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2013年12月 2日 (月)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「朝の歌」その2

(前回からつづく)

第3連
樹脂の香に 朝は悩まし
うしないしさまざまのゆめ

――の「樹脂の香」は
平成の現在でこそほとんど嗅ぐことのできなくなった
木造建築が発する「脂(やに)」の匂いで
第1連の「戸の隙(すき)を 洩(も)れ入(い)る光」の「戸」と同じように
昭和初期の庶民の家屋に当たり前の景色でした。

詩人が借りて住んでいた下宿に
脂の滲み出る柱があったものか
近くの新築中の現場の木材からの匂いか
いろいろと考えられます。

鼻を突く匂いは不快なものではなく
朦朧(もうろう)とした目覚めの時間に
小さな覚醒をうながす清涼なものでしたが
その樹脂の香に
詩人はうしなった夢を呼び覚まされるのでした。

朝は悩まし
――は、さりげなく置かれたようなフレーズですが
穏やかに流れていたこの詩の時間が
ここで「内的に」動き出します。

他人にとやかく言われるようなことの何もなかった時間が
樹脂の香が呼び水となって
詩人の心をもざわざわと揺らしはじめます。

森竝が風に鳴るのを聞くのですが
詩人はまだ寝床から起き出しません。

第4連になって初めて
詩人の「目」が
広々とした空を見るようですが
実際に空を見たものか……。

見たとすれば
時が経過し
詩人は寝床から起き出して
雨戸を開け放ち
東京の中野か杉並あたりの
昼過ぎの空へ連なっていく「土手」を目撃したということになります。

詩人が寝床から立ち上がり
雨戸を開け放って空を眺めやったとなると
朱の光の反映を天井に見ていたときから
しばしの時間が流れて
詩人は覚醒したことになります。

東京にも土手はありますから
起き抜けに見た土手の景色を歌っておかしくはないのですが
うしなわれた時を「悩まし」く振り返るのですから
第4連は詩人の思念の中にある風景であると取ったほうが自然でしょう。

眼前に土手を見たとしても
その土手を見ているうちに
故郷の土手がかぶさってきます。

失われたゆめを振り返る思念の中に
故郷山口の土手が入り込んできます。

「うしないしさまざまのゆめ」は
つい最近失ったものばかりでなく
幼時から現在にいたる長い時間を孕(はら)んでいて
森並を揺する風にいざない出されるのです。

いつしかそこに
故郷の土手が現われ
その土手を伝って
空へ消えて行ったあの夢この夢。

なんと美しかった夢の数々!

朝の歌
 
天井に 朱(あか)きいろいで
  戸の隙(すき)を 洩(も)れ入(い)る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽(ぐんがく)の憶(おも)い
  手にてなす なにごともなし。

小鳥らの うたはきこえず
  空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
  諫(いさ)めする なにものもなし。

樹脂の香(か)に 朝は悩まし
  うしないし さまざまのゆめ、
森竝(もりなみ)は 風に鳴るかな

ひろごりて たいらかの空、
  土手づたい きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。

今回はここまで。

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