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2014年1月

2014年1月31日 (金)

「盲目の秋」の無限/ギロギロする目「その後」

(前回からつづく)

「少年時」で少年が見た「世の亡ぶ兆し」のようなものとは
「死」の世界なのではなく
その予兆でしたから
青黒い石に夏の日が照りつけ
赤い地面が眠っている静寂であると同時に
地平の果てに蒸気が立つ「生」の奔流でした。

麦田を風が打ちつけ
その面に落ちた雲の影は
さながら古代伝説の巨人。

「生」の奔流から湧き起こり
または奔流に向かうかの生き物(雲の影)のように見えたのです。

昼過ぎに広い野原を行く雲の影を
中也少年は実際に見たのでしょう。

死と隣り合わせの生――。

見てはいけない「この世の深淵」を
ひとりぼっちの少年はその目で見ました。

ゾクゾクとこみ上げてくる興奮。

宝島を見つけてしまったような……。

「少年時」の次に配置された「盲目の秋」は
第1節(Ⅰ)で「少年時」と連続するような時間を歌います。

盲目の秋
 
   Ⅰ

風が立ち、浪(なみ)が騒ぎ、
  無限の前に腕を振る。

その間(かん)、小さな紅(くれない)の花が見えはするが、
  それもやがては潰(つぶ)れてしまう。

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまえに腕を振る。

もう永遠に帰らないことを思って
  酷薄(こくはく)な嘆息(たんそく)するのも幾(いく)たびであろう……

私の青春はもはや堅い血管となり、
  その中を曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽とがゆきすぎる。

それはしずかで、きらびやかで、なみなみと湛(たた)え、
  去りゆく女が最後にくれる笑(えま)いのように、

厳(おごそ)かで、ゆたかで、それでいて佗(わび)しく
  異様で、温かで、きらめいて胸に残る……

      ああ、胸に残る……
風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまえに腕を振る。

   Ⅱ

これがどうなろうと、あれがどうなろうと、
そんなことはどうでもいいのだ。

これがどういうことであろうと、それがどういうことであろうと、
そんなことはなおさらどうだっていいのだ。

人には自恃(じじ)があればよい!
その余はすべてなるままだ……

自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、
ただそれだけが人の行(おこな)いを罪としない。

平気で、陽気で、藁束(わらたば)のようにしんみりと、
朝霧を煮釜に塡(つ)めて、跳起(とびお)きられればよい!

   Ⅲ

私の聖母(サンタ・マリヤ)!
  とにかく私は血を吐いた! ……
おまえが情けをうけてくれないので、
  とにかく私はまいってしまった……

それというのも私が素直(すなお)でなかったからでもあるが、
  それというのも私に意気地(いくじ)がなかったからでもあるが、
私がおまえを愛することがごく自然だったので、
  おまえもわたしを愛していたのだが……

おお! 私の聖母(サンタ・マリヤ)!
  いまさらどうしようもないことではあるが、
せめてこれだけ知るがいい――

ごく自然に、だが自然に愛せるということは、
  そんなにたびたびあることでなく、
そしてこのことを知ることが、そう誰にでも許されてはいないのだ。

   Ⅳ

せめて死の時には、
あの女が私の上に胸を披(ひら)いてくれるでしょうか。
  その時は白粧(おしろい)をつけていてはいや、
  その時は白粧をつけていてはいや。

ただ静かにその胸を披いて、
私の眼に副射(ふくしゃ)していて下さい。
  何にも考えてくれてはいや、
  たとえ私のために考えてくれるのでもいや。

ただはららかにはららかに涙を含み、
あたたかく息づいていて下さい。
――もしも涙がながれてきたら、
いきなり私の上にうつ俯(ぶ)して、
それで私を殺してしまってもいい。
すれば私は心地よく、うねうねの暝土(よみじ)の径(みち)を昇りゆく。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

第2節(Ⅱ)以下では
あたかも別世界が開けるかのようで
戸惑わずにいられません。

今回はここまで。

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2014年1月30日 (木)

ギロギロする目が見た/「少年時」その4

(前回からつづく)

「少年時」はよく読むと
前半が2行×4連
後半が3行×2連
――という作りになっています。

2行4連の前半部を情景描写というなら
6行2連の後半部は心情描写(叙情)ということになりますか。

少年は
世の亡ぶ兆しのような夏の日の中にいます。

前半部のこの情景が
ランボーの「少年時」から脱け出てきた少年に重なりますが
「昔の巨人」は
西欧の巨人伝説に日本の「でいらぼっち伝説」がかぶさって
グレーゾーンを作りながら
後半部の中也少年の世界へと入ります。

後半部の「夏の午過ぎ時刻」は
「誰彼の午睡(ひるね)」の措辞(そじ)によって
突如、あそこの誰さん向うの誰さんといかにも近親の具体的個人が昼寝をする時間が
想念に現われたかのような展開をみせて
中也少年の世界を露(あら)わにするのです。

詩人はそれを
隠そうとしません。

ここは意識的な言葉選びです。

少年時

黝(あおぐろ)い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡(ねむ)っていた。

地平の果(はて)に蒸気が立って、
世の亡ぶ、兆(きざし)のようだった。

麦田(むぎた)には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だった。

翔(と)びゆく雲の落とす影のように、
田の面(も)を過ぎる、昔の巨人の姿――

夏の日の午過(ひるす)ぎ時刻
誰彼(だれかれ)の午睡(ひるね)するとき、
私は野原を走って行った……

私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦(あきら)めていた……
噫(ああ)、生きていた、私は生きていた!

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「誰彼」には
特定の個人のイメージがあったことを想像させます。

そのイメージは「幅」があり
肉親、家族、家人、友人、知人……
果ては、恋人(泰子)も含まれていてもおかしくありません。

「少年時」の「少年」は
つい最近の過去を含む「青春」のすべての時間を指しますから。

野原を走って行ったのは
詩=宝島を見つけた「少年」でした。

その少年は
「世の亡ぶ兆し」を見た少年でした。

世界とともにこの自分も亡びてしまう――。

その空しさを見たとき
その永遠も少年は見ました。
その無限も見ました。

死の深淵を飛び越えて
大いなる雲が飛んでいく。

少年は
真理でも発見したかのような興奮を抑えられません。

宝島!

どうにかして
それを伝えたい。

ぼやっとしていると
それはどこかに消えてしまう。

いても立ってもいられない。

午睡するときではない。

希望は確かに存在する。
確かに存在するけれど
その正体をしかと捕まえたものではありません。
唇にしっかりと噛みしめておかないことには
消えてしまいかねません。

希望を噛みつぶし
ギロギロする目で
諦めていた……のです。

生きていた!のです。

後半2連に
少年であり詩人である「私」が4回登場し、
「……」の行末が
「!」の行末で結ばれる末尾を味わいたい詩です。

今回はここまで。

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2014年1月28日 (火)

ギロギロする目が見た/「少年時」その3

(前回からつづく)

「少年時」の初稿は
昭和2年、3年ごろの制作と推定されています。

それが「山羊の歌」の編集時(昭和7年)に推敲されました。
(第1次形態)

中也の昭和2年の日記には
ランボーへの言及がしばしば見られたり
昭和3年に大岡昇平とやっていた「学習会」では
ランボーの「少年時Enfance」を共訳しかけたことを大岡が証言していたりと
富永太郎に吹き込まれた京都時代以降のランボーへの取り組みは
この頃ますます盛んになっていました。

「少年時」は
昭和8年(1933年)7月20日発行の「四季」にも発表されます。

少年時

黝(あおぐろ)い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡(ねむ)っていた。

地平の果(はて)に蒸気が立って、
世の亡ぶ、兆(きざし)のようだった。

麦田(むぎた)には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だった。

翔(と)びゆく雲の落とす影のように、
田の面(も)を過ぎる、昔の巨人の姿――

夏の日の午過(ひるす)ぎ時刻
誰彼(だれかれ)の午睡(ひるね)するとき、
私は野原を走って行った……

私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦(あきら)めていた……
噫(ああ)、生きていた、私は生きていた!

