「生活者」から「山羊の歌・初期詩篇」へ・「秋の夜空」その3
(前回からつづく)
秋の夜空に巨大スクリーンが浮かび出て
高貴な家柄の夫人たちが立食パティーに興じている
金色の灯りもまばゆく賑やかに……。
おやまあなんとおにぎわしいことと
思わず呟きのひとことも洩れ出る夜の宴。
やがて時は流れ
宴は遠い昔の影祭りへと変色し
人語も聞こえない遠景へ後退します……。
ほんのりあかるいだけの
静かな賑わしさに変わっています。
◇
夜空の星々を夫人に見立てた擬人法の詩だなどと
理屈っぽいことを言わないでも
あり得ない「夜空の宴」がくっきりと鮮やかに見えます。
上天界の宴の中に入り(近景でとらえ)
ぐるりと一周し(眺め回し)
下界から見上げる(遠景)
何度も読んでいるうちに
次第にピントが合ってくる映像詩――。
◇
近景から遠景への視点移動が逆であったら
もう少し分かりやすかったかもしれませんが
説明(描写)の順序をひっくりかえしたところに効果はあります。
◇
行末の不統一も
それほど「へんてこりん」とは思えなくなってくる
不思議な魅力のある詩です。
おにぎわしい=形容詞、現在形
いう=動詞、現在形
みやびさよ=名詞+感嘆詞
夫人たち=名詞(体言止め)
にぎわしさ=名詞
点いている=動詞、現在形
裳裾=名詞
です=助動詞現在形(ですます調)
あかるさよ=名詞+感嘆詞
上天界=名詞
影祭=名詞
賑わしさ=名詞
宴=名詞
退散した=動詞、過去形
この程度なら
ダダの「ハチャメチャ」を遠く離れています。
◇
秋の夜空に
ファンタジックな映像が見えるだけで
いいのです。
そういう詩を
遊んだのでしょうから。
◇
こんな詩の中に
あえて詩人を探そうとすれば
「字下げ」された行、
下界(げかい)は秋の夜(よ)というに(第1連、第2連)
私は下界で見ていたが(第3連)
――や、
それでもつれぬみやびさよ
椅子(いす)は一つもないのです。
知らないあいだに退散した。
――という「行」などに存在するのかもしれません。
そう読まないで
詩(人)の遊びを味わうのがよいのかもしれません。
◇
秋の夜空
これはまあ、おにぎわしい、
みんなてんでなことをいう
それでもつれぬみやびさよ
いずれ揃(そろ)って夫人たち。
下界(げかい)は秋の夜(よ)というに
上天界(じょうてんかい)のにぎわしさ。
すべすべしている床の上、
金のカンテラ点(つ)いている。
小さな頭、長い裳裾(すそ)、
椅子(いす)は一つもないのです。
下界は秋の夜というに
上天界のあかるさよ。
ほんのりあかるい上天界
遐(とお)き昔の影祭(かげまつり)、
しずかなしずかな賑(にぎ)わしさ
上天界の夜の宴。
私は下界で見ていたが、
知らないあいだに退散した。
◇
今回はここまで。
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