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2014年1月21日 (火)

きらきら「初期詩篇」の世界/「宿酔」その4

(前回からつづく)

「朝の歌」の喪失感や倦怠感と同じようなものが
「宿酔」にも流れていることは確かですが
同じような場面を歌って
孤独感・疎外感がくっきりしたのは「宿酔」のほうで
「椅子を失くした」と歌った「港市の秋」に近くなっています。

「朝の歌」は「文語ソネット」
「宿酔」は「口語2部形式」というのも決定的な違いです。

「宿酔」も定型への意識は崩していないものの
「照っていて」としないで「照ってて」とし
(「バスケットボールをする」としないで「バスケットボールする」とし)
行儀正しい言葉を排して会話体を選びましたし
「風がある」とぶっきらぼうなほどシンプルに仕立てたところなどに
「朝の歌」から離れようとする意志が感じられます。

宿 酔

朝、鈍(にぶ)い日が照ってて
  風がある。
千の天使が
  バスケットボールする。

私は目をつむる、
  かなしい酔いだ。
もう不用になったストーヴが
  白っぽく銹(さ)びている。

朝、鈍い日が照ってて
  風がある。
千の天使が
  バスケットボールする。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

「宿酔」というタイトルも
「しゅくすい」と音読みにするよりは
「ふつかよい」と日常使われている「音(おん)」で読ませたいはずですし
「ふつかよい」の方が
若々しく強く俗っぽいし
……

「初期詩篇」が
「春の思い出」
「秋の夜空」
「宿酔」の3作品で閉じられた意図も浮かび上がってきます。

「宿酔」は
「山羊の歌」の全ての詩の中で
「羊の歌」と「いのちの声」とともに
草稿と初出誌がない作品です。
(「新全集」詩Ⅰ・解題篇)

3作品は、この詩集が編まれる中で作られたことを示すものです。

「初期詩篇」の掉尾(とうび)を飾る作品として
「宿酔」が制作され配置されたということは
「羊の歌」「いのちの声」が
「山羊の歌」の最終詩として制作され配置されたことと
パラレルな位置にある(意味がある)ということになります。

詩人は後年(1936年、昭和11年)、「我が詩観」を書き
創作履歴「詩的履歴書」を添えています。

中に「朝の歌」について書いた一節があり、

大正十五年五月、「朝の歌」を書く。七月頃小林に見せる。それが東京に来て詩を人に見せる最
初。つまり「朝の歌」にてほぼ方針立つ。方針は立ったが、たった十四行書くために、こんなに手数
がかかるのではとガッカリす。

――と記しているのはよく知られたことです。

「山羊の歌」の編集時点から4年を経過しているときの記述ですが
この記述に「朝の歌」への評価への違和感が表明されていると感じられてなりません。

今回はここまで。

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