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

地平の果(はて)に蒸気が立って、
世の亡ぶ、兆(きざし)のようだった。

――という第2連などは
ランボーの「少年時」とクロスするところですが
中也の「少年時」は
やはり「中也の少年体験」です。

中也少年は
夏の昼下がり
一人野原を走って行ったのです。

世の亡ぶ兆のような「景色」を見たのですから。

午睡している時ではありませんでした。

麦の田を風は打ちつけ
おぼろで灰色の面。

その面を
巨大な雲の影が落ちている。

空を
伝説の巨人が飛んで行ったのか――。

目を疑うばかりの「景色」ですが
少年はその「景色」の向うに
何かほかのものをも同時に見たのです。

恐ろしいばかりではない何かを。

今回はここまで。

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2014年1月27日 (月)

ギロギロする目が見た/「少年時」その2

(前回からつづく)

「少年時」は
「山羊の歌」の第2章にあたる「章」の題であると同時に
第2章の冒頭詩です。

「山羊の歌」は
「少年時」以下の章は
すべて章題と同じタイトルの詩をその章の冒頭詩とするつくりになっています。

第3章にあたる「みちこ」
第4章にあたる「秋」
第5章にあたる「羊の歌」
――のそれぞれの章の冒頭詩が章題と同じタイトルの詩になっているのです。

「初期詩篇」22篇
「少年時」9篇
「みちこ」5篇
「秋」5篇
「羊の歌」3篇
――という構成を見ても
合計44篇の詩を「初期詩篇」で半分
「初期詩篇」以外で半分ときっかり2分しているのは
いわば「歌った詩(=叙情)の配分」へのこだわりです。

それまで歌った詩への
過不足のない愛着の表明です。

「数的構成」へのこだわりは
詩集そのものへのこだわりです。

こんなところにも
中也の「山羊の歌」への情熱のかけらがあります。

「黝(あおぐろ)い石」は
庭石のことでしょうか
それとも河原や野の道の石のことでしょうか。

かつての少年は生地の自然の「原風景」を
思い切りよく詩の言葉にします。

「少年時」は
上京後の「鬱積(うっせき)」をあるいは「蓄積」を
一気に吐き出すかのような激しさを歌いはじめます。

それは京都で歌った「春の日の夕暮」にも
上京後、ようやく他者から認められた「朝の歌」にもない
原初の激しさです。

それは
かつて詩人の中にあったものでした。

それは
少年がこの世の中に「宝島」を見つけたときの興奮でした。

少年時

黝(あおぐろ)い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡(ねむ)っていた。

地平の果(はて)に蒸気が立って、
世の亡ぶ、兆(きざし)のようだった。

麦田(むぎた)には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だった。
 
翔(と)びゆく雲の落とす影のように、
田の面(も)を過ぎる、昔の巨人の姿――

夏の日の午過(ひるす)ぎ時刻
誰彼(だれかれ)の午睡(ひるね)するとき、
私は野原を走って行った……

私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦(あきら)めていた……
噫(ああ)、生きていた、私は生きていた!

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

今回はここまで。

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2014年1月26日 (日)

ギロギロする目が見た/「少年時」

(前回からつづく)

「朝の歌」が小林秀雄に好感をもたれたのをはじめ
周辺を越えてもじわじわと評価されていき
中原中也は詩人として立つ決意を新たにします。

方針は立ったが、たった十四行書くために、こんなに手数がかかるのではとガッカリす。
――と「詩的履歴書」に書いたのはこのあたりのことなのですが
「ガッカリす」は
詩作が手間ひまかかるのに「割りに合わない」とでも言いたげで
そちらのほうに重心がかかっていて
詩作の大変さとともに
生計を立てる困難さが告白されているものと理解されても仕方がありません。

そう受け取るのは自然で
上京してから「朝の歌」を作るまでに
詩人が費やした苦闘のあしどりは
半端なものではありませんでした。

それが少しは報われる思いをしたのに
ガッカリだったと記録したのですが
この記述にはどこかはぐらかされた感じがしてしまいます。

それはなぜでしょうか?

その答えを見出すのは
簡単なことではありませんが
「宿酔」が「朝の歌」と同じ場面を歌いながらも
口語会話体をあえて駆使したり
「初期詩篇」の締めくくりに新作されたりという意図の中に
明白に表れていることです。

「朝の歌」以後に配置された「初期詩篇」の幾つかにも
その答えを見出すことはできることでしょう。

そして「山羊の歌」第2章「少年時」は
そのことをさらに強力な証として読むことができる詩群です。

そこには「朝の歌」の境地から
遥か遠い地平が開けています。

少年時

黝(あおぐろ)い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡(ねむ)っていた。

地平の果(はて)に蒸気が立って、
世の亡ぶ、兆(きざし)のようだった。

麦田(むぎた)には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だった。

 
翔(と)びゆく雲の落とす影のように、
田の面(も)を過ぎる、昔の巨人の姿――

夏の日の午過(ひるす)ぎ時刻
誰彼(だれかれ)の午睡(ひるね)するとき、
私は野原を走って行った……

私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦(あきら)めていた……
噫(ああ)、生きていた、私は生きていた!

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

今回はここまで。

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2014年1月21日 (火)

きらきら「初期詩篇」の世界/「宿酔」その4

(前回からつづく)

「朝の歌」の喪失感や倦怠感と同じようなものが
「宿酔」にも流れていることは確かですが
同じような場面を歌って
孤独感・疎外感がくっきりしたのは「宿酔」のほうで
「椅子を失くした」と歌った「港市の秋」に近くなっています。

「朝の歌」は「文語ソネット」
「宿酔」は「口語2部形式」というのも決定的な違いです。

「宿酔」も定型への意識は崩していないものの
「照っていて」としないで「照ってて」とし
(「バスケットボールをする」としないで「バスケットボールする」とし)
行儀正しい言葉を排して会話体を選びましたし
「風がある」とぶっきらぼうなほどシンプルに仕立てたところなどに
「朝の歌」から離れようとする意志が感じられます。

宿 酔

朝、鈍(にぶ)い日が照ってて
  風がある。
千の天使が
  バスケットボールする。

私は目をつむる、
  かなしい酔いだ。
もう不用になったストーヴが
  白っぽく銹(さ)びている。

朝、鈍い日が照ってて
  風がある。
千の天使が
  バスケットボールする。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「宿酔」というタイトルも
「しゅくすい」と音読みにするよりは
「ふつかよい」と日常使われている「音(おん)」で読ませたいはずですし
「ふつかよい」の方が
若々しく強く俗っぽいし
……

「初期詩篇」が
「春の思い出」
「秋の夜空」
「宿酔」の3作品で閉じられた意図も浮かび上がってきます。

「宿酔」は
「山羊の歌」の全ての詩の中で
「羊の歌」と「いのちの声」とともに
草稿と初出誌がない作品です。
(「新全集」詩Ⅰ・解題篇)

3作品は、この詩集が編まれる中で作られたことを示すものです。

「初期詩篇」の掉尾(とうび)を飾る作品として
「宿酔」が制作され配置されたということは
「羊の歌」「いのちの声」が
「山羊の歌」の最終詩として制作され配置されたことと
パラレルな位置にある(意味がある)ということになります。

