)の 造化の花瓣(くわべん)
 凍(い)てつきて 心もあらず
――の「白薔薇」は
遊女をダリアに見立てたベルレーヌの詩「ダリア Un Dahlia」の影響といわれます。

中原中也の詩に現れる
フランス象徴詩の最も早い時期の反映です。

「むなしさ」には
この時期に影響を受けた
詩(人)の影響が他にも見られます。

そこのところを

詩句には岩野泡鳴流の小唄調と田臭を持ったものであるが、「遐き空」「偏菱形」等の高踏的な漢語は、富永太郎や宮沢賢治の影響である。これだけでもダダの詩とは大変な相違であるが、重要なのは、ここで中原がよすがなき戯女に仮託して叙情していることであろう
――と大岡昇平は書いています。(新全集Ⅱ解題篇)

横浜の街の娼婦に
詩人は己の孤独を重ね合わせ
ふるえるような悲しみの旋律を
シンクロさせました。

今回はここまで。

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2013年12月17日 (火)

きらきら「初期詩篇」の世界/「臨終」その2

(前回からつづく)

臨 終
 
秋空は鈍色(にびいろ)にして
黒馬の瞳のひかり
  水涸(か)れて落つる百合花
  ああ こころうつろなるかな

神もなくしるべもなくて
窓近く婦(おみな)の逝きぬ
  白き空盲(めし)いてありて
  白き風冷たくありぬ

窓際に髪を洗えば
その腕の優しくありぬ
  朝の日は澪(こぼ)れてありぬ
  水の音(おと)したたりていぬ

町々はさやぎてありぬ
子等の声もつれてありぬ
  しかはあれ この魂はいかにとなるか?
  うすらぎて 空となるか?

「臨終」が歌うのは秋空です。
快晴ならぬ空です。

黒馬はどこかの馬場のものでしょうか。
町を移動するのに
車道の真ん中を通る風景が
むかしよく見られたものですが
その馬でしょうか。

農事用の馬でしょうか
興行用の馬でしょうか
動物園の馬でしょうか
軍隊の馬でしょうか。

鈍色の空を背景に
黒馬の大きな瞳が光ります。

活けた百合の水は
替える主(あるじ)をうしない
花を落としてしまった……。
ああ、むなしい

黒馬は百合の花が落ちるのを見て
ただならぬ気配を感じるかのよう。

寄る辺のない身の女が
死んだ

白い空は何をも知らないし
白い風は冷たいばかりだ

窓辺で髪を洗うときの
腕が優しかった

朝の陽差しが溢れていたよ
川の水の音がやまなかったよ

町はどこもかしこもざわざわしていた
子どもらの声が飛び交っていた

それにしてもいったい、この魂はどうなるのか?
うすらいだ末に、空となるのか?

各連後半の「字下げ」の行に
詩人の思いの現在はあります。

今回はここまで。

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きらきら「初期詩篇」の世界/「臨終」

(前回からつづく)

「臨終」の初出は
「スルヤ」第2輯(昭和3年5月4日発行)です。

諸井三郎をリーダーとする
音楽集団「スルヤ」の会報が「スルヤ」です。

その会報に掲載されたのは
諸井三郎作曲の歌曲の歌詞として紹介されたためです。
演奏会が行われるのにあわせて発行されましたから
演奏プログラムのようなものらしく
当日の聴衆に配られました。

短歌は別にして
「朝の歌」と「臨終」は
中原中也の詩が初めて活字化されたものです。
このことは、
中也の詩がはじめ歌詞として
音楽会を通じて読者に知られたことを示しています。

現代の作曲家によって
中也の詩に曲がつけられ
高校や大学などの音楽クラブで
合唱曲として演奏されるなど
現在も根強い人気があるのはその流れのためでもあります。

臨 終
 
秋空は鈍色(にびいろ)にして
黒馬の瞳のひかり
  水涸(か)れて落つる百合花
  ああ こころうつろなるかな

神もなくしるべもなくて
窓近く婦(おみな)の逝きぬ
  白き空盲(めし)いてありて
  白き風冷たくありぬ

窓際に髪を洗えば
その腕の優しくありぬ
  朝の日は澪(こぼ)れてありぬ
  水の音(おと)したたりていぬ

町々はさやぎてありぬ
子等の声もつれてありぬ
  しかはあれ この魂はいかにとなるか?
  うすらぎて 空となるか?

「臨終」は
いわゆる「横浜もの」です。

「横浜もの」といっても
十把ひとからげのものではありません。

横浜の娼婦を歌った幾つかの詩の一つですが
娼婦を歌いながら
詩人自身を歌っているところが中也の詩です。

  しかはあれ この魂はいかにとなるか?
  うすらぎて 空となるか?

