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2013年12月 7日 (土)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「サーカス」その3

(前回からつづく)

「幾時代かがありまして」とはじまり
「夜は劫々と更けまする」で閉じる
二つのナレーションの間に語られるドラマ――。

そのナレーションの眼差しには
幾分か道化(どうけ)の気分が混ざるのは
ドラマがサーカスであるからです。

ブランコは「見えるともない」ものですが
それを案内しながら演じるのは道化ですし
道化を演じるのは詩人です。
詩人はこの詩の作者でもあります。

サーカス
 
幾時代かがありまして
  茶色い戦争ありました

幾時代かがありまして
  冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
  今夜此処での一(ひ)と殷盛(さか)り
    今夜此処での一と殷盛り

サーカス小屋は高い梁(はり)
  そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒(あたまさか)さに手を垂れて
  汚れ木綿(もめん)の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯(ひ)が
  安値(やす)いリボンと息を吐(は)き

観客様はみな鰯(いわし)
  咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

      屋外は真ッ闇(くら) 闇の闇
      夜は劫々と更けまする
      落下傘奴(らっかがさめ)のノスタルジアと
      ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

ドラマツルギーというほど大げさなものではなく
作者=詩人がドラマツルギーを意識していたかどうかも不明ですが
この詩がモノローグの要素を孕みながら
「見えるともない」空中ブランコを見ている観客の眼差しをもち
その観客を見渡している眼差しをももち
サーカス小屋の外の暗闇をも眺める現在の眼差しは
幾時代を経た後にやってきたものです。

詩(人)の眼差しは遍在し
壮大なスケールというほかにありません。

時間、空間ともにスケールが大きいのですが
スケールを大きくしている仕掛けの一つが
第3連、
幾時代かがありまして
  今夜此処での一(ひ)と殷盛(さか)り
    今夜此処での一と殷盛り
――の「一と殷盛り」です。

「此処での一と殷盛り」の中に
空中ブランコが見えるともなく見えるのです。

見えるともなく見える、というのは
明らかに実際にサーカスを見ているのではなく
過去の経験を基にした「幻想」の類(たぐい)です。

幻想ですから
スケールは大きくなります。
幻想に小さいものはありません。

にもかかわらず
いつしか今度は

頭倒(あたまさか)さに手を垂れ
汚れ木綿(もめん)の屋蓋(やね)
近くの白い灯(ひ)
観客様はみな鰯
咽喉(のんど)が鳴ります牡蠣殻(かきがら)
――などとリアルなサーカス(小屋)の描写に転じ
転じたところで「ゆあーんゆよーん」と
もののみごとにブランコが揺れ
サーカス小屋が揺れ
観客が揺れ
詩人の心が揺れているようなオノマトペです。

この詩は最終連を「字下げ」にして
再びサーカス小屋の外の現実(リアル)にいる詩人が歌うのですが
そこは真っ暗な闇夜です。

サーカスの賑わいは微塵(みじん)もなく
ゆあーんゆよーんと
落下傘(のノスタルジー)が揺れ落ちています。

詩人がいるここは現実です。
見えているのは空中ブランコではなく落下傘で
この落下傘が茶色い戦争と遠く響き合います。

今回はここまで。

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