詩人は後年(1936年、昭和11年)、「我が詩観」を書き
創作履歴「詩的履歴書」を添えています。

中に「朝の歌」について書いた一節があり、

大正十五年五月、「朝の歌」を書く。七月頃小林に見せる。それが東京に来て詩を人に見せる最
初。つまり「朝の歌」にてほぼ方針立つ。方針は立ったが、たった十四行書くために、こんなに手数
がかかるのではとガッカリす。

――と記しているのはよく知られたことです。

「山羊の歌」の編集時点から4年を経過しているときの記述ですが
この記述に「朝の歌」への評価への違和感が表明されていると感じられてなりません。

今回はここまで。

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2014年1月20日 (月)

きらきら「初期詩篇」の世界/「宿酔」その3

(前回からつづく)

千の天使が/バスケットボールする。
――というのは、「喩」ですから
空で実際に天使たちがバスケットボールしているのが見えたわけではありません。

宿 酔

朝、鈍(にぶ)い日が照ってて
  風がある。
千の天使が
  バスケットボールする。

私は目をつむる、
  かなしい酔いだ。
もう不用になったストーヴが
  白っぽく銹(さ)びている。

朝、鈍い日が照ってて
  風がある。
千の天使が
  バスケットボールする。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

二日酔いの頭が「めまい」を覚えて
俗に、目がチカチカするといい
医学的には、
眼精疲労とか偏頭痛とか閃輝暗点(せんきあんてん)とかという状態になって
それをバスケットボールが弾んでいる情景に喩えたのでしょう。

それをジョーク気味に使ったものに過ぎず
詩的表現などと詩人は考えてもいなかったはずです。

それよりも
朝、鈍(にぶ)い日が照ってて/風がある。
――という2行の
何の変哲もないような言葉使い!

照ってて
――という舌足らずの意図的な使用!

風がある
――だけで、詩になってしまう!

この平凡な詩行が
「天使たちのバスケットボール」を際立たせています。

第2連の
目をつむると見えるかのようなストーブも
このマジックのような措辞(そじ)が生み出すものです。

部屋の片隅に
もう不用になったストーブが/白っぽく銹びている。
――のを、詩人は瞑目(めいもく)して見ます。

そこに厳然としてあるはずのストーブを
目をつむって見たかのような作りです。

かつて「朝の歌」で歌った場面と「宿酔」の場面は
似ているようで似ていません。

それは
「はなだ色の空」と「鈍い日が照ってる空」の違いばかりではないようです。

今回はここまで。

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2014年1月19日 (日)

きらきら「初期詩篇」の世界/「宿酔」その2

(前回からつづく)

「サーカス」の空中ブランコから
「秋の夜空」の夫人たちの宴、影祭りへ……。
こちらが夜空に浮かびあがるパノラマならば

「朝の歌」の「ひろごりてたいらかの空」は
きえてゆくうつくしき夢。

「宿酔」の朝は
鈍い日に吹き渡る風の中に
千の天使のバスケットボールを詩人に幻視させます。

宿 酔

朝、鈍(にぶ)い日が照ってて
  風がある。
千の天使が
  バスケットボールする。

私は目をつむる、
  かなしい酔いだ。
もう不用になったストーヴが
  白っぽく銹(さ)びている。

朝、鈍い日が照ってて
  風がある。
千の天使が
  バスケットボールする。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「宿酔」に「初期詩篇」の掉尾(とうび)を飾らせたわけが
すこし見えてきたような気がします。

ここで、初期詩篇22篇を
歌っている内容の「時間帯」だけで分類してみましょう。
詩集の順序に沿って見てみます。

夕方、落日の歌なら
「春の日の夕暮」や「黄昏」「凄じき黄昏」「夕照」「春の思い出」

夜の歌なら
「月」「サーカス」「春の夜」「都会の夏の夜」「深夜の思い」「冬の雨の夜」「ためいき」「秋の夜空」

昼の歌なら
「帰郷」「逝く夏の歌」「夏の日の歌」

朝の歌なら
「朝の歌」「臨終」「秋の一日」「悲しき朝」「港市の秋」「宿酔」

――となるでしょうか。

この上に春夏秋冬が歌い分けられているのです。

それぞれの詩が扱う時間帯にはもちろん「幅」があります。
「帰郷」は朝か昼か夕方か判定しがたい作品です。
「ためいき」は夜から夜明け、翌日の昼までを歌います。

朝であれ昼であれ夕方であれ夜であれ
中也の詩には「空」が頻繁に現われます。

「宿酔」は
メッセージを強く打ち出した詩ではありません。

A―B―Aという「2部形式」ですから
第1連、第3連はまったく同一の詩行の繰り返し(ルフラン)で
ここには
鈍い日の照る「遅い朝」を迎えた詩人が
風の中に天使がバスケットボールをしているのを見るという
あり得ないイメージが「描写」されるだけです。

ここにメッセージはありません。

第2連は不思議な内容です。
目をつむると
むしろ「現実」が見えてきます。

ここは目をつむらなくとも見えるはずの景色なのに
目をつむるのです。

不用になったストーヴが/白っぽく銹(さ)びている。
――という景色は
詩人のいる部屋に見えるはずにもかかわらず。

ここにも
たくまれた「転倒」の技があり
メッセージはここに潜んでいます。

今回はここまで。

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きらきら「初期詩篇」の世界/「宿酔」

(前回からつづく)

「初期詩篇」は
「ためいき」の後に
「春の思い出」「秋の夜空」「宿酔」の3作を配置して閉じます。

これら3作は
まるで「ためいき」の反発から置かれたような作品です。

「秋の夜空」は
近景から遠景への視点移動であるために
事態をしばし把握しかねたその後に
星々(や月)の輝き競う様子が擬人化され
夫人たちの宴として幻想された世界であることを了解しました。

そのうえ遠近が倒置されていたようで
「理屈」でとらえようとすると分かりにくかったのですが
冒頭の1行のセリフに誘(いざな)われ
いきなり宴の中に立たされるので
すんなりと詩世界へなじむことができました。

これはマジックにあったようなことでした。

「宿酔」も
「秋の夜空」のマジックがきいているかのような詩です。

宿 酔

朝、鈍(にぶ)い日が照ってて
  風がある。
千の天使が
  バスケットボールする。

私は目をつむる、
  かなしい酔いだ。
もう不用になったストーヴが
  白っぽく銹(さ)びている。

朝、鈍い日が照ってて
  風がある。
千の天使が
  バスケットボールする。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

4行×3連の構成。
第1連と第3連は全く同一の詩句、ルフランですから
全体はきわめてシンプルな作りです。

目前に見ている現実の風景(空)が
「喩(ゆ)」によって
一瞬にして天使のバスケットボールに変じるのは
「秋の夜空」が夫人たちの宴に変じるのと似ていますが
こちらの作りは単純です。

「喩」が見事に決まったために
こちらも詩の中に入るのに
抵抗感はまったくありません。

この詩もタイトルが
利いているのです。

「ふつかよい」か「しゅくすい」か――。

遅い朝を起き出した詩人が見ているのは
鈍い日。

快晴でもなく
曇天でもなく
ぼんやりと明るい空で
風だけが元気に活動しています。

昨夜の酒が残っていて
景色を観賞したり
もの思いにふけったりする以前の状態をとらえました。

風が
あたかも天使のバスケットボールに見えたのです。

今回はここまで。

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きらきら「初期詩篇」の世界/「ためいき」その5

(前回からつづく)