――という最終連は
女性の死を自らに引き寄せていて真剣です。

「字下げ」に
詩人の「地」が露出しています。

この詩に現われる「空」は
魂の行方や死のありか(イメージ)へ繋がる
「入り口」のようでさへあります。

「臨終」の空は
その早い時期に歌われた空です。

今回はここまで。

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2013年12月16日 (月)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「港市の秋」その2

(前回からつづく)

「山羊の歌」の中の「横浜もの」は
「臨終」
「秋の一日」
「港市の秋」
――の3作品です。

「都会の夏の夜」(初期詩篇)や
「冬の雨の夜」(初期詩篇)や
「わが喫煙」(少年時)なども
横浜っぽいイメージが描写されていますから
「横浜もの」に入れておかしくはないのですが
積み重ねられた研究では
そうとはみなされていません。

「臨終」は
なじみの娼婦の死を悼んだ作品(大岡昇平)といわれ
彼女の死の「行く末」を思い
自らの魂(死)の行方を案じる詩人のこころが歌われます。

「秋の一日」は
「港市の秋」と同じく秋の朝を歌い
場所が異なる風景を歩きながら
その風景との距離を感じる詩人が
詩(の「切れ屑」)を探す決意を述べる詩です。

詩人が港町の風景を眺める眼差しは
嫌悪や侮蔑といったものではなく
かといって愛情あふれるものでもなく
「いまひとつ」なじめないものなのです。

にもかかわらず詩語は
その風景から拾います。

「港市の秋」には
「秋の一日」にある晦渋さや
高踏的な言葉使いは後退しています。

会話が挿(はさ)まれるのは「秋の一日」と同じですが
平易な詩語に満ちているのは
制作が後だからでしょうか。

港町への懸隔感(けんかくかん)は
いっそう明確になり
「大人しすぎる町」に
詩人の座る椅子はありません。

椅子がないことに
詩人は気づいてしまったのです。

港市の秋
 
石崖に、朝陽が射して
秋空は美しいかぎり。
むこうに見える港は、
蝸牛(かたつむり)の角(つの)でもあるのか

町では人々煙管(キセル)の掃除。
甍(いらか)は伸びをし
空は割れる。
役人の休み日――どてら姿だ。

『今度生れたら……』
海員が唄う。
『ぎーこたん、ばったりしょ……』
狸婆々(たぬきばば)がうたう。

  港(みなと)の市(まち)の秋の日は、
  大人しい発狂。
  私はその日人生に、
  椅子を失くした。

今回はここまで。

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「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「港市の秋」

(前回からつづく)

「港市の秋」は
海の見える町を散策する詩人が
市井(しせい)の暮らしのあまりにも平和なたたずまいを見て
自身の暮らし(生き様)との隔絶感を歌った詩です。

港市の秋
 
石崖に、朝陽が射して
秋空は美しいかぎり。
むこうに見える港は、
蝸牛(かたつむり)の角(つの)でもあるのか

町では人々煙管(キセル)の掃除。
甍(いらか)は伸びをし
空は割れる。
役人の休み日――どてら姿だ。

『今度生れたら……』
海員が唄う。
『ぎーこたん、ばったりしょ……』
狸婆々(たぬきばば)がうたう。

  港(みなと)の市(まち)の秋の日は、
  大人しい発狂。
  私はその日人生に、
  椅子を失くした。

昭和4年に「生活者」第9号第10号に発表され
「山羊の歌」の「初期詩篇」に収録された詩は
これでお仕舞となります。

「生活者」発表の詩は「山羊の歌」ばかりでなく
「在りし日の歌」に「春」と「夏の夜」が収録されました。

詩人は「生活者」発表のすべての詩を未発表とせず
江湖(こうこ)に問うたことになります。

「港市の秋」は
「横浜」を題材にした詩群の一つです。
これを「横浜もの」と呼びます。

「山羊の歌」には
「港市の秋」のほかに
「臨終」
「秋の一日」
「在りし日の歌」には
「むなしさ」
「未発表詩篇」には
「かの女」
「春と恋人」
――という「横浜もの」があります。

横浜は
母フクが生まれ(明治12年)
7歳まで過ごした土地であった関係もあり
詩人はよく遊びました。

(略)横浜という所には、常なるさんざめける湍水の哀歓の音と、お母さんの少女時代の幻覚と、
謂わば歴史の純良性があるのだ。あんまりありがたいものではないが、同種療法さ。
――などと、友人の正岡忠三郎に宛てた大正15年1月の手紙に記しています。

はじめは「むなしさ」が
「在りし日の歌」の冒頭詩であったことはよく知られたことです。

「横浜もの」に込めた詩人の思いは大きなものがありますが
「初期詩篇」に「港市の秋」「臨終」「秋の一日」の3作を配置していることも
それを物語っていることでしょう。

「港市の秋」は
「生活者」から「山羊の歌」へという流れを示す
唯一(ゆいつ)の詩です。

「横浜もの」には
いずれも「孤独の影」のようなものが漂います。

今回はここまで。

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2013年12月13日 (金)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「秋の夜空」その3

