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2013年12月13日 (金)

「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「秋の夜空」その3

(前回からつづく)

秋の夜空に巨大スクリーンが浮かび出て
高貴な家柄の夫人たちが立食パティーに興じている
金色の灯りもまばゆく賑やかに……。

おやまあなんとおにぎわしいことと
思わず呟きのひとことも洩れ出る夜の宴。

やがて時は流れ
宴は遠い昔の影祭りへと変色し
人語も聞こえない遠景へ後退します……。

ほんのりあかるいだけの
静かな賑わしさに変わっています。

夜空の星々を夫人に見立てた擬人法の詩だなどと
理屈っぽいことを言わないでも
あり得ない「夜空の宴」がくっきりと鮮やかに見えます。

上天界の宴の中に入り(近景でとらえ)
ぐるりと一周し(眺め回し)
下界から見上げる(遠景)

何度も読んでいるうちに
次第にピントが合ってくる映像詩――。

近景から遠景への視点移動が逆であったら
もう少し分かりやすかったかもしれませんが
説明(描写)の順序をひっくりかえしたところに効果はあります。

行末の不統一も
それほど「へんてこりん」とは思えなくなってくる
不思議な魅力のある詩です。

おにぎわしい=形容詞、現在形
いう=動詞、現在形
みやびさよ=名詞+感嘆詞
夫人たち=名詞(体言止め)
にぎわしさ=名詞
点いている=動詞、現在形
裳裾=名詞
です=助動詞現在形(ですます調)
あかるさよ=名詞+感嘆詞
上天界=名詞
影祭=名詞
賑わしさ=名詞
宴=名詞
退散した=動詞、過去形

この程度なら
ダダの「ハチャメチャ」を遠く離れています。

秋の夜空に
ファンタジックな映像が見えるだけで
いいのです。

そういう詩を
遊んだのでしょうから。

こんな詩の中に
あえて詩人を探そうとすれば
「字下げ」された行、

    下界(げかい)は秋の夜(よ)というに(第1連、第2連)
    私は下界で見ていたが(第3連)

――や、

それでもつれぬみやびさよ
椅子(いす)は一つもないのです。
知らないあいだに退散した。

――という「行」などに存在するのかもしれません。

そう読まないで
詩(人)の遊びを味わうのがよいのかもしれません。

秋の夜空
 
これはまあ、おにぎわしい、
みんなてんでなことをいう
それでもつれぬみやびさよ
いずれ揃(そろ)って夫人たち。
    下界(げかい)は秋の夜(よ)というに
上天界(じょうてんかい)のにぎわしさ。

すべすべしている床の上、
金のカンテラ点(つ)いている。
小さな頭、長い裳裾(すそ)、
椅子(いす)は一つもないのです。
    下界は秋の夜というに
上天界のあかるさよ。

ほんのりあかるい上天界
遐(とお)き昔の影祭(かげまつり)、
しずかなしずかな賑(にぎ)わしさ
上天界の夜の宴。
    私は下界で見ていたが、
知らないあいだに退散した。

今回はここまで。

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