「空が曇ったら」という第4連への推移は
神様が気層の底の魚を獲っている(第3連)という喩(ゆ)を継ぐもので
魚はイナゴに変化します。

イナゴの瞳が砂土から覗くというのは
依然、荷車の音として聞えているためいきに威圧されて
イナゴが逃避する姿を表わすかのようです。

このような時にあって
遠くの町は石灰みたいに白く煙って見えます。

町(石灰)はみるみるうちに
ピョートル大帝の目玉の形になり
雲の中で光り輝いています。

イナゴの瞳とはまるで異なる強い目玉が
そこに屹立(きつりつ)しているのです。

ためいき
       河上徹太郎に 
 
ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気(しょうき)の中で瞬(まばた)きをするであろう。
その瞬きは怨めしそうにながれながら、パチンと音をたてるだろう。
木々が若い学者仲間の、頸(くび)すじのようであるだろう。

夜が明けたら地平線に、窓が開くだろう。
荷車(にぐるま)を挽(ひ)いた百姓が、町の方へ行くだろう。
ためいきはなお深くして、
丘に響きあたる荷車の音のようであるだろう。

野原に突出(つきで)た山(やま)ノ端(は)の松が、私を看守(みまも)っているだろう。
それはあっさりしてても笑わない、叔父(おじ)さんのようであるだろう。
神様が気層(きそう)の底の、魚を捕っているようだ。

空が曇ったら、蝗螽(いなご)の瞳が、砂土(すなつち)の中に覗(のぞ)くだろう。
遠くに町が、石灰(せっかい)みたいだ。
ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光っている。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

ためいきは
いつしかピョートル大帝の目玉となりました。

町へ町へ。

「ためいき」は
連続する時間を歌っています。

一途に前進する詩世界が開かれています。

この詩「ためいき」について
贈られた河上徹太郎は
チェホフあたりの風物を日本の風景に翻訳して得たものに違いない
――と自著「中原中也」の中で述べていますが
具体的な出所は見つかっていません。
(「新全集・詩Ⅰ 解題篇」)

今回はここまで。

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2014年1月18日 (土)

きらきら「初期詩篇」の世界/「ためいき」その4

(前回からつづく)

「ためいき」を時間の推移ということだけで読むと

夜が明けたら
空が曇ったら
――という三つの時間が設定されています。

詩(人)の視点(の移動)ということなら
夜の沼
(地平線が開ける)窓
町(百姓の荷車が向かう)
(山の端に突き出た松が「私」を見守る)野原(気層の底のよう)
砂土
町(遠くの)
雲の中
――という構図になり、
詩(人)の視点は定位置にあるようです。

視線が移動したとしても
定位置を基点とした
遠近法の世界が維持されています。

夜の沼へ行ったためいきは瞬きして
パチンと音を立てるのですが
夜が明けてさらに深まり
今度は荷車の音になって
丘に響きあたるのです。

夜の沼で瞬きしてパチンとはぜたためいきは
百姓の挽く荷車の音になるという連続!

ためいき
       河上徹太郎に 
 
ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気(しょうき)の中で瞬(まばた)きをするであろう。
その瞬きは怨めしそうにながれながら、パチンと音をたてるだろう。
木々が若い学者仲間の、頸(くび)すじのようであるだろう。

夜が明けたら地平線に、窓が開くだろう。
荷車(にぐるま)を挽(ひ)いた百姓が、町の方へ行くだろう。
ためいきはなお深くして、
丘に響きあたる荷車の音のようであるだろう。

野原に突出(つきで)た山(やま)ノ端(は)の松が、私を看守(みまも)っているだろう。
それはあっさりしてても笑わない、叔父(おじ)さんのようであるだろう。
神様が気層(きそう)の底の、魚を捕っているようだ。

空が曇ったら、蝗螽(いなご)の瞳が、砂土(すなつち)の中に覗(のぞ)くだろう。
遠くに町が、石灰(せっかい)みたいだ。
ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光っている。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

ためいきの深さが音として説明されますが
荷車をひくのは百姓ですから
百姓がためいきを吐いている関係になります。

荷車の音となると
ガタゴトとかギシギシとか……
さまざまでしょうが
丘に響くというのですから
とてつもなく巨大な反響音なのでしょう。

そのような音を聞いている百姓ですから
非常な苦難の道を歩んでいるということなのでしょうか
第3連ではいつしか「私」に変じて現われます。

巨大な音と化したためいきに圧し潰されないように
百姓である「私」は、
「野原に突出た山ノ端の松」に見守られることになります。

それ(松)は、
「あっさりしてても笑わない、叔父さん」のようです。

こうして、第3連の第1行と2行を受けるように
神様が気層の底の、魚を捕っているようだ
――と謎のような詩行が置かれるのですが……。

今回はここまで。

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2014年1月17日 (金)

きらきら「初期詩篇」の世界/「ためいき」その3

(前回からつづく)

おそらく「木々」は「学者仲間」の「頸すじ」の直喩でしょう。

それ以外はほとんどが暗喩であるのに
ここに詩の入り口を開けておかないことには
詩を読めなくなってしまいます。

では、
ためいきが夜の沼に行く
ためいきが瞬きする(瘴気の中で)
その瞬きがパチンと音をたてる(怨めしげにながれながら)
――にはどのような含意が込められているのでしょうか。

それは、詩の全体から
割り出していくほかにありません。

「ためいき」の一語さえ
「あーあ」という嘆息なのか
単なる「息」なのか
吐息(呼吸)なのか
わかりません。

それが「詩」のメタファーであることも
いまだ断定できないことです。

詩は繰り返し読まれなければ
理解することも
味わうこともできません。

ためいき
       河上徹太郎に 
 
ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気(しょうき)の中で瞬(まばた)きをするであろう。
その瞬きは怨めしそうにながれながら、パチンと音をたてるだろう。
木々が若い学者仲間の、頸(くび)すじのようであるだろう。

夜が明けたら地平線に、窓が開くだろう。
荷車(にぐるま)を挽(ひ)いた百姓が、町の方へ行くだろう。
ためいきはなお深くして、
丘に響きあたる荷車の音のようであるだろう。

野原に突出(つきで)た山(やま)ノ端(は)の松が、私を看守(みまも)っているだろう。
それはあっさりしてても笑わない、叔父(おじ)さんのようであるだろう。
神様が気層(きそう)の底の、魚を捕っているようだ。

空が曇ったら、蝗螽(いなご)の瞳が、砂土(すなつち)の中に覗(のぞ)くだろう。
遠くに町が、石灰(せっかい)みたいだ。
ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光っている。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

ためいきが一つ出た
そのためいきが夜の沼へ行った
――は、白い息が煙草の煙か何かのように目に見えて
それが近くの沼のほうに行った、という身体現象を歌っているものではないことが
まずは見えてきますね。

木々が若い学者仲間の首すじのようであるだろう
――という行を合わせると
第1連はどうやら、
日中取り交わした談論への
反論であるとか言い残した思いとかを
その時の情景を含みながら
述べているのかなあと
ほんのり見えてくるものがありますが……。

この詩は最終行とその前の1行を除いて
全行が「だろう」で終わっています。

よく読めば
最終行以外は
「ようであるだろう」や
「そうに」「ようだ」「みたいだ」と
断定を避けた表現ばかりです。

そのことによって
「私はこう思う」という詩人の思いを
逆に訴えているともいえますが
推量の(断言しない)詩行が引き出すのは
最終行の断言です。

ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光っている。
――は、この詩の結(論)といえるでしょう。

今回はここまで。

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2014年1月16日 (木)

きらきら「初期詩篇」の世界/「ためいき」その2

(前回からつづく)

昭和2年春、中也は小林秀雄の紹介で
河上徹太郎を知ります。

河上との交友が濃密に行われる中で
「スルヤ」の諸井三郎を知り
「スルヤ」メンバーの内海誓一郎を知り
今日出海を知り
関口隆克を知り
大岡昇平を知り
安原喜弘を知り
……と交友範囲を広げていきます。

