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2013年12月16日 (月)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「港市の秋」その2

(前回からつづく)

「山羊の歌」の中の「横浜もの」は
「臨終」
「秋の一日」
「港市の秋」
――の3作品です。

「都会の夏の夜」(初期詩篇)や
「冬の雨の夜」(初期詩篇)や
「わが喫煙」(少年時)なども
横浜っぽいイメージが描写されていますから
「横浜もの」に入れておかしくはないのですが
積み重ねられた研究では
そうとはみなされていません。

「臨終」は
なじみの娼婦の死を悼んだ作品(大岡昇平)といわれ
彼女の死の「行く末」を思い
自らの魂(死)の行方を案じる詩人のこころが歌われます。

「秋の一日」は
「港市の秋」と同じく秋の朝を歌い
場所が異なる風景を歩きながら
その風景との距離を感じる詩人が
詩(の「切れ屑」)を探す決意を述べる詩です。

詩人が港町の風景を眺める眼差しは
嫌悪や侮蔑といったものではなく
かといって愛情あふれるものでもなく
「いまひとつ」なじめないものなのです。

にもかかわらず詩語は
その風景から拾います。

「港市の秋」には
「秋の一日」にある晦渋さや
高踏的な言葉使いは後退しています。

会話が挿(はさ)まれるのは「秋の一日」と同じですが
平易な詩語に満ちているのは
制作が後だからでしょうか。

港町への懸隔感(けんかくかん)は
いっそう明確になり
「大人しすぎる町」に
詩人の座る椅子はありません。

椅子がないことに
詩人は気づいてしまったのです。

港市の秋
 
石崖に、朝陽が射して
秋空は美しいかぎり。
むこうに見える港は、
蝸牛(かたつむり)の角(つの)でもあるのか

町では人々煙管(キセル)の掃除。
甍(いらか)は伸びをし
空は割れる。
役人の休み日――どてら姿だ。

『今度生れたら……』
海員が唄う。
『ぎーこたん、ばったりしょ……』
狸婆々(たぬきばば)がうたう。

  港(みなと)の市(まち)の秋の日は、
  大人しい発狂。
  私はその日人生に、
  椅子を失くした。

今回はここまで。

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