(前回からつづく)

秋の夜空に巨大スクリーンが浮かび出て
高貴な家柄の夫人たちが立食パティーに興じている
金色の灯りもまばゆく賑やかに……。

おやまあなんとおにぎわしいことと
思わず呟きのひとことも洩れ出る夜の宴。

やがて時は流れ
宴は遠い昔の影祭りへと変色し
人語も聞こえない遠景へ後退します……。

ほんのりあかるいだけの
静かな賑わしさに変わっています。

夜空の星々を夫人に見立てた擬人法の詩だなどと
理屈っぽいことを言わないでも
あり得ない「夜空の宴」がくっきりと鮮やかに見えます。

上天界の宴の中に入り(近景でとらえ)
ぐるりと一周し(眺め回し)
下界から見上げる(遠景)

何度も読んでいるうちに
次第にピントが合ってくる映像詩――。

近景から遠景への視点移動が逆であったら
もう少し分かりやすかったかもしれませんが
説明(描写)の順序をひっくりかえしたところに効果はあります。

行末の不統一も
それほど「へんてこりん」とは思えなくなってくる
不思議な魅力のある詩です。

おにぎわしい=形容詞、現在形
いう=動詞、現在形
みやびさよ=名詞+感嘆詞
夫人たち=名詞(体言止め)
にぎわしさ=名詞
点いている=動詞、現在形
裳裾=名詞
です=助動詞現在形(ですます調)
あかるさよ=名詞+感嘆詞
上天界=名詞
影祭=名詞
賑わしさ=名詞
宴=名詞
退散した=動詞、過去形

この程度なら
ダダの「ハチャメチャ」を遠く離れています。

秋の夜空に
ファンタジックな映像が見えるだけで
いいのです。

そういう詩を
遊んだのでしょうから。

こんな詩の中に
あえて詩人を探そうとすれば
「字下げ」された行、

    下界(げかい)は秋の夜(よ)というに(第1連、第2連)
    私は下界で見ていたが(第3連)

――や、

それでもつれぬみやびさよ
椅子(いす)は一つもないのです。
知らないあいだに退散した。

――という「行」などに存在するのかもしれません。

そう読まないで
詩(人)の遊びを味わうのがよいのかもしれません。

秋の夜空
 
これはまあ、おにぎわしい、
みんなてんでなことをいう
それでもつれぬみやびさよ
いずれ揃(そろ)って夫人たち。
    下界(げかい)は秋の夜(よ)というに
上天界(じょうてんかい)のにぎわしさ。

すべすべしている床の上、
金のカンテラ点(つ)いている。
小さな頭、長い裳裾(すそ)、
椅子(いす)は一つもないのです。
    下界は秋の夜というに
上天界のあかるさよ。

ほんのりあかるい上天界
遐(とお)き昔の影祭(かげまつり)、
しずかなしずかな賑(にぎ)わしさ
上天界の夜の宴。
    私は下界で見ていたが、
知らないあいだに退散した。

今回はここまで。

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2013年12月12日 (木)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「秋の夜空」その2

(前回からつづく)

秋の夜空
 
これはまあ、おにぎわしい、
みんなてんでなことをいう
それでもつれぬみやびさよ
いずれ揃(そろ)って夫人たち。
    下界(げかい)は秋の夜(よ)というに
上天界(じょうてんかい)のにぎわしさ。

すべすべしている床の上、
金のカンテラ点(つ)いている。
小さな頭、長い裳裾(すそ)、
椅子(いす)は一つもないのです。
    下界は秋の夜というに
上天界のあかるさよ。

ほんのりあかるい上天界
遐(とお)き昔の影祭(かげまつり)、
しずかなしずかな賑(にぎ)わしさ
上天界の夜の宴。
    私は下界で見ていたが、
知らないあいだに退散した。

「秋の夜空」が
上天界に集う夫人たちのお祭り(影祭)を歌った詩であることは
初めて読んだときには
最終連を読んで理解します。

2度目に読んだときには
第1連冒頭の
これはまあ、おにぎわしい
――というセリフが
お祭りの賑わいへの感想であることを理解します。

ああ、夜空で夫人たちが宴に興じていて
おしゃべりをしているのだ
みんなてんでんばらばらなことを言っている
みやびやかだけどツンとしましたものだよ(第1連)

磨きのかかった床
金色に照明が輝いていて
小さな頭の八頭身美人たちが長い裾を引きずっているのだ
そこに椅子が一つも見当たりません。(第2連)

上天界はほんのりあかるく
遠い昔の影祭りだ
静かな賑わいだ
夜の宴なのだ。(第3連)

上天界の宴の様子だけを追えば
このようになります。

この宴を下界からのぞき見ているのが
私=詩人です。

ひっそりと息をひそめて
上天界の影祭りを眺めているのですが
しばらくして私の知らない間にどこかへ退散してしまいました。(第3連)

