「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「春の思い出」
(前回からつづく)
詩の結末部が
現実のものでないような
夢や幻のような幻想的な(ファンタジックな)
あるいは「超現実的な(シュール)もの」に作られている――。
その系譜にあるのが
「春の思い出」です。
この詩も「生活者」の
昭和4年10月号に発表されました。
◇
春の思い出
摘み溜(た)めしれんげの華を
夕餉(ゆうげ)に帰る時刻となれば
立迷う春の暮靄(ぼあい)の
土の上(へ)に叩きつけ
いまひとたびは未練で眺め
さりげなく手を拍きつつ
路の上(へ)を走りてくれば
(暮れのこる空よ!)
わが家(や)へと入りてみれば
なごやかにうちまじりつつ
秋の日の夕陽の丘か炊煙(すいえん)か
われを暈(くる)めかすもののあり
古き代(よ)の富みし館(やかた)の
カドリール ゆらゆるスカーツ
カドリール ゆらゆるスカーツ
何時(いつ)の日か絶(た)えんとはする カドリール!
◇
最終連は
第3連を受けているのですが
「わが家」はかつて富み栄えた時代の屋敷のような空間(館)に変じ
そこで催された舞踏会のシーンが呼び出されます。
◇
これは少年の日の思い出なのでしょう。
れんげの花の満開の季節。
紫紅色のはなびら一面の野原で遊んだ合間に摘み取った花束を
いざ帰る段になってはうとましくなって
道端に打ち捨てたあの時。
手の中にしおれはじめた花茎があわれで
あたりは暮れて靄(もや)っている土の上へ
せっかく採集した花の束を「叩きつけ」ました。
◇
第2連、
いまひとたびは未練で眺め
さりげなく手を拍きつつ
路の上(へ)を走りてくれば
(暮れのこる空よ!)
――は読みどころです。
土の上に叩きつけた花束を見て
少年は可哀想と感じつつ
その感傷を打ち消すように手払いし
家路へと走り去ったのでした。
◇
わが家へと帰り着いた少年は
和やかに家族親族うちまじり
「秋」の夕日の丘かご馳走を作るかまどの匂いか
めまいのしそうな「幸福」を見るのです。
◇
いつしかわが家は「古き代の富みし館」となり
そこで踊る老若男女
スカートがひるがえります
カドリールに興じる幸福なとき
ゆらゆらゆれるスカートが回りますが……
めくるめく「幸福」もいつかはなくなってしまう!
絶頂に際して
少年はそのはかなさを思いはじめるのでした。
この「幸福」は
「秋」でなければならないかのように歌われます。
◇
意味を追えばこうなりますが
第4連を「字下げ」としたのは
「サーカス」と同じであり
ここに「地」の詩人=作者がいます。
この部分が
ファンタジーのように仕立てられたのです。
◇
今回はここまで。
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