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2013年12月 6日 (金)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「サーカス」その2

(前回からつづく)

「月」に「胸に残った戦車の地音」
「サーカス」に「茶色い戦争」「落下傘奴」
「朝の歌」に「鄙びたる軍楽の憶い」
……と戦争が歌われています。

そうとなれば
「春の日の夕暮」に「馬嘶くか」や「荷馬車の車輪」とあり
「春の夜」に「夢の裡なる隊商」とあり
「臨終」に「黒馬の瞳のひかり」とあるのも
戦争の匂いがしないでもなくなってきますが
そのように拡大解釈しなくても
「月」「サーカス」「朝の歌」には戦争が影を落としています。
前面に出ていなかったとしても。

「サーカス」は「茶色い戦争」と
ズバリ「戦争」という言葉を「詩語」に使い
それをかつてあった戦争という意味で使い起こし
最後には目の前にある「ブランコ=落下傘=戦争」を暗示するかのように使います。

もちろん、戦争を文字通りに取ることもないのですが
戦争といったからには戦争で
戦争以外にない戦争のことです。
茶色であろうが黄色であろうが赤色であろうが
戦争は戦争です。

中原中也は
来し方(こしかた)を振り返って戦争に喩(たと)え
その来し方は現在に至って今夜の酒=一と殷盛りとなって
サーカスを幻想するのですが
幻想の中にまた戦争が顔を出すのです。

そういう詩です。

サーカス
 
幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
  冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
  今夜此処での一(ひ)と殷盛(さか)り
    今夜此処での一と殷盛り

サーカス小屋は高い梁(はり)
  そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒(あたまさか)さに手を垂れて
  汚れ木綿(もめん)の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯(ひ)が
  安値(やす)いリボンと息を吐(は)き

観客様はみな鰯(いわし)
  咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

      屋外は真ッ闇(くら) 闇の闇
      夜は劫々と更けまする
      落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジアと
      ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

「一と殷盛り」を
酒宴としなくてもいいでしょう。

深夜の思索が高揚し
盛り上がったハイになった状態を
「殷賑(いんしん)を極める」の「殷」から取って
「一と殷盛り(ひとさかり)」としたのです。

このひとさかりの幻想の戦争は
ゆあーんゆあーんと揺れるブランコに乗って現われ
サーカス小屋の中で
ゆあーんゆあーんと揺れ
観客も揺れて
小屋全体が揺れている状態です。

それが小屋の外へ
ゴーゴーと更ける真っ暗闇へと突破し
いつしか揺れるのは落下傘です。

落下傘のノスタルジーが揺れるのです
ゆあーんゆあーん、と。

幾時代かがありまして――と
ナレーションのようにはじまった詩が
最終連は「字下げ」の形になって
「夜は劫々と更けまする」と
再びナレーションに戻った恰好で終わります。

これはまるでランボーのドラマツルギーです。

今回はここまで。

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