ここまで読み通して
「退散した」のは
夫人たちではなく私かもしれない、とか
これはまあ、おにぎわしい
――とまるで宴の中にいるようなセリフは
下界にいる詩人と辻褄があわない、とか

幾つか謎が出てきます。

そもそも
夜空の宴って何だろう、という疑問が生じてきます。

今回はここまで。

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2013年12月11日 (水)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「秋の夜空」

(前回からつづく)

「秋の夜空」も「生活者」の昭和4年10月号に発表され
「山羊の歌」では「春の思い出」の次に配置されました。

秋の夜空で女性たちの宴(うたげ)が繰り広げられる様子が
ファンタジックに歌われた詩です。

「初期詩篇」の最後には「宿酔」が置かれていますから
「春の思い出」「秋の夜空」「宿酔」と
ファンタジックに仕立てられた(ファンタジックな表現を駆使した)
3作品が並んだことになります。

秋の夜空
 
これはまあ、おにぎわしい、
みんなてんでなことをいう
それでもつれぬみやびさよ
いずれ揃(そろ)って夫人たち。
    下界(げかい)は秋の夜(よ)というに
上天界(じょうてんかい)のにぎわしさ。

すべすべしている床の上、
金のカンテラ点(つ)いている。
小さな頭、長い裳裾(すそ)、
椅子(いす)は一つもないのです。
    下界は秋の夜というに
上天界のあかるさよ。

ほんのりあかるい上天界
遐(とお)き昔の影祭(かげまつり)、
しずかなしずかな賑(にぎ)わしさ
上天界の夜の宴。
    私は下界で見ていたが、
知らないあいだに退散した。

さーっと読めば
すんなりと宴会の風景がイメージできる不思議な詩です。

それはタイトルのせいでしょうか。
「秋の夜空」というタイトルを読んでから詩本文を読むと
夜空で宴が行われていても
違和感が生まれないからでしょうか。

それはなぜでしょうか。

よく読むと
「へんてこりんな」言葉の使い方に驚かされます。

言葉使いだけでなく
矛盾だとか荒っぽさだとか
人を食ったような表現だとか
「美しい日本語」の顰蹙(ひんしゅく)を買うような
統一されない文法だとか
……が見えてきます。

第一、いきなり
これはまあ、おにぎわしい、
みんなてんでなことをいう
――とは、だれか人間の台詞(セリフ)です。
劇の脚本のようなはじまりです。
これは誰がしゃべっている言葉なのでしょう。

次の、
それでもつれぬみやびさよ
いずれ揃(そろ)って夫人たち。
    下界(げかい)は秋の夜(よ)というに
上天界(じょうてんかい)のにぎわしさ。
――ではじめて「上天界」の賑わいが歌われ
「下界」は(静かな)秋の夜であることが示されているのが理解できます。

しかしこの賑わしさが第3連(最終連)では
しずかなしずかな賑わしさ
――に変わり
あかるさも
ほんのりあかるいものに変わってしまいます。

第二に、
第1連の
おにぎわしい
みんなてんでなことをいう
それでもつれぬみやびさよ
――と語る人は
第2連で
椅子は一つもないのです。
――と「です(ます)調」で語る人と同一人物か、という謎。

同じく
第2連で
上天界のあかるさよ、と語る人と
第3連で退散した人物は
第1連で語る人と異なる人か同じ人か
……など。

そもそも第1連に登場する「夫人たち」は何者なのか、とか。
第3連の下界で見ていた「私」に
なぜ上天界の言葉が聞えるのか、とか

おかしなこと、謎めいたことが
いっぱいあります。

今回はここまで。

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2013年12月10日 (火)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「春の思い出」その2

(前回からつづく)

「春の思い出」第4連は
れんげ田で遊び呆(ほお)けた少年が
陽の落ちないうちに家に帰り着こうと走り
たどり着いた家の中が夢のような「幸福」につつまれていて
眩暈(めまい)を覚える……

……その次の瞬間、
突然、舞踏会の大光量の世界へ投げ出されて
スカートが揺れる世界を歌います。

春の思い出

摘み溜(た)めしれんげの華を
  夕餉(ゆうげ)に帰る時刻となれば
立迷う春の暮靄(ぼあい)の
    土の上(へ)に叩きつけ

いまひとたびは未練で眺め
  さりげなく手を拍きつつ
路の上(へ)を走りてくれば
    (暮れのこる空よ!)

わが家(や)へと入りてみれば
  なごやかにうちまじりつつ
秋の日の夕陽の丘か炊煙(すいえん)か
    われを暈(くる)めかすもののあり

      古き代(よ)の富みし館(やかた)の
          カドリール ゆらゆるスカーツ
          カドリール ゆらゆるスカーツ
      何時(いつ)の日か絶(た)えんとはする カドリール!