河上を知った直後には
マグデブルグの半球を歌った「地極の天使」を送り
あわせて詩論を添えました。
ふだん盛んに戦わせていた表現論を
整理し河上に提示したものですが
これらの交流はやがて「白痴群」創刊(昭和4年4月)へと繋がっていきました。

「ためいき」ははじめ「白痴群」第2号に発表され
河上徹太郎への献呈詩とされたのは
昭和7年の「山羊の歌」編集時で
河上との距離は広がっていましたから
いわばメモリアルの意味もあったのでしょうか。

詩人が誕生し
詩集が生み落とされるために
河上徹太郎は出会わなければならなかった運命の一つでした。

ためいき
       河上徹太郎に 
 
ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気(しょうき)の中で瞬(まばた)きをするであろう。
その瞬きは怨めしそうにながれながら、パチンと音をたてるだろう。
木々が若い学者仲間の、頸(くび)すじのようであるだろう。

夜が明けたら地平線に、窓が開くだろう。
荷車(にぐるま)を挽(ひ)いた百姓が、町の方へ行くだろう。
ためいきはなお深くして、
丘に響きあたる荷車の音のようであるだろう。

野原に突出(つきで)た山(やま)ノ端(は)の松が、私を看守(みまも)っているだろう。
それはあっさりしてても笑わない、叔父(おじ)さんのようであるだろう。
神様が気層(きそう)の底の、魚を捕っているようだ。

空が曇ったら、蝗螽(いなご)の瞳が、砂土(すなつち)の中に覗(のぞ)くだろう。
遠くに町が、石灰(せっかい)みたいだ。
ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光っている。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

ためいきが夜の沼へ行き
瞬きし
パチンと音をたてる

瞬きするのは瘴気の中でのことで
パチンと音をたてるときには、怨めしげであり
――という立ち上がりの3行までは
なんとかついていけますが

なぜ木々が現れ
若い学者仲間が現われるのでしょうか?
なぜそれが、頸(くび)すじのようであるのでしょうか?

「献呈」は
これが男女の間であれば
ラブレターのようなものですから
他人(読者)が入り込む余地のない個的な経験が歌われることがあって
理解を超える部分を持つものです。

「学者仲間」が現われるのは
河上という人物の固有なキャラクター(属性)からで
詩人にとって
河上は学者といえるほどに
古今東西の教養に長けたインテリでした。

周辺の学生らも
一様に繊細(せんさい)で
品のよい首筋をしていたという観察が
「ためいき」の第1連に顔を出しました。

詩の中へすんなりと入って行くためには
「夜の沼」や「瘴気」や「怨めしげ」などの暗喩を読みながら
この「学者仲間」という1点を突破しないことには
前へ進めません。

今回はここまで。

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2014年1月13日 (月)

きらきら「初期詩篇」の世界/「ためいき」

(前回からつづく)

「夕照」の最終行で
腕拱(く)みながら歩み去る。
――と歌った詩人が
くっきりと見ていたものこそ「詩」にほかなりませんが
見えていたとしても
それを「詩の言葉」にすることは
容易なことではありませんでした。

それはそれであると思ったそばから
それでなくなり
それでないと思ったそばから
それでなくなり
永遠の問いを含むような
それでいて
永遠の答えでもあるような
言葉との格闘がはじまっていました。

昭和4年7月1日発行の「白痴群」第2号に発表された「旧稿五篇」は
どの詩も「詩についての詩」という側面をもっています。

「或る秋の日」(「山羊の歌」では「秋の一日」)
「深夜の思い」
「ためいき」
「凄じき黄昏」
「夕照」
――がその5篇です。
この5篇はすべてが「初期詩篇」へ配置されました。

「白痴群」から「初期詩篇」へ配置されたのは
このほかに「冬の雨の夜」(第5号発表)があるだけです。

中でも「ためいき」は
真正面から歌われた「詩についての詩」です。

ためいき
       河上徹太郎に 
 
ためいきは夜の沼にゆき、
瘴気(しょうき)の中で瞬(まばた)きをするであろう。
その瞬きは怨めしそうにながれながら、パチンと音をたてるだろう。
木々が若い学者仲間の、頸(くび)すじのようであるだろう。

夜が明けたら地平線に、窓が開くだろう。
荷車(にぐるま)を挽(ひ)いた百姓が、町の方へ行くだろう。
ためいきはなお深くして、
丘に響きあたる荷車の音のようであるだろう。

野原に突出(つきで)た山(やま)ノ端(は)の松が、私を看守(みまも)っているだろう。
それはあっさりしてても笑わない、叔父(おじ)さんのようであるだろう。
神様が気層(きそう)の底の、魚を捕っているようだ。

空が曇ったら、蝗螽(いなご)の瞳が、砂土(すなつち)の中に覗(のぞ)くだろう。
遠くに町が、石灰(せっかい)みたいだ。
ピョートル大帝の目玉が、雲の中で光っている。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「ためいき」は
河上徹太郎への献呈詩です。

上京後まもなく小林秀雄を介して知りあった二人は
「白痴群」を牽引(けんいん)する両輪となりますが
よく詩論を戦わしました。

その交流から生れたのが「ためいき」で
「山羊の歌」中の献呈詩で河上が最初に登場するのは
上京後の中也の最も早い時期の理解者(の一人)であったからでした。

今回はここまで。

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2014年1月12日 (日)

きらきら「初期詩篇」の世界/「夕照」その4

(前回からつづく)

丘々、落陽、原、山と自然を「描写」し
その中に「母」が祈り、子守唄を歌うかのようなイメージが現れる前半部は
第3連で、
かかる折しも……と繋がれますが
第4連の
かかるおりしも……は前の全3連を受けています。

「折」と「おり」と使い分けて
そのことは示されています。

このことによって
この詩の重心は
俄然、後半2連へと移動するかに見えます。

夕 照
 
丘々は、胸に手を当て
退(しりぞ)けり。
落陽(らくよう)は、慈愛(じあい)の色の
金のいろ。

原に草、
鄙唄(ひなうた)うたい
山に樹々(きぎ)、
老いてつましき心ばせ。

かかる折(おり)しも我(われ)ありぬ
少児(しょうに)に踏まれし
貝の肉。

かかるおりしも剛直(ごうちょく)の、
さあれゆかしきあきらめよ
腕拱(く)みながら歩み去る。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

貝の肉とは何なんでしょうか?
それも、小児に踏まれた――とは?

唐突に現われる
この謎めいたモノ。

近くは「凄じき黄昏」に現われた
汚れた歯を隠すニコチン――のような。

その謎を解き明かす
研究者の顔になるまでもありません。

この謎こそ
詩の原型です。

最終連の「かかるおり」が
この謎のヒントになっています。

剛直でありながら
ゆかしい(奥ゆかしい)諦め……。

こんなときであるからこそ
諦めが肝心だ。

腕拱(く)みながら歩み去る。
――は、

「黄昏」の最終行
なんだか父親の映像が気になりだすと一歩二歩歩(あゆ)みだすばかりです

「帰郷」の最終行
ああ おまえはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云う
――などの相似形です。

歩み去った先に
見え隠れしているモノが
詩人にはくっきりと見えています。

そのモノ(原型)に促され
そのモノ(詩)へ
詩人の歩みは止まりません。

心は迸(ほとばし)ります。

今回はここまで。

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きらきら「初期詩篇」の世界/「夕照」その3

(前回からつづく)

