別世界の「恋人」/「わが喫煙」2
(前回からつづく)
第1番に「少年時」
第2番に「盲目の秋」
第3番に「わが喫煙」
――と詩集「山羊の歌」「少年時」の章に配置された順序に
詩人が意図した思い(編集方針)は明らかにされています。
「盲目の秋」も「わが喫煙」も
廃刊が決定的であり事実そうなった「白痴群」第6号に発表されました。
二つの詩は
どちらが先に制作されたのか、ということを研究するのは無意味ではありませんが
自選詩集である「山羊の歌」は
「盲目の秋」の次に「わが喫煙」を配置したのですから
編集意図は明確で
それに沿って読むのが一番です。
◇
「わが喫煙」の
わんわんいうどよもし(喧騒)も、むっとするスチームも
無限の前で腕を振っていた時よりも後の
まさしく「別世界」を歌います。
◇
わが喫煙
おまえのその、白い二本の脛(すね)が、
夕暮(ゆうぐれ)、港の町の寒い夕暮、
にょきにょきと、ペエヴの上を歩むのだ。
店々に灯(ひ)がついて、灯がついて、
私がそれをみながら歩いていると、
おまえが声をかけるのだ、
どっかにはいって憩(やす)みましょうよと。
そこで私は、橋や荷足を見残しながら、
レストオランに這入(はい)るのだ――
わんわんいう喧騒(どよもし)、むっとするスチーム、
さても此処(ここ)は別世界。
そこで私は、時宜(じぎ)にも合わないおまえの陽気な顔を眺め、
かなしく煙草(たばこ)を吹かすのだ、
一服(いっぷく)、一服、吹かすのだ……
(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)
◇
この「別世界」には
二重三重の意味が重ねられています。
一つは
無限の前で腕を振っていた時間からの「別世界」
一つは
「恋人」が自分と異なる方向を向いているという「別世界」
……
◇
この「別世界」はしかし
「恋人」との幸福な時間であることに変わりありません。
かなしく煙草を吹かす私(詩人)は
「恋人」を憎んでいるというよりも
「恋人」の一挙手一投足を見つめ見直しているのです。
くさくさと煙草を吹かしながら
「恋人」を発見しているのです。
◇
橋や荷足とあるのは
東京湾の風景でしょうか
それとも横浜あたりを泰子とデートしたことがあったのでしょうか。
かつて確かにあった「恋」の中に
いま詩人は息づいています。
◇
「わが喫煙」は
いつも愛し合っているばかりではない
自然な形の「恋」の日常が現在形で歌われています。
確かに存在した過去が
現在形で歌われて
いっそうビビッドになっているのです。
◇
「白痴群」第6号は
最終号となったもので
全64ページのうちの38ページを
中原中也の作品が占めました。
「落穂集」のタイトルで
「盲目の秋」
「更くる夜」
「わが喫煙」
「汚れつちまつた悲しみに……」
「妹よ」
「つみびとの歌」
「無題」
「失せし希望」の8篇
「生ひ立ちの歌」のタイトルで
「生ひ立ちの歌」
「夜更け」
「雪の宵」
「或る女の子」
「時こそ今は……」の5篇
このほかに
「山羊の歌」に収録しなかった「夜更け」と「或る女の子」の2篇、
また評論「詩に関する話」が発表されました。
◇
今回はここまで。
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