「字下げ」で歌われるのは
ほかの例と同じく
詩世界をもう一つの眼差しで歌う
「地(じ)」の詩人を登場させるという「詩法」によりますが。

もう一つに
それまで流れていた詩世界をよりいっそう鮮明にする
「舞台効果」のようなものを狙ったものです。

最終連で見せるこの「展開」は
起承転結に沿うよりも
「起承転転」に近く
第3連の強調・拡大といった趣(おもむき)を呈しています。

あるいは「序破急」の急を
第3連と最終連で展開している形です。

この形をもつ
「夜の空」を舞台にしていてファンタジックな詩が
揃いました。

「サーカス」は
暗闇に浮き上がったサーカス小屋を歌いました。

「秋の夜空」は全篇がファンタジーです。
下界から上天界をのぞき上げる「私」を歌いました。

「春の思い出」の最終連も
少年の眼差しはいつしか
「遠いもの」を見ている詩人の眼差しになりファンタジックです。

見ているものは
やがて視界から消えてなくなるというのも同じです。

「春の思い出」では
幸福の絶頂のような時間の中で
それがなくなってしまうことを少年は恐れました。
時間は止まってくれませんでした。

少年の時に抱いたこの喪失のおそれは
これを歌っている現在の詩人には
すでに失われた時です。

詩(人)はそれを振り返っているのです。
「思い出」を歌っているのです。

「思い出」を歌った詩を
詩人は幾つも残すことになります。
「春の思い出」はその初期のもので
原型のような作品です。

今回はここまで。

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2013年12月 9日 (月)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「春の思い出」

(前回からつづく)

詩の結末部が
現実のものでないような
夢や幻のような幻想的な(ファンタジックな)
あるいは「超現実的な(シュール)もの」に作られている――。

その系譜にあるのが
「春の思い出」です。

この詩も「生活者」の
昭和4年10月号に発表されました。

春の思い出

摘み溜(た)めしれんげの華を
  夕餉(ゆうげ)に帰る時刻となれば
立迷う春の暮靄(ぼあい)の
    土の上(へ)に叩きつけ

いまひとたびは未練で眺め
  さりげなく手を拍きつつ
路の上(へ)を走りてくれば
    (暮れのこる空よ!)

わが家(や)へと入りてみれば
  なごやかにうちまじりつつ
秋の日の夕陽の丘か炊煙(すいえん)か
    われを暈(くる)めかすもののあり

      古き代(よ)の富みし館(やかた)の
          カドリール ゆらゆるスカーツ
          カドリール ゆらゆるスカーツ
      何時(いつ)の日か絶(た)えんとはする カドリール!

最終連は
第3連を受けているのですが
「わが家」はかつて富み栄えた時代の屋敷のような空間(館)に変じ
そこで催された舞踏会のシーンが呼び出されます。

これは少年の日の思い出なのでしょう。

れんげの花の満開の季節。
紫紅色のはなびら一面の野原で遊んだ合間に摘み取った花束を
いざ帰る段になってはうとましくなって
道端に打ち捨てたあの時。

手の中にしおれはじめた花茎があわれで
あたりは暮れて靄(もや)っている土の上へ
せっかく採集した花の束を「叩きつけ」ました。

第2連、

いまひとたびは未練で眺め
  さりげなく手を拍きつつ
路の上(へ)を走りてくれば
    (暮れのこる空よ!)

――は読みどころです。

土の上に叩きつけた花束を見て
少年は可哀想と感じつつ
その感傷を打ち消すように手払いし
家路へと走り去ったのでした。

わが家へと帰り着いた少年は
和やかに家族親族うちまじり
「秋」の夕日の丘かご馳走を作るかまどの匂いか
めまいのしそうな「幸福」を見るのです。

いつしかわが家は「古き代の富みし館」となり
そこで踊る老若男女
スカートがひるがえります
カドリールに興じる幸福なとき

ゆらゆらゆれるスカートが回りますが……

めくるめく「幸福」もいつかはなくなってしまう!
絶頂に際して
少年はそのはかなさを思いはじめるのでした。

この「幸福」は
「秋」でなければならないかのように歌われます。

意味を追えばこうなりますが
第4連を「字下げ」としたのは
「サーカス」と同じであり
ここに「地」の詩人=作者がいます。

この部分が
ファンタジーのように仕立てられたのです。

今回はここまで。

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2013年12月 7日 (土)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「サーカス」その3

(前回からつづく)

「幾時代かがありまして」とはじまり
「夜は劫々と更けまする」で閉じる
二つのナレーションの間に語られるドラマ――。

そのナレーションの眼差しには
幾分か道化(どうけ)の気分が混ざるのは
ドラマがサーカスであるからです。

ブランコは「見えるともない」ものですが
それを案内しながら演じるのは道化ですし
道化を演じるのは詩人です。
詩人はこの詩の作者でもあります。

サーカス
 
幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
  冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
  今夜此処での一(ひ)と殷盛(さか)り
    今夜此処での一と殷盛り