遠景から近景へ
そして身辺へ――。

小児に踏まれた貝の肉は足下にあり
詩人は、そこに「在った」のでした。

遠景にも近景にも
存在しようにない人間が出現し
鄙唄まで歌うようですが
これは、そう見えたに過ぎない幻です。

幻の中に
母は現われたのです。

胸に手を当てるというしぐさは
祈るか、心を痛めるとかの喩(メタファー)でしょうか。

鄙唄は、童謡とか子守唄のようなものでしょうか。

自然、母をイメージするのは
このメタファーが利いているからです。

夕 照
 
丘々は、胸に手を当て
退(しりぞ)けり。
落陽(らくよう)は、慈愛(じあい)の色の
金のいろ。

原に草、
鄙唄(ひなうた)うたい
山に樹々(きぎ)、
老いてつましき心ばせ。

かかる折(おり)しも我(われ)ありぬ
少児(しょうに)に踏まれし
貝の肉。

かかるおりしも剛直(ごうちょく)の、
さあれゆかしきあきらめよ
腕拱(く)みながら歩み去る。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

この詩をよく見れば
ソネットです。

ソネットの形をしていますが
正調とは言えません。

第1連
5―7

5―7

第2連



7―5

第3連
7―5
8(4―4)

第4連
7―5
7―5
7―5

各連各行の「音数」は
ほぼきれいな5・7に整えられています。

ソネット(4行―4行―3行―3行)になっていますが
第1連から第3連までは
無理矢理に「行分け」を行い
無理矢理にソネットの形にしたかのような作りのため
各行の「音数」は不揃いです。

この詩は
ソネットを作るために行分けされたのでしょうか?

そうではありますまい。

今回はここまで。

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2014年1月11日 (土)

きらきら「初期詩篇」の世界/「夕照」その2

(前回からつづく)

この詩を作っているときに
詩人が目にしている(想像している)のは自然(山野)ですから
そこに女性(母)が現われたわけではありませんし
胸に手を当てて退いたわけではありませんし
鄙唄を歌ったわけではありません。

詩人が見た自然が
そのように見えただけです。

にもかかわらず
そこに母がいると思えるのは
どのような詩の作り方からなのでしょうか?

夕 照
 
丘々は、胸に手を当て
退(しりぞ)けり。
落陽(らくよう)は、慈愛(じあい)の色の
金のいろ。

原に草、
鄙唄(ひなうた)うたい
山に樹々(きぎ)、
老いてつましき心ばせ。

かかる折(おり)しも我(われ)ありぬ
少児(しょうに)に踏まれし
貝の肉。

かかるおりしも剛直(ごうちょく)の、
さあれゆかしきあきらめよ
腕拱(く)みながら歩み去る。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

丘々が胸に手を当てて
あっちの方へ後退している
そこに落日の太陽が、慈愛に満ちた色に輝いて
金色だよ。

第1連は
よくあるように遠景の「描写」です。

この描写からして
スケールの大きさを感じさせます。

カメラがパンして
近くを捉えるのが第2連です。

大岡昇平が
「破調」ゆえに思い出せなかったというこの連は

原に草が生い茂り、
その様子が、鄙唄(ひなうた)を歌っているようであり
山の樹々は、
老いて謙虚なたたずまい(つましき心ばせ)を見せている
――という「風景描写」(擬自然法)であって
誰か人間が存在して
鄙びた唄(童謡か?)を歌っているのではないでしょう。

第1連の流れから
胸に手を当てて後ずさっていく女性が
鄙歌を歌っている情景が「描写」されているようにも取れますが
原や山に人の存在はないはずです。

そこにあたかも人間が出現したかのように「描写」したところに
この詩のスケールの大きさの源泉(もと)があります。

そうしたところへ
「貝の肉」です。
子どもに踏みつけられた――。

白日夢から目覚めさせられるような
リアルな展開です。

かかる折(おり)しも我(われ)ありぬ
――が、いきなりリアル(現実)を呼び戻すかのようです。

「我は見ぬ」ではなく
「我ありぬ」としたのは
現実の中に生存していることの強調です。

今回はここまで。

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2014年1月10日 (金)

きらきら「初期詩篇」の世界/「夕照」

(前回からつづく)

「夕照」が「夏の日の歌」の次に置かれているのは
「夏の日の歌」が「母」を歌ったのと
無縁ではないことを示すものでしょう。

第1連に
丘々は、胸に手を当て
退(しりぞ)けり。
――とあるのは
自然を人間に見立てた表現(擬自然法)であることは言うまでもありませんが
「胸に手を当てる」という行為がなにを意味するかは別としても
この行為の主格が女性であることは
想像に難(かた)くありません。

あえて言えば
この女性は「母」でしょう。

夕 照
 
丘々は、胸に手を当て
退(しりぞ)けり。
落陽(らくよう)は、慈愛(じあい)の色の
金のいろ。

原に草、
鄙唄(ひなうた)うたい
山に樹々(きぎ)、
老いてつましき心ばせ。

かかる折(おり)しも我(われ)ありぬ
少児(しょうに)に踏まれし
貝の肉。

かかるおりしも剛直(ごうちょく)の、
さあれゆかしきあきらめよ
腕拱(く)みながら歩み去る。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「夕照」は
大岡昇平が戦地で立硝(りっしょう)中に口ずさんだ詩として
あまりにも有名になりました。

大岡がそのことを記した伝記の一部を
ここで読んでおきましょう。

 (前略)前線で立硝中、熱帯の夕焼を眺めながら、「夕照」を勝手な節をつけて歌った。

  丘々は、胸に手を当て
  退けり。
  落陽は、慈愛の色の
  金のいろ。

 「破調」の著しい第二連は思い出せなかった。私は軍隊生活を大体次の終連のような心意気で忍耐していた。

  かかる折しも我ありぬ
  少児に踏まれし
  貝の肉。

 同時に昭和四年頃私がこの詩を褒めた時の、中原の意地悪そうな眼附を思い出した。「センチメンタルな奴」とその眼附はいっていた。

(「在りし日の歌」大岡昇平全集第18巻所収。「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰ解題篇【参考】より孫引きです。読みやすくするために、改行を加えてあります。編者。)

この記述のインパクトは大きく
「夕照」が歌っている丘や原が
フィリッピンのミンダナオ島あたりの山野のイメージと重なります。

中也が歌ったのは
どこそこの土地というものではないにしても
やはりこの土地は
生地である山口県湯田温泉近辺であろうことは間違いないでしょうから
ミンダナオ島の山野がかぶさってきては
すこぶるスケールが巨大になるというものです。

「夕照」はしかし、もともとスケールの大きな作品でした。

「朝の歌」「臨終」「凄じき黄昏」と辿ってきた
文語詩の結晶のような作品でした。

今回はここまで。

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2014年1月 9日 (木)

きらきら「初期詩篇」の世界/「夏の日の歌」その2

(前回からつづく)

夏の日の歌
 
青い空は動かない、
雲片(ぎれ)一つあるでない。
  夏の真昼の静かには
  タールの光も清くなる。

夏の空には何かがある、
いじらしく思わせる何かがある、
  焦(こ)げて図太い向日葵(ひまわり)が
  田舎(いなか)の駅には咲いている。

上手に子供を育てゆく、
母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
  山の近くを走る時。

山の近くを走りながら、
母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
  夏の真昼の暑い時。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

夏の空には何かがある、
いじらしく思わせる何かがある、
――と第2連で歌われた「何か」の正体は
はじめ「向日葵(ひまわり)」でした。

駅の庭に咲いている図太い花が歌われ
次には「汽車」が現われたのですが
なんだかフェイントをかけられたような感じがするのは何故だろうかと考えていると
この詩の巧みな仕掛けに気づいて
あっと驚きます。

いじらしく思わせる何かの「いじらしく」で
限定された方向へ向かうかに見えた「何か」が
向日葵そして汽車と
その正体が明かされる過程で
さりげなく「副詞句」の中に現われるのは
「母親」なのです!

