ギロギロする目が見た/「少年時」その3
(前回からつづく)
「少年時」の初稿は
昭和2年、3年ごろの制作と推定されています。
それが「山羊の歌」の編集時(昭和7年)に推敲されました。
(第1次形態)
中也の昭和2年の日記には
ランボーへの言及がしばしば見られたり
昭和3年に大岡昇平とやっていた「学習会」では
ランボーの「少年時Enfance」を共訳しかけたことを大岡が証言していたりと
富永太郎に吹き込まれた京都時代以降のランボーへの取り組みは
この頃ますます盛んになっていました。
「少年時」は
昭和8年(1933年)7月20日発行の「四季」にも発表されます。
◇
少年時
黝(あおぐろ)い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡(ねむ)っていた。
地平の果(はて)に蒸気が立って、
世の亡ぶ、兆(きざし)のようだった。
麦田(むぎた)には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だった。
翔(と)びゆく雲の落とす影のように、
田の面(も)を過ぎる、昔の巨人の姿――
夏の日の午過(ひるす)ぎ時刻
誰彼(だれかれ)の午睡(ひるね)するとき、
私は野原を走って行った……
私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦(あきら)めていた……
噫(ああ)、生きていた、私は生きていた!
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
地平の果(はて)に蒸気が立って、
世の亡ぶ、兆(きざし)のようだった。
――という第2連などは
ランボーの「少年時」とクロスするところですが
中也の「少年時」は
やはり「中也の少年体験」です。
中也少年は
夏の昼下がり
一人野原を走って行ったのです。
世の亡ぶ兆のような「景色」を見たのですから。
午睡している時ではありませんでした。
◇
麦の田を風は打ちつけ
おぼろで灰色の面。
その面を
巨大な雲の影が落ちている。
空を
伝説の巨人が飛んで行ったのか――。
◇
目を疑うばかりの「景色」ですが
少年はその「景色」の向うに
何かほかのものをも同時に見たのです。
恐ろしいばかりではない何かを。
◇
今回はここまで。
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