ギロギロする目が見た/「少年時」
(前回からつづく)
「朝の歌」が小林秀雄に好感をもたれたのをはじめ
周辺を越えてもじわじわと評価されていき
中原中也は詩人として立つ決意を新たにします。
方針は立ったが、たった十四行書くために、こんなに手数がかかるのではとガッカリす。
――と「詩的履歴書」に書いたのはこのあたりのことなのですが
「ガッカリす」は
詩作が手間ひまかかるのに「割りに合わない」とでも言いたげで
そちらのほうに重心がかかっていて
詩作の大変さとともに
生計を立てる困難さが告白されているものと理解されても仕方がありません。
そう受け取るのは自然で
上京してから「朝の歌」を作るまでに
詩人が費やした苦闘のあしどりは
半端なものではありませんでした。
それが少しは報われる思いをしたのに
ガッカリだったと記録したのですが
この記述にはどこかはぐらかされた感じがしてしまいます。
それはなぜでしょうか?
◇
その答えを見出すのは
簡単なことではありませんが
「宿酔」が「朝の歌」と同じ場面を歌いながらも
口語会話体をあえて駆使したり
「初期詩篇」の締めくくりに新作されたりという意図の中に
明白に表れていることです。
「朝の歌」以後に配置された「初期詩篇」の幾つかにも
その答えを見出すことはできることでしょう。
◇
そして「山羊の歌」第2章「少年時」は
そのことをさらに強力な証として読むことができる詩群です。
そこには「朝の歌」の境地から
遥か遠い地平が開けています。
◇
少年時
黝(あおぐろ)い石に夏の日が照りつけ、
庭の地面が、朱色に睡(ねむ)っていた。
地平の果(はて)に蒸気が立って、
世の亡ぶ、兆(きざし)のようだった。
麦田(むぎた)には風が低く打ち、
おぼろで、灰色だった。
翔(と)びゆく雲の落とす影のように、
田の面(も)を過ぎる、昔の巨人の姿――
夏の日の午過(ひるす)ぎ時刻
誰彼(だれかれ)の午睡(ひるね)するとき、
私は野原を走って行った……
私は希望を唇に噛みつぶして
私はギロギロする目で諦(あきら)めていた……
噫(ああ)、生きていた、私は生きていた!
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
今回はここまで。
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