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2014年2月 5日 (水)

「盲目の秋」の無限/ギロギロする目「その後」2

(前回からつづく)

「盲目の秋」の詩人は
断崖絶壁に立っています。

風が立ち
波が騒ぐ……

眼下に激流を眺め
踏ん張る詩人。

無限がそこにあり
手が届きそうな所にあり
……

詩人は
無限に向かって腕を振ります。

無限に向かって
手を振っている「その」間に
奈落の底に
時折、小さな紅の花が見え隠れするのです。

盲目の秋
 
   Ⅰ

風が立ち、浪(なみ)が騒ぎ、
  無限の前に腕を振る。

その間(かん)、小さな紅(くれない)の花が見えはするが、
  それもやがては潰(つぶ)れてしまう。

風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまえに腕を振る。

もう永遠に帰らないことを思って
  酷薄(こくはく)な嘆息(たんそく)するのも幾(いく)たびであろう……

私の青春はもはや堅い血管となり、
  その中を曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽とがゆきすぎる。

それはしずかで、きらびやかで、なみなみと湛(たた)え、
  去りゆく女が最後にくれる笑(えま)いのように、

厳(おごそ)かで、ゆたかで、それでいて佗(わび)しく
  異様で、温かで、きらめいて胸に残る……

      ああ、胸に残る……
風が立ち、浪が騒ぎ、
  無限のまえに腕を振る。

(「新編中原中也全集」第1巻・詩Ⅰより。「新かな」に変え、一部「ルビ」を加えました。編者。)

長い間、無限の前で腕を振っていると紅の花が見え
その花はまた消えてなくなりますが
また花が見えまた消えたりしているうちに
ようやく詩人に生きた心地というものが戻ります。

「紅の花」は
もう永遠に帰らないと思う(諦める)詩人が
酷薄(こくはく)な嘆きを繰り返す中で見えたもの――。

青春であり
長谷川泰子のことであることがわかりますが
すぐさまそうはっきりとは明示されません。

私の青春は
堅い血管と化してしまった!

その中を
流れることもなく
曼珠沙華(ひがんばな)と夕陽が行き過ぎる。
――と「曼珠沙華と夕陽」をメタファーにして泰子のことを歌いながら
去りゆく女が最後にくれる笑みの「ように」と
二重のメタファーの中に置いて「ぼかし」ます。

しかしそれ(曼珠沙華と夕陽)は
しずかで
きらびやかで
なみなみと湛え
厳かで
ゆたかで
それでいて侘しく
異様で
温かで
きらめいて胸に残る
……ものなのです。

泰子(または青春)以外ではありません。

「盲目の秋」のⅠで
詩人は断崖絶壁にいながら
紅の花を幻視します。

腕を振っているのは
こちら側(無限の前)です。

こうして第2章(Ⅱ)以下へのつながりを
第1章(Ⅰ)の中に見つけることができます。

今回はここまで。

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