「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「サーカス」その3
(前回からつづく)
「幾時代かがありまして」とはじまり
「夜は劫々と更けまする」で閉じる
二つのナレーションの間に語られるドラマ――。
そのナレーションの眼差しには
幾分か道化(どうけ)の気分が混ざるのは
ドラマがサーカスであるからです。
ブランコは「見えるともない」ものですが
それを案内しながら演じるのは道化ですし
道化を演じるのは詩人です。
詩人はこの詩の作者でもあります。
◇
サーカス
幾時代かがありまして
茶色い戦争ありました
幾時代かがありまして
冬は疾風吹きました
幾時代かがありまして
今夜此処での一(ひ)と殷盛(さか)り
今夜此処での一と殷盛り
サーカス小屋は高い梁(はり)
そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ
頭倒(あたまさか)さに手を垂れて
汚れ木綿(もめん)の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
それの近くの白い灯(ひ)が
安値(やす)いリボンと息を吐(は)き
観客様はみな鰯(いわし)
咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
屋外は真ッ闇(くら) 闇の闇
夜は劫々と更けまする
落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん
◇
ドラマツルギーというほど大げさなものではなく
作者=詩人がドラマツルギーを意識していたかどうかも不明ですが
この詩がモノローグの要素を孕みながら
「見えるともない」空中ブランコを見ている観客の眼差しをもち
その観客を見渡している眼差しをももち
サーカス小屋の外の暗闇をも眺める現在の眼差しは
幾時代を経た後にやってきたものです。
詩(人)の眼差しは遍在し
壮大なスケールというほかにありません。
◇
時間、空間ともにスケールが大きいのですが
スケールを大きくしている仕掛けの一つが
第3連、
幾時代かがありまして
今夜此処での一(ひ)と殷盛(さか)り
今夜此処での一と殷盛り
――の「一と殷盛り」です。
「此処での一と殷盛り」の中に
空中ブランコが見えるともなく見えるのです。
見えるともなく見える、というのは
明らかに実際にサーカスを見ているのではなく
過去の経験を基にした「幻想」の類(たぐい)です。
幻想ですから
スケールは大きくなります。
幻想に小さいものはありません。
◇
にもかかわらず
いつしか今度は
頭倒(あたまさか)さに手を垂れ
汚れ木綿(もめん)の屋蓋(やね)
近くの白い灯(ひ)
観客様はみな鰯
咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)
――などとリアルなサーカス(小屋)の描写に転じ
転じたところで「ゆあーんゆよーん」と
もののみごとにブランコが揺れ
サーカス小屋が揺れ
観客が揺れ
詩人の心が揺れているようなオノマトペです。
◇
この詩は最終連を「字下げ」にして
再びサーカス小屋の外の現実(リアル)にいる詩人が歌うのですが
そこは真っ暗な闇夜です。
サーカスの賑わいは微塵(みじん)もなく
ゆあーんゆよーんと
落下傘(のノスタルジー)が揺れ落ちています。
詩人がいるここは現実です。
見えているのは空中ブランコではなく落下傘で
この落下傘が茶色い戦争と遠く響き合います。
◇
今回はここまで。
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