きらきら「初期詩篇」の世界/「帰郷」その3
(前回からつづく)
「帰郷」第1連から第3連までの各連の後半行は
「字下げ」することによって
詩人の心境が吐露(とろ)されていることを示します。
蜘蛛の巣が心細そうに揺れるのを目撃し
路傍の草影は愁しみを漂わせていると感じ
年増婦の「たっぷり泣きなさい」と語るのを聞くのは詩人(の心)です。
◇
帰 郷
柱も庭も乾いている
今日は好い天気だ
椽(えん)の下では蜘蛛(くも)の巣が
心細そうに揺れている
山では枯木も息を吐(つ)く
ああ今日は好い天気だ
路傍(みちばた)の草影が
あどけない愁(かなし)みをする
これが私の故里(ふるさと)だ
さやかに風も吹いている
心置なく泣かれよと
年増婦(としま)の低い声もする
ああ おまえはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云う
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
なぜ、蜘蛛の巣が揺れるのが心細そうに見えたのでしょう
なぜ、路傍の草影は愁しみを漂わせていると感じ
なぜ、年増婦の「たっぷり泣きなさい」と語るのを聞いたのでしょう。
これらの一つ一つが
「私の故里」だからでしょう。
◇
であるのに、
これらの風景に触れた詩人に聞こえてくるのは
ああ おまえはなにをして来たのだと……
――という風、いや自らの声でした。
◇
まだ何もしていないじゃないか。
詩人は、では
まだ詩人としての業績を残していない自分を恥じ
自分を責めているのでしょうか?
そういうことは
もちろん言えることではありますが……。
◇
由緒ある先祖を持つ中原家の長男であるにもかかわらず
家督を継ぐことを放棄して家郷を去った詩人の卵が
いまだれっきとした名をあげず
錦を飾れないまま帰郷した――。
だから
ああ おまえはなにをして来たのだと……
――と自責の念に駆られて歌った。
そのような心境になかったとは言えませんが
この詩が歌っているのは
それとは少し異なる心境であることは
ああ おまえはなにをして来たのだと……
――という声が詩人自ら発したというほかに考えられないところに
表われていそうです。
詩人以外のだれが言ったものではなく
詩人自らがそう言った声として
この最終行を読むとき
もう少し違う思いが見えます。
◇
まだなにもしていない
ぼくの詩人としての活動ははじまったばかりだ
幼き日に遊んだときに見た縁の下のあの蜘蛛の巣は
あの時のままでああして巣をめぐらしているけれど……
山の道に茂っていた草々が
翳りを帯びて悲しそうだったのも昔と変わらないけれど……
思う存分泣きなさいと「おばば」は言うけれど……
昔のようにそうしてばかりもいられないのだよ
ぼくにはまだやらねばならないことがたくさんある
◇
第3連と最終連との間に
無限に近い時間が流れています。
遠い日は
いまそこにあるようだけれど
もはやないのです。
いちだんと「風の声」が大きくなる中で
詩人は歯を食いしばって立っています。
詩人に帰るところは
「詩」の中にしかないからです。
◇
今回はここまで。
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