第3連と第4連に「母親」が
汽車の「修飾句」として登場します。

この、
母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
――の1行に
巧妙な詩の技があります。

「母親」は
あたかも「何か」の脇役であるかのように歌われるのですが
そんなことがあるはずもありません。

それでは
単に向日葵と汽車の汽笛を歌った素朴な自然詠になってしまいます。

上手に子供を育てゆく
――は、向日葵の述語でもあったように
汽車(の汽笛)が誘導されるのですが
母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
――の1行によって
汽車が、上手に子供を育てるかのような「転倒」が起こり
母親は脇に退くような錯覚が生じます。

しかし、汽車が子供を育てるはずもなく
この詩の主役は母親である!という仕掛けに気づくでしょう。

向日葵や汽車を歌った詩の形をしながら
母親を歌った詩――。

「夏の日の歌」がなぜ
「帰郷」
「凄まじき黄昏」
「逝く夏の歌」
「悲しき朝」に続き
「夕照」へと連なっていく位置に置かれたかがわかります。

「夕照」にも
母親の影が射します。

突然のように
素朴な「牧歌」が置かれたのではなく
「山羊の歌」のここで
「冬の雨の夜」の「わが母上の帯締め」で歌って以来
いっそう明示的に母親を歌いました。

中也は母親を歌った詩を
「山羊の歌」のここ「初期詩篇」に配置したのです。

今回はここまで。

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2014年1月 8日 (水)

きらきら「初期詩篇」の世界/「夏の日の歌」

(前回からつづく)

詩人が拠(よ)って立つところ。
帰る場所。
それは詩の在処(ありか)でもありました。

「秋の一日」に「布切屑(きれくず)」と明示され
「黄昏」では「一歩二歩」の行く先に
「帰郷」では「おまえはなにをして来たのだ」と歌う、
その「なに」にそれはあります。

「凄まじき黄昏」
「逝く夏の歌」
「悲しき朝」
――と配置された詩の一つ一つにも
それを読み取ることができることでしょう。

「夏の日の歌」にも
それはあります。

夏の日の歌
 
青い空は動かない、
雲片(ぎれ)一つあるでない。
  夏の真昼の静かには
  タールの光も清くなる。

夏の空には何かがある、
いじらしく思わせる何かがある、
  焦(こ)げて図太い向日葵(ひまわり)が
  田舎(いなか)の駅には咲いている。

上手に子供を育てゆく、
母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
  山の近くを走る時。

山の近くを走りながら、
母親に似て汽車の汽笛は鳴る。
  夏の真昼の暑い時。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

第1連の全行や
第2連、
夏の空にはなにかがある
――に明らかですが
いじらしく思わせる何かがある、
――と続けられて
この詩はやや「限定」された方向に向かうかのようです。

「山羊の歌」の「初期詩篇」の中に
昭和8年10月1日発行の「紀元」に発表された詩が配置されました。
それが「夏の日の歌」です。

「山羊の歌」は
昭和7年6月には編集が終わっているのですから
それよりも後に発表された詩が収録されたことになります。

これは「山羊の歌」が長い難産の末に
昭和9年11月に発行されたことに起因しています。

「夏の日の歌」の初稿は
「山羊の歌」編集の最終段階である昭和7年6月頃に制作され
「初期詩篇」に配置されたのですが
「山羊の歌」の発行が遅れている間に
「紀元」創刊号に発表したということです。

「初期詩篇」の中では
最も新しい作品ということになります。

「白痴群」でもなく
「生活者」でもなく
「スルヤ」でもなく
「紀元」からの採用というマイナーケースは
ほかに「春の日の夕暮」が「半仙戯」発表の後の配置があるだけです。

「凄じき黄昏」から二つおいて
「夏の日の歌」が置かれました。

この対照的な詩の存在によって
「山羊の歌」の「初期詩篇」は
きらきらときらきらと輝く詩世界を作り出しました。

その一つの要因となりました。

今回はここまで。

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2014年1月 7日 (火)

きらきら「初期詩篇」の世界/「凄じき黄昏」その5

(前回からつづく)

「凄じき黄昏」は
昭和4年(1929年)4月発行の「白痴群」に初出して以来
「紀元」(昭和8年9月1日発行)に再出
「青い花」(昭和9年12月1日発行)に三出と
詩人によって計3回発表されました。

「紀元」「青い花」はともに
創刊号です。

何度も発表される例は
中也の場合、結構あるのですが
「思い入れ」の深かった作品であることを示しています。

凄じき黄昏
 
捲(ま)き起る、風も物憂(ものう)き頃(ころ)ながら、
草は靡(なび)きぬ、我はみぬ、
遐(とお)き昔の隼人等(はやとら)を。

銀紙色の竹槍(たけやり)の、
汀(みぎわ)に沿(そ)いて、つづきけり。
――雑魚(ざこ)の心を俟(たの)みつつ。

吹く風誘わず、地の上の
敷(し)きある屍(かばね)――
空、演壇に立ちあがる。

家々は、賢き陪臣(ばいしん)、
ニコチンに、汚れたる歯を押匿(おしかく)す。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

なぜ遠い昔の隼人らが現われたのか
なぜ、雑魚や陪臣が出てくるのか
謎ばかりです。

戦争ですから
死屍累々はわかりますし
だから「凄まじい」のもわかりますが。

では、なぜ凄まじい戦争を歌ったのでしょうか?

「戦車の地音」(月)や
「茶色い戦争」(サーカス)や
「軍楽の憶い」(朝の歌)
……などの戦争の流れでしょうか?

その流れであることも
十分に考えられることですが。

凄まじいのは
詩人の「内面」なのであって
それは「詩」のようなものであって
なんらかそのための合図(メッセージ)が
この詩に託されているのではないか
――と読んだらどうなるでしょう。

詩人は
レゾンデートル(存在証明)とかアイデンティティー(自己確認)とかを
平易な言葉でいえば
「独自性」(ユニークさ)とか「個性」とかを
俗にいえば「売り」「セールポイント」とかを
切実に必要としていました。

詩の詩――。
詩のエキス――。
詩の片鱗――。
詩の断片――。

最終連、
家々は、賢き陪臣(ばいしん)、
ニコチンに、汚れたる歯を押匿(おしかく)す。

――は、詩人のほかには書けないであろう(と詩人が考えている)
「詩」(のありか)が含まれているように思えてなりません。

やがて歌われる
「知れざる炎」(悲しき朝)や
「貝の肉」(夕照)や
「ピョートル大帝の目玉」(ためいき)のような。

今回はここまで。

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2014年1月 6日 (月)

きらきら「初期詩篇」の世界/「凄じき黄昏」その4

(前回からつづく)

「凄じき黄昏」は
単なる「黄昏」ではありません。

それは詩人の眼に
凄まじいものでした。

夕日が落ちて
山の端に沈んでゆく……などと
穏やかな風景ではありません。

風が捲き起こり
撒き起こるばかりか物憂く(心を騒がせ)
草木は横倒しに靡き
詩人は遠い昔の隼人らの戦(いくさ)を見るのです。

ビジョンが現われるほどに
凄まじい映像でした。

凄じき黄昏
 
捲(ま)き起る、風も物憂(ものう)き頃(ころ)ながら、
草は靡(なび)きぬ、我はみぬ、
遐(とお)き昔の隼人等(はやとら)を。

銀紙色の竹槍(たけやり)の、
汀(みぎわ)に沿(そ)いて、つづきけり。
――雑魚(ざこ)の心を俟(たの)みつつ。

吹く風誘わず、地の上の
敷(し)きある屍(かばね)――
空、演壇に立ちあがる。

家々は、賢き陪臣(ばいしん)、
ニコチンに、汚れたる歯を押匿(おしかく)す。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

銀紙色のピッカピカの竹槍が
海岸沿いを行軍しています。
雑兵(ぞうひょう)たちばかりが頼りなんだ。
(第2連)

吹きすさぶ風が誘わない=持ち運んでいかない
地上は死屍累々(ししるいるい)=しかばねの絨毯(じゅうたん)が敷かれている

空は、演壇の状態に立ち上がっている

「演壇に」の「に」は状態を表わす助詞で
場所を指示するものではないでしょう。

空がステージ状にそそり立っている!