サーカス小屋は高い梁(はり)
  そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒(あたまさか)さに手を垂れて
  汚れ木綿(もめん)の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯(ひ)が
  安値(やす)いリボンと息を吐(は)き

観客様はみな鰯(いわし)
  咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

      屋外は真ッ闇(くら) 闇の闇
      夜は劫々と更けまする
      落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジアと
      ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

ドラマツルギーというほど大げさなものではなく
作者=詩人がドラマツルギーを意識していたかどうかも不明ですが
この詩がモノローグの要素を孕みながら
「見えるともない」空中ブランコを見ている観客の眼差しをもち
その観客を見渡している眼差しをももち
サーカス小屋の外の暗闇をも眺める現在の眼差しは
幾時代を経た後にやってきたものです。

詩(人)の眼差しは遍在し
壮大なスケールというほかにありません。

時間、空間ともにスケールが大きいのですが
スケールを大きくしている仕掛けの一つが
第3連、
幾時代かがありまして
  今夜此処での一(ひ)と殷盛(さか)り
    今夜此処での一と殷盛り
――の「一と殷盛り」です。

「此処での一と殷盛り」の中に
空中ブランコが見えるともなく見えるのです。

見えるともなく見える、というのは
明らかに実際にサーカスを見ているのではなく
過去の経験を基にした「幻想」の類(たぐい)です。

幻想ですから
スケールは大きくなります。
幻想に小さいものはありません。

にもかかわらず
いつしか今度は

頭倒(あたまさか)さに手を垂れ
汚れ木綿(もめん)の屋蓋(やね)
近くの白い灯(ひ)
観客様はみな鰯
咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)
――などとリアルなサーカス(小屋)の描写に転じ
転じたところで「ゆあーんゆよーん」と
もののみごとにブランコが揺れ
サーカス小屋が揺れ
観客が揺れ
詩人の心が揺れているようなオノマトペです。

この詩は最終連を「字下げ」にして
再びサーカス小屋の外の現実(リアル)にいる詩人が歌うのですが
そこは真っ暗な闇夜です。

サーカスの賑わいは微塵(みじん)もなく
ゆあーんゆよーんと
落下傘(のノスタルジー)が揺れ落ちています。

詩人がいるここは現実です。
見えているのは空中ブランコではなく落下傘で
この落下傘が茶色い戦争と遠く響き合います。

今回はここまで。

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2013年12月 6日 (金)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「サーカス」その2

(前回からつづく)

「月」に「胸に残った戦車の地音」
「サーカス」に「茶色い戦争」「落下傘奴」
「朝の歌」に「鄙びたる軍楽の憶い」
……と戦争が歌われています。

そうとなれば
「春の日の夕暮」に「馬嘶くか」や「荷馬車の車輪」とあり
「春の夜」に「夢の裡なる隊商」とあり
「臨終」に「黒馬の瞳のひかり」とあるのも
戦争の匂いがしないでもなくなってきますが
そのように拡大解釈しなくても
「月」「サーカス」「朝の歌」には戦争が影を落としています。
前面に出ていなかったとしても。

「サーカス」は「茶色い戦争」と
ズバリ「戦争」という言葉を「詩語」に使い
それをかつてあった戦争という意味で使い起こし
最後には目の前にある「ブランコ=落下傘=戦争」を暗示するかのように使います。

もちろん、戦争を文字通りに取ることもないのですが
戦争といったからには戦争で
戦争以外にない戦争のことです。
茶色であろうが黄色であろうが赤色であろうが
戦争は戦争です。

中原中也は
来し方(こしかた)を振り返って戦争に喩(たと)え
その来し方は現在に至って今夜の酒=一と殷盛りとなって
サーカスを幻想するのですが
幻想の中にまた戦争が顔を出すのです。

そういう詩です。

サーカス
 
幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
  冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
  今夜此処での一(ひ)と殷盛(さか)り
    今夜此処での一と殷盛り

サーカス小屋は高い梁(はり)
  そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒(あたまさか)さに手を垂れて
  汚れ木綿(もめん)の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯(ひ)が
  安値(やす)いリボンと息を吐(は)き

観客様はみな鰯(いわし)
  咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

      屋外は真ッ闇(くら) 闇の闇
      夜は劫々と更けまする
      落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジアと
      ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

「一と殷盛り」を
酒宴としなくてもいいでしょう。

深夜の思索が高揚し
盛り上がったハイになった状態を
「殷賑(いんしん)を極める」の「殷」から取って
「一と殷盛り(ひとさかり)」としたのです。

このひとさかりの幻想の戦争は
ゆあーんゆあーんと揺れるブランコに乗って現われ
サーカス小屋の中で
ゆあーんゆあーんと揺れ
観客も揺れて
小屋全体が揺れている状態です。

それが小屋の外へ
ゴーゴーと更ける真っ暗闇へと突破し
いつしか揺れるのは落下傘です。

落下傘のノスタルジーが揺れるのです
ゆあーんゆあーん、と。

幾時代かがありまして――と
ナレーションのようにはじまった詩が
最終連は「字下げ」の形になって
「夜は劫々と更けまする」と
再びナレーションに戻った恰好で終わります。

