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2014年1月28日 (火)

ギロギロする目が見た/「少年時」その3

(前回からつづく)

「少年時」の初稿は
昭和2年、3年ごろの制作と推定されています。

それが「山羊の歌」の編集時(昭和7年)に推敲されました。
(第1次形態)

中也の昭和2年の日記には
ランボーへの言及がしばしば見られたり
昭和3年に大岡昇平とやっていた「学習会」では
ランボーの「少年時Enfance」を共訳しかけたことを大岡が証言していたりと
富永太郎に吹き込まれた京都時代以降のランボーへの取り組みは
この頃ますます盛んになっていました。

「少年時」は
昭和8年(1933年)7月20日発行の「四季」にも発表されます。

少年時

黝(あおぐろ)い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡(ねむ)っていた。

地平の果(はて)に蒸気が立って、
世の亡ぶ、兆(きざし)のようだった。

麦田(むぎた)には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だった。

翔(と)びゆく雲の落とす影のように、
田の面(も)を過ぎる、昔の巨人の姿――

夏の日の午過(ひるす)ぎ時刻
誰彼(だれかれ)の午睡(ひるね)するとき、
私は野原を走って行った……

私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦(あきら)めていた……
噫(ああ)、生きていた、私は生きていた!

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

地平の果(はて)に蒸気が立って、
世の亡ぶ、兆(きざし)のようだった。

――という第2連などは
ランボーの「少年時」とクロスするところですが
中也の「少年時」は
やはり「中也の少年体験」です。

中也少年は
夏の昼下がり
一人野原を走って行ったのです。

世の亡ぶ兆のような「景色」を見たのですから。

午睡している時ではありませんでした。

麦の田を風は打ちつけ
おぼろで灰色の面。

その面を
巨大な雲の影が落ちている。

空を
伝説の巨人が飛んで行ったのか――。

目を疑うばかりの「景色」ですが
少年はその「景色」の向うに
何かほかのものをも同時に見たのです。

恐ろしいばかりではない何かを。

今回はここまで。

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