どこの家も、賢い陪臣たち、
ニコチンで汚れた歯を隠して(戦に参じている)

詩人はしかと絵巻ものを見たのです。
もちろんそれは幻視・幻想です。

日は落ち
風は吹きすさぶ中に立っている詩人の心に
澎湃(ほうはい)として湧き上がったビジョンでした。

この風が
「帰郷」の最終連の風と同じものであることは
言うまでもありません。

なぜ?
このようなビジョンが現われたのでしょうか?

それを突き詰めようとするのはいいですが
それを他の言葉で言い表せば
詩が生命を失くすようなものです。

あえて言えば
詩です。

それこそ詩です。

この詩は
「白痴群」の同人となる村井康男とが再会したある日
詩人がその場で塵紙(ちりがみ)に書いたものです。
村井が保存していたために残ったそうです。
(「新全集」第1巻・解題篇)

「凄じき黄昏」が歌ったのは
「詩」とか「詩心」とか……
詩(人)の帰りつく場所とか、
詩のありかの暗喩そのもののようです。

今回はここまで。

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2014年1月 5日 (日)

きらきら「初期詩篇」の世界/「凄じき黄昏」その3

(前回からつづく)

「山羊の歌」では
「凄まじき黄昏」の四つ前に
「黄昏」が配置されています。

なんだか父親の映像が気になりだすと一歩二歩歩みだすばかりです
――と終わる、あの詩です。

「黄昏」
「深夜の思い」
「冬の雨の夜」
「帰郷」
そして
「凄じき黄昏」
――という流れになっています。

「帰郷」のエンディングは
ああ おまえはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云う
――です。

こうしてみると
「凄まじき黄昏」は近づいてきませんか?

凄じき黄昏
 
捲(ま)き起る、風も物憂(ものう)き頃(ころ)ながら、
草は靡(なび)きぬ、我はみぬ、
遐(とお)き昔の隼人等(はやとら)を。

銀紙色の竹槍(たけやり)の、
汀(みぎわ)に沿(そ)いて、つづきけり。
――雑魚(ざこ)の心を俟(たの)みつつ。

吹く風誘わず、地の上の
敷(し)きある屍(かばね)――
空、演壇に立ちあがる。

家々は、賢き陪臣(ばいしん)、
ニコチンに、汚れたる歯を押匿(おしかく)す。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

そうです!
中也には詩のほかになかったのです。

「黄昏」も
「深夜の思い」も
「冬の雨の夜」も
「帰郷」も
「凄じき黄昏」も
……
詩についての詩という側面をもっています。

「春の日の夕暮」も
「月」も
「サーカス」も
「春の夜」も
「臨終」も
……
同じです。

「凄じき黄昏」はしかし
難解中の難解な詩です。

特に、
吹く風誘わず、地の上の
敷(し)きある屍(かばね)――
空、演壇に立ちあがる。

――という第3連は巨大な壁のようです。

全行が大きな山のように
立ちはだかります。

今回はここまで。

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2014年1月 4日 (土)

きらきら「初期詩篇」の世界/「凄じき黄昏」その2

(前回からつづく)

「黄昏」
「深夜の思い」
「冬の雨の夜」
「帰郷」
――に続いて配置されているのは
「冬の雨の夜」が「暗い天候三つ」の一部を独立させたものだったことを思い出させますが
そういえば「山羊の歌」の冒頭詩「春の日の夕暮」も
アンダースローされた灰が蒼ざめて
――と宵闇(よいやみ)迫る夕暮れが歌われていました。

これらの詩が
「自然現象」としての天候を歌ったものでないことは
明らかなことでしょう。

「春の日の夕暮」は
自らの静脈管の中へと
無言ながら前進して行きました。

この前進して行った「夕暮れ」に似たものが
「凄まじき黄昏」であるように思えてもきます。

それは何なのでしょうか?

「帰郷」では
おまえはなにをして来たのだ
――と歌った「なに」こそ
詩(の仕事)でした。

して来なかったものこそ
詩(業)だったことも思い出されます。

凄じき黄昏
 
捲(ま)き起る、風も物憂(ものう)き頃(ころ)ながら、
草は靡(なび)きぬ、我はみぬ、
遐(とお)き昔の隼人等(はやとら)を。

銀紙色の竹槍(たけやり)の、
汀(みぎわ)に沿(そ)いて、つづきけり。
――雑魚(ざこ)の心を俟(たの)みつつ。

吹く風誘わず、地の上の
敷(し)きある屍(かばね)――
空、演壇に立ちあがる。

家々は、賢き陪臣(ばいしん)、
ニコチンに、汚れたる歯を押匿(おしかく)す。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「詩」についての詩を
詩人は歌わねばなりませんでした。
歌う必要がありました。

「月」も
「サーカス」も
「春の夜」も
「臨終」も……

詩とはなにか。
――という問いが隠され
その答えが歌われている詩です。

優れた詩や芸術作品の多くが
そうであるように。

「凄じき黄昏」も
その一つです。

今回はここまで。

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2014年1月 3日 (金)

きらきら「初期詩篇」の世界/「凄じき黄昏」

(前回からつづく)

「帰郷」を読み終えたところで
次に配置された「凄じき黄昏」の世界へ入っていくには
ハードルみたいなものが立ち塞(ふさ)がります。

戸惑わずにはいられませんが
長い時間をかけて
何度も何度も読んでいるうちに
少しづつ近づいてくるようなものがあります。

それこそ「詩」です。

凄じき黄昏
 
捲(ま)き起る、風も物憂(ものう)き頃(ころ)ながら、
草は靡(なび)きぬ、我はみぬ、
遐(とお)き昔の隼人等(はやとら)を。

銀紙色の竹槍(たけやり)の、
汀(みぎわ)に沿(そ)いて、つづきけり。
――雑魚(ざこ)の心を俟(たの)みつつ。

吹く風誘わず、地の上の
敷(し)きある屍(かばね)――
空、演壇に立ちあがる。

家々は、賢き陪臣(ばいしん)、
ニコチンに、汚れたる歯を押匿(おしかく)す。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「山羊の歌」を一周して
目次をじっと眺めてみたり
他の詩と比べたりしているうちに
浮かんでくるような一群の詩があります。

なぜいきなり「昔の隼人らの行軍」が歌われたのかは
そうした詩群の中に置いてみないことには
見当がつきません。

「黄昏」
「深夜の思い」
「冬の雨の夜」と歌われている「ダークな」空気が
「帰郷」でいったん断ち切られ
再び戻ってきた流れでしょうか?

あるいは「帰郷」も
この流れの一つなのでしょうか?

少しでも似ている作りの詩を探してみると
「山羊の歌」の「初期詩篇」には
「月」「ためいき」があります。

「深夜の思い」の「マルガレエテ」や
「冬の雨の夜」の「aé ao, aé ao, éo, aéo éo!」も
同じ「喩」の範囲にあるのかもしれません。

これらの詩は
モチーフ(素材)を
歴史とか文学作品とかから引き出しています。

今回はここまで。

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2014年1月 1日 (水)

あけましておめでとうございます。

2014


あけましておめでとうございます。

ことしもよろしくお願いいたします。

「週5日のアップ」が6年目に入ります。

2014年元旦

合地舜介

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