これはまるでランボーのドラマツルギーです。

今回はここまで。

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「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「サーカス」

(前回からつづく)

「サーカス」は「生活者」(昭和4年10月号)に発表されたときには
「無題」というタイトルでした。

「無題」はタイトルをつけていない未完成の作品ではなく
完成作です。

やがて「サーカス」と改題されたのは
「山羊の歌」収録のときでした。

「初期詩篇」では3番目にあり
かなり早い時期に作られたことが想像できますが
制作日時を断言できるものではなく
「山羊の歌」の編集方針にしたがって
詩集の冒頭部に配置されたことだけは確かなことです。

「春の日の夕暮」「月」「サーカス」……と並べたのは
どのような方針だったのでしょうか。
「未成熟」が意識されていたのでしょうか。

サーカス
 
幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
  冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
  今夜此処での一(ひ)と殷盛(さか)り
    今夜此処での一と殷盛り

サーカス小屋は高い梁(はり)
  そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒(あたまさか)さに手を垂れて
  汚れ木綿(もめん)の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯(ひ)が
  安値(やす)いリボンと息を吐(は)き

観客様はみな鰯(いわし)
  咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

      屋外は真ッ闇(くら) 闇の闇
      夜は劫々と更けまする
      落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジアと
      ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

一読して
行取り、連構成など自由な形ですし
内容もリアルとファンタジーが混ざり幻想的です。
ダダっぽさというよりシュールな感じがあり実験的です。

言葉の使い方に宮沢賢治や富永太郎らの影響もあることなどから
京都時代の制作であることも否定できませんが
ダダの影響をはなれ
新しい詩境を探っていた時期の作品であるならば
上京後の制作と考えるのが自然でしょう。

独創的なオノマトペ「ゆあーんゆよーん」
そのルフラン(繰り返し)
「幾時代かがありまして」のルフランもあります。

ソネットなどの定型を志向していない
起承転結の「単調さ」がない
夢か現(うつつ)か、どちらにも受け取れるシュールな映像
「一と殷盛り」「屋蓋(やね)」など高踏的な言語使用
「真ッ闇(くら) 闇の闇」などは宮沢賢治の影響といわれています。

「サーカス」「ブランコ」というカタカナ語の鮮やかさ
音(オノマトペ)と映像(ブランコ)の融合
色彩の統制
遠大な時間が「今」に流れ込む感覚
……

つぶさに見てみると
色々と「進取的先験的な」試みが行われています。
ほかにも幾つか数え上げることができるでしょう。

破綻があるわけではなく
くっきりとしたイメージが結ばれて
現実的でもあり幻想的でもある詩世界が広がっています。

「サーカス」は
詩人自らが好んで朗読し
近くにいた友人らに聞かせたり
ラジオの前の聴衆にも聞かせたりしたことで知られる詩です。

今回はここまで。

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2013年12月 4日 (水)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「朝の歌」その3

(前回からつづく)

「黄昏」につづき「朝の歌」を読んで
二つの詩の類似性に気づいた人は
少なくはないはずです。

その一つが「失う=うしなう」という言葉使いです。
「黄昏」で歌われた「失われたもの」が
「朝の歌」には「うしないし さまざまのゆめ」として現われました。

二つの詩は
その詩世界への入り口に
この「失う=うしなう」という言葉を置いているようです。

二つの詩の世界へ入るのに
「失う=うしなう」という言葉が目印になります。

もう一つの類似性は
第3連と第4連の間にある
時間や空間の「切断」とか「飛躍」とかです。

「黄昏」を思い出してみれば

なにが悲しいったってこれほど悲しいことはない
草の根の匂いが静かに鼻にくる、
畑の土が石といっしょに私を見ている。

――竟(つい)に私は耕やそうとは思わない!
じいっと茫然(ぼんやり)黄昏(たそがれ)の中に立って、
なんだか父親の映像が気になりだすと一歩二歩歩(あゆ)みだすばかりです

――という、この第3連と第4連の間のことです。

この「間」には
「時間の経過」や
「空間の移動」(または、その直前の静止)があります。

「朝の歌」では

森竝(もりなみ)は 風に鳴るかな
――と歌った後に
しばらくの時間があり、
その時間は停止していますが
やがて、
ひろごりて たいらかの空、
  土手づたい きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。
――と続いていきます。

ここにある「時間の経過」を読めば
「ひろごりて たいらかの空」は
「はなだ色らし」の空と異なる空であることに気づかされます。

寝床にあって「はなだ色らし」の空は
詩人が眼前に目撃している空(の色)ではなく
戸のすき間から洩れる光の具合を見てはなだ色「らしい」と感じた空ですが
「ひろごりて たいらかの空」は
微妙に変色した遅い朝の(昼過ぎの)生気を失った空(の色)で
詩人はこの空を実際に眺めたものかもしれません。

この「時間の経過」の中に思念は生まれ
目前に見える空に
故郷の空が混入してくるのです。

「黄昏」と「朝の歌」の
二つの詩のどちらが先に作られたかは確定できません。

どちらが先の制作であるかを知ることは重要なことですが
「山羊の歌」では
「朝の歌」が5番目
「黄昏」が9番目に置かれました。

どちらも「初期詩篇」22篇のうちの
前半部に配置されていますが
「朝の歌」が「黄昏」より前に置かれたというところに
詩人の意図があることは間違いありません。

どのような意図があったのでしょうか。

少年時
みちこ

羊の歌
――という明確な「テーマ性」で編集された「山羊の歌」の後半部に比べて
「初期詩篇」は「初期」という「時間軸」でまとめられたのですから
詩人の意図は見えてきません。

テーマ(性)そのものが詩人に見えていなかった時代の詩篇ということになりますが
テーマに沿って収斂(しゅうれん)し
深みを増していく詩群とは違って
多彩で多方向な詩篇が
味わい尽くされないままに蠢(うごめ)いているところが
「初期詩篇」の世界のようです。

「初期詩篇」の半数(11篇)が「生活者」発表です。
「初期詩篇」のまだ半分も読んでいません。

今回はここまで。

朝の歌
 
天井に 朱(あか)きいろいで
  戸の隙(すき)を 洩(も)れ入(い)る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽(ぐんがく)の憶(おも)い
  手にてなす なにごともなし。

小鳥らの うたはきこえず
  空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
  諫(いさ)めする なにものもなし。

樹脂の香(か)に 朝は悩まし
  うしないし さまざまのゆめ、
森竝(もりなみ)は 風に鳴るかな

ひろごりて たいらかの空、
  土手づたい きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。

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2013年12月 2日 (月)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「朝の歌」その2

(前回からつづく)

第3連
樹脂の香に 朝は悩まし
うしないしさまざまのゆめ

――の「樹脂の香」は
平成の現在でこそほとんど嗅ぐことのできなくなった
木造建築が発する「脂(やに)」の匂いで
第1連の「戸の隙(すき)を 洩(も)れ入(い)る光」の「戸」と同じように
昭和初期の庶民の家屋に当たり前の景色でした。

詩人が借りて住んでいた下宿に
脂の滲み出る柱があったものか
近くの新築中の現場の木材からの匂いか
いろいろと考えられます。

鼻を突く匂いは不快なものではなく
朦朧(もうろう)とした目覚めの時間に
小さな覚醒をうながす清涼なものでしたが
その樹脂の香に
詩人はうしなった夢を呼び覚まされるのでした。

朝は悩まし
――は、さりげなく置かれたようなフレーズですが
穏やかに流れていたこの詩の時間が
ここで「内的に」動き出します。

他人にとやかく言われるようなことの何もなかった時間が
樹脂の香が呼び水となって
詩人の心をもざわざわと揺らしはじめます。

森竝が風に鳴るのを聞くのですが
詩人はまだ寝床から起き出しません。

第4連になって初めて
詩人の「目」が
広々とした空を見るようですが
実際に空を見たものか……。

見たとすれば
時が経過し
詩人は寝床から起き出して
雨戸を開け放ち
東京の中野か杉並あたりの
昼過ぎの空へ連なっていく「土手」を目撃したということになります。

詩人が寝床から立ち上がり
雨戸を開け放って空を眺めやったとなると
朱の光の反映を天井に見ていたときから
しばしの時間が流れて
詩人は覚醒したことになります。

東京にも土手はありますから
起き抜けに見た土手の景色を歌っておかしくはないのですが
うしなわれた時を「悩まし」く振り返るのですから
第4連は詩人の思念の中にある風景であると取ったほうが自然でしょう。

眼前に土手を見たとしても
その土手を見ているうちに
故郷の土手がかぶさってきます。

失われたゆめを振り返る思念の中に
故郷山口の土手が入り込んできます。

「うしないしさまざまのゆめ」は
つい最近失ったものばかりでなく
幼時から現在にいたる長い時間を孕(はら)んでいて
森並を揺する風にいざない出されるのです。

いつしかそこに
故郷の土手が現われ
その土手を伝って
空へ消えて行ったあの夢この夢。

なんと美しかった夢の数々!

朝の歌
 
天井に 朱(あか)きいろいで
  戸の隙(すき)を 洩(も)れ入(い)る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽(ぐんがく)の憶(おも)い
  手にてなす なにごともなし。

小鳥らの うたはきこえず
  空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
  諫(いさ)めする なにものもなし。

樹脂の香(か)に 朝は悩まし
  うしないし さまざまのゆめ、
森竝(もりなみ)は 風に鳴るかな

ひろごりて たいらかの空、
  土手づたい きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。

